今から6600万年前に恐竜を絶滅させたのは、巨大な小惑星の衝突でした
過去5億年間の大量絶滅
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恐竜から宇宙へ
広島空港ソラミィパーク
巨大な小惑星が落下した!
有力な説が登場したのは1980年のことでした。ノーベル賞科学者のルイス・アルバレスとその息子のウォルター・アルバレスは、中生代と新生代の地層の境界にある粘土層にイリジウムという物質がたくさん存在していることを発見しました。イリジウムは地球にはあまり存在しません。隕石などによって宇宙からもたらされる物質です。そこで、アルバレス父子は、中生代の末に巨大な隕石衝突があったのではないかと考えたのです。
その後、メキシコのユカタン半島の地下に、直径200kmに達する巨大なクレーター地形が発見されました。これが恐竜を絶滅させた隕石の衝突跡だったのです。
https://www.hij.airport.jp/special/dinosaur2020/space.html
雑談>大量絶滅:ビッグファイブ④と⑤
地球上の生物は過去に何度もの大絶滅を繰り返してきたことが近年の研究でわかっています。
https://milliesaestatis.muragon.com/entry/2070.html
たった1日でわかる46億年の地球史
【目次】
プロローグ――地球学への招待状
1. 化学と地球――地球はどのように生まれたのか
2. 物質と地球――地球はどのように形成されたのか
3. 生命と地球――地球に広がる生命
4. 酸素と地球――呼吸できる空気はどこから来たのか
5. 動物と地球――大型化する生命
6. 植物と地球――植物と動物の世界
7. 災害と地球――絶滅が生命の形を変える
8. 人間と地球――地球を変える人類
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『たった1日でわかる46億年の地球史』
アンドルー・H・ノール/著 鈴木和博/訳 文響社 2023年発行
私たちの身の回りにある山や海、動植物、資源、空気や水はいったいいつ、どのように誕生したのか?
ハーバード大学の名誉教授(自然史学)で、NASAの火星探索ミッションにも参加している著者が、地球という奇跡の星の誕生から現在に至るまでを、地質学、自然史学的な視点でエキサイティングに読み解く一冊。
7. 災害と地球――絶滅が生命の形を変える より
5億年で5回の大量絶滅
進化について理解するために役立つ化石は何だろうか。それを古生物学者に問えば、恐竜や三葉虫、巨大シダなど、今はもう存在しないが生命の可能性の広がりを認識させてくれる生物について触れてから、大量絶滅とそれが生命に与えた重大な影響について話してくれるはずだ。ただし、昔からこのような流れが確立していたわけではない。1944年、古生物における20世紀中盤のいわゆる新ダーウィン主義的な進化の総合説に主導的な貢献を果たしたジョージ・ゲイロード・シンプソンが、『進化の天賦とモード』(原題:Tempo and Mode in Evolution)という非常に影響力のある本を書いた。この本でシンプソンは、化石に残されている進化のパターンは、、集団遺伝子が長い時間をかけて作用してきた内容を反映していると述べた。この論旨は明快で説得力がある。とにかく、新ダーウィン主義的総合説の要点は、集団遺伝子こそが自然淘汰、すなわち時間による進化や変化の土台となる仕組みであるという考え方を確立することにある。
ただし、シンプソンは集団遺伝子に固執するあまり、進化に関する地質学的に重要な知見を見逃していた。その知見とは、地球はそこで暮らす生物がダイナミックに進化する影響を一方的に受けるだけではないということだ。地球も、そこで支えられて生きる生物と同じく、ダイナミックな存在だ。一時的、局所的なものから、長期的、世界的なものまで、環境はさまざまなスケールで絶えず変化している。環境が変化して短い時間のうちに生物相が急速に揺さぶられると、種や生態系の構造自体が崩壊することさえある。集団遺伝子が種の「起源」を支えているのは確かだが、種が「存続」できるかどうかはダイナミックな地球環境によって決まるのが一般的だ。
