じじぃの「民主主義・嘘つき・パスカルの賭け!この問題とけますか」

Blaise Pascal Quotes

『この問題、とけますか?』

吉田敬一/著 だいわ文庫 2017年発行

2人とも、嘘つき? より

仲の悪い2人が罵り合っています。
A 「お前は、いつも嘘ばかり言っている」
B 「お前こそ、いつも嘘ばかりだ」
この会話から、2人とも、嘘つきと考えてよいだろうか?
ヒント
Aを嘘つきと仮定すると、(嘘つきの)Aの一手言っていることは嘘ですから、Bの嘘つきはなくなります。
逆に、Bを嘘つきとすると、Bの言っていることは嘘ですから、Aは嘘つきではなくなります。
正解
2人とも嘘つきではありえません。

民主主義は、独裁政治を生むことがある?

ヒント
ドイツのヒトラーは独裁者として有名ですが、彼は当初、選挙というきわめて民主的な手段で首相になりました。しかし、党の勢力が強くなると、2ヵ月後の1933年3月、「全権委任法」を多数決で可決、以後は独裁政治を断行し、ユダヤ人虐殺など、多くの残虐行為をするようになりました。
正解
民主主義が常に、民主主義を生むとは限らない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
●仲の悪い2人が罵り合っています。
韓国人 「日本人は、いつも嘘ばかり言っている」
日本人 「韓国人こそ、いつも嘘ばかりだ」

実は、とっても仲がいい人たちなんです。(日韓のパラドックス

パスカルの賭け
神様が存在した場合、神を信じることで死後に天国に行くことができ、神を信じなければ死後に地獄に行くとします。
神を信じない人は、神が存在すると地獄行きになります。
つまり、神が存在した場合でもしなかった場合でも、神を信じる行動を選択しておいた方が得なのです。
●民主主義は、独裁政治を生むことがある
民主主義は最悪の政治形態といえる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば。

じじぃの「歴史・思想_91_世界史を変えた指導者・フランクリン・D・ルーズベルト」

Franklin D. Roosevelt

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XYrbKvAvkXY

FDR's 'Day of Infamy' Speech

Pearl Harbor: How FDR responded to the "day of infamy"

December 4, 2016 CBS News
The “Day of Infamy” is how we Americans have come to remember the attack on Pearl Harbor -- and we owe that phrase to the American president who knew exactly what was called for in that moment of crisis. David Martin takes us back:
https://www.cbsnews.com/news/pearl-harbor-how-fdr-responded-to-the-day-of-infamy/

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

アメリカを立ちなおらせた粘り強い改革者

フランクリン・D・ルーズベルト大統領は大恐慌時代から第2次世界大戦の終わり近くまで、祖国の2度の暗黒時代にアメリカを率いた。ルーズベルトはコミュニケーションと行政の手腕にすぐれ、ときとして不人気な政策にも国民の一致した支持を形成し、維持した。

1933年3月4日の大統領就任演説で、フランクリン・D・ルーズベルト大恐慌という経済問題に立ち向かうと宣言し、こう述べた。「この偉大なる国はこれまで耐えしのんできたようにこれからも耐えしのび、復活を果たして繁栄するでしょう。(中略)われわれがおそるべきはおそれるという気持ち、それだけです」。この粘り強く実直なリーダーは、自分の決意と自信を国民に伝えるときに人々を鼓舞する能力をもっともよく発揮した。
フランクリン・D・ルーズベルト(通称F・D・R)自身が、復活を経験していた。ポリオを発症し、1932年の大統領選に勝利したときには杖か装具がなくては歩けないまでになっていた。政治家としてのキャリアも断たれかねない状況から、カムバックを果たしたのである。大統領選では、「忘れられた人々」のための「ニューディール政策」を掲げて戦った。「忘れられた人々」とは経済危機の犠牲者となった人々のことで、大統領就任時には工業生産が不況前の56パーセントにまで落ち、1300万人が失業していた。
フランクリン・D・ルーズベルが政治家の道を志したのは、1901年から1909年まで第26代アメリカ大統領をつとめた従兄セオドア・ルーズベルトの影響だった。
    ・
ルーズベルトニューヨーク州の議員として政治をよく学び、ウッドロー・ウイルソン台頭領時代に海軍次官として有能な行政の手腕を発揮した。しかし1921年に休暇でカナダのニューブランズウィツクに滞在していたとき、ポリオを発症する。一時期は完全に体が麻痺し、母親から政治家引退をうながされたが、彼と妻エレノアは政治家のキャリアを続ける決意を固めていた。
19228年、彼は復帰した。ニューヨーク州知事選に当選する。ふたたび、共和党支持の気風が強い土地で、民主党候補としての勝利だった。1930年に再選され、経済状況が悪化するなか、大統領としてニューディール改革を行う構想を描き、そのステップとして州知事の立場で救済措置と景気回復刺激策を実施した。
ニューディール政策は1933年から39年にかけて実施され、連邦政府の役割を大幅に拡大した。公共事業局が公共事業に33億ドルの資金を出し、民間植林治水隊が植林と治水の臨時職を創出した。農業調整庁は生産高制限のため農家に助成金を出し、主要農産物の価格引き上げをはかった。
社会保障制度で老齢年金、遺族年金、障害年金、失業者手当を給付するようにした。雇用促進局が失業――1935~38年に年間平均210万人いた――のために公共の建物、橋、道路建設の職を創出した。前例のない政府介入によるこうした果断な施策により、フランクリン・D・ルーズベルトアメリカ経済の活性化を支援し、景気は回復に向かっていると全国のアメリカ人を励ました。

じじぃの「自然資源管理・調査捕鯨・対外援助というわな?危機と人類」

Japanese Whaling: Japan BANNED from hunting whales in Antarctic

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VqFoHhV2ARI

Japan Restarts Commercial Whaling

Japan's IWC exit no magic bullet for foundering whalers

DECEMBER 27, 2018 Nikkei Asian Review
TOKYO -- Japan's decision to withdraw from the International Whaling Commission and pursue commercial whaling aims to revive an industry with political significance for top leaders but whose long-term prospects remain unclear even with this shot in the arm.
Speaking with reporters Wednesday after the move was announced, Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga cited Japