じじぃの「カオス・地球_443_移行化石の発見・第4章・恐竜・始祖鳥の発見」

The Origin of Birds - HHMI BioInteractive Video

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=z4nuWLd2ivc

Gerhard. The Origin of Birds.


Heilmann, Thompson, Beebe, Tetrapteryx and the Proavian &mdash

Tetrapod Zoology
Compiled, these articles described Heilmann’s take on the diversity of ancient fossil birds, embryological development in birds and reptiles, and bird anatomy, with the last in the series explaining what these data meant for the appearance and lifestyle of his Proavis, an imagined animal older and anatomically more archaic than Archaeopteryx. These articles were published together in a Danish-language book Vor Nuvaerende Viden om Fuglenes Afstamning (Heilmann 1916), the title meaning Our Current Knowledge of the Descent of Birds.
https://tetzoo.com/blog/2019/1/1/heilmann-thompson-beebe-tetrapteryx-and-the-proavian

『移行化石の発見』

ブライアン・スウィーテク/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2011年発行

ダーウィンが『種の起源』で進化論を提唱したとき、もっとも有力な反証となったのは、化石として出土している古代の動物と現生の動物とをつなぐ、「移行期の種」の化石がみつかっていないことであり、それは「ミッシング・リンク」(失われた鎖)と呼ばれた。
だが1980年代以降、とりわけ21世紀に入ってから、クジラ、鳥、ゾウなど様々な動物について、「移行化石」が相次いで発見されている――。

第4章 羽毛を生やした恐竜 より

始祖鳥の発見

アマースト大学の地質学教授エドワード・ヒッチコックコネチカットヴァレーを渉猟していたころ、リチャード・オーウェンは、ニュージーランドで見つかった奇妙な骨を調べていた。それは巨大なワシの骨だと言われていたが、オーウェンはダチョウに似た巨大な大腿骨の一部だろうと推察し、「ディノルニス」と名づけ、わずかな骨から全身の骨格を再現した。その後、この鳥の化石がさらに見つかり、オーウェンの見立てが正しいことが証明された。オーウェンが甦らせた巨鳥(現在では一般にモアと呼ばれている)は、あの砂岩の鳥の代役とするのにぴったりだった。
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もし神が、種まきや収穫をせずとも生きていけるような鳥を創られたのだとすれば、神はその古代の巨大な鳥にも、さまざまな配慮をなされたことだろう(「万物の霊長」たる人間に対してはなおさらである)。ヒッチコックは、これほど完璧に生物を環境に適応させられるのは適応させられるのは神だけだと信じていたが、その自然観は、博物学者たちが自然を道徳的教訓としてではなく、ありのままに理解するようになるにつれて崩壊していった。そして、チャールズ・ダーウィンの1859年の論文は、ヒッチコックが傾倒していた自然神学を、科学の世界から完全に締め出した。しかしダーウィンの新たな生物史観は、新たな謎をもたらした。

鳥はほかの脊椎動物とは非常に異なるため、生命の系統樹ではその枝だけが独自の方向に伸びていくように見えた。鳥はいかにしてそのような進化をなしえたのだろう? ヒッチコックが集めた足跡は、鳥が爬虫類や両生類と同じくらい昔からこの地球にいたことを示しており、1860年にドイツのゾルンホーフェンで見つかった化石化した羽根も、それを裏づけていた。その優美な化石は石版画(リトグラフ)用の石灰岩を採掘する石切り場で、ジュラ紀石灰岩のなかから見つかった。それを手に入れたドイツの古生物学者クリスティアン・エ―リッヒ・ヘルマン・マイヤーは、1861年に「アーケオプリテクス・リトグラフィカ」と名づけた。「石版画用の石灰岩から出た始祖鳥」という意味である。

もっともうまく進化した恐竜

鳥の祖先と目されるコエルロサウルス類(小型の獣脚類)の骨に、気嚢(鳥が備えている呼吸器官)の証拠が残っていても不思議はないが、興味深いのは、竜盤類(獣脚類と竜脚類)のほかの恐竜にもその特徴が見られることだ。これは、竜脚類の進化の歴史を振り返れば納得がいく。鳥盤類の恐竜に気嚢の痕跡は認められないが、竜盤類では現在知られる最も初期の恐竜にもそれが見られる。エオラプトルと呼ばれる小さな二足歩行の恐竜は、コンプソグナトゥスに似ており(いずれも獣脚類)、竜盤類のごく初期のモデルとするのにふさわしい。その骨には、原始的な気嚢がいくつかあったことを示す切れ込みがあった。後の肉食恐竜は、コエルロサウルス類から頭にこぶのあるアベリサウルス化のマジュンガサウルス、アロサウルスと近縁のエアロステオンにいたるまで、さらに発達した気嚢をもっていた。
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1871年にジョージ・ジャクソン・マイヴァートは、、ダーウィンの進化論を批判する評論『種の創生』を著し、鳥の翼はダーウィンの間違いを示す決定的な証拠だとした。マイヴァートは鳥の翼を、前肢の指の数と骨が退化してできあがった機関と捉えていた。「陸上生活に不可欠な前肢から翼が発達したのだとして、翼が完成するまでの間、指の退化がその動物にとってプラスにはたらいたとは思えない。そんな体で生存競争を勝ち残れたはずがないのだ」。つまり、肢も翼も中途半端な生物がいったいどうやって生き抜いたのか、と言っているのだ。

しかし、進化について現在わかっていることは、マイヴァートの主張を否定する。鳥の肢は恐竜の肢が変形しただけのもので、鳥の翼はすべて、デイノ二クスの恐ろしく強い手やエピデシプテリクスの繊細な手にあったものだ。彫像にとまっているハトやあなたが優勝句に食べるニワトリの体に見られる特徴は、ほとんどすべてが、まず恐竜の体に現れた。しかもそれはコンフウシウソルニスが現在の中国の上空を大群で飛んでいた時代よりはるか昔のことなのだ。近縁種の大半は6500万年前の絶滅で滅びたが、鳥類はおそらく最もうまく進化した恐竜である。生きた恐竜を見たいなら、霧に包まれた密林や辺境の高地を探し歩くより、鳥のえさ箱を窓際に据えつけた方が話は早い。

もっとも、恐竜と鳥は中生代に進化した唯一の陸上の脊椎動物ではなかった。最初の哺乳類は、初期の恐竜と並行して進化したが、それらは生態系の片隅に生きる小さな生物のままだった。地球を襲った史上最悪の大量絶滅によって哺乳類もほぼ全滅し、わずじかな系統を残すだけとなったが、誕生から1億5000万年がたつ頃には、恐竜たちを襲った悪運が、哺乳類にとっては恩恵であったことが明らかになった。