これまでの章で示唆され、白亜紀末の絶滅(およそ6600万年前、巨大な隕石が地球に衝突して全世界の恐竜を絶滅に追い込んだ)で明らかになったように、現在の生物の多様性は、集団遺伝子だけでなく、大量絶滅と環境変化のあらゆる要素を反映したものだ。新生代の地球に哺乳類が広がったのは、単に集団遺伝子だけのおかげではなく、恐竜が生き残れなかった白亜紀末の災害を生き延びた哺乳類がいたからでもある。
アルバレスの仮説は大量絶滅に古生物学的な考え方をもたらしたが、同じころに成果が現れ、さらに大きな影響をもたらした別のプロジェクトがあった。
私が大学院生だった1970年代、同じ学生で友人にジャック・セプコスキーが時間を軸として化石の多様性をまとめるという作業に着手した。同じような試みは以前にも行われていたが、その根拠と細部までのこだわりによって、圧巻のデータベースができることになった。すのべて海洋動物の化石が最初と最後に見つかった年代を、目(もく)と科、そして最終的には属ごとにまとめたものだ(セプコスキーは種をまとめることはしなかった。もっともなことだが、そこまで細かく記録すると、堆積物の量や採取者の癖などによる偏りが出ると考えたからだ)。
セプコスキーのデータからわかったのは、生物の多様化の過程は決して平たんなものではなかったことだ。動物の種はカンブリア紀とオルドビス紀に増加したが、オルドビス紀末に激減した。そしてその種は再生するが、その後のデボン紀後期に再び減少する。このサクルはさらに3回繰り返されるが、その1つが白亜紀末だ。つまり、地球の生物相」は5億年間で5回の大量絶滅に耐えてきた。さらに、それとほぼ同数の小規模大量絶滅も経験している(図、画像参照)。
当初、アルバレスの仮説はセプコスキーが示した多様性の変動を一般的に説明したものだと考えられていた。つまり、大きな絶滅は大きな隕石によって、小さな絶滅は小さな隕石によって起きたということだ。とてもわかりやすい説明だが、これは誤りであることがわかった。隕石の衝突が関係した絶滅は、白亜紀末だけだからだ。
既知の最大の大量絶滅は、白亜紀末ではなく、約2億5200万年前のペルム紀末に起きた。このとき、海洋生物の種の90パーセント以上が姿を消した(この2回の大量絶滅が顕生代内の代の区切り目に起きているのは、偶然のように思えるかもしれない。しかし当然ながら、決して偶然ではない。19世紀の古生物学者たちは、化石に基づいて地質年代を決めた。ペルム紀と白亜紀の終わりで古生物学的な変化が起きているのは明らかなので、そこで地球の歴史を区切るのは妥当な判断だ)。
中国の煤山(メイシャン)の山腹に露出している岩石には、ペルム紀末の大量絶滅の痕跡がはっきりと刻まれている。この場所は簡単に見つけることができる。地質を保存、展示、活用するため、地方政府が派手なジオパークを作っているからだ。ただ、人間による装飾は別にしても、煤山の岩石は恐ろしい物語を伝えている。山麓地殻の石灰岩には、腕足動物、コケムシ、棘皮動物、大型原生動物の骨格など、ペルム紀後期の海岸生物の化石が大量に含まれている。もしペルム紀後期の海岸を泳げたなら、浅い海底に生息するさまざまな動物、海藻、原生動物を見ることができたはずだ。しかし、山の半分から上には、そういった化石はまったく見られない。ナイフの刃ほどの区切り目を境に、完全に姿を消している。新しい岩石に、以前に見られた化石が再登場することはない。上のほうで見ることができるのは、貝やカタツムリなどの僅かな小型化石だけだ。
煤山で初めてそれを見たとき、驚くほど強烈な喪失感を覚えた。あふれんばかりの生命が突如として失われ、二度とよみがえることはなかったのだ。しかし、いったい何が起きたというのか。その最初の手がかりになるのは、煤山の石灰岩の間に見られる薄い火山灰の層だ。
絶滅が起きた時期の直前と直後にあたる層の年代は、それぞれ2億5194万1000年±3万7000年前と2億5188万0000年±3万1000年前だ。この厳密な年代が鍵になる。なぜなら、大陸半分ほど離れた場所で起きた地質学的大事件と重なっているからだ。その事件は、シベリア・トラップ(2億5100万年前のP-T境界頃に200万年以上続いたと考えられる大規模な火山活動)と呼ばれている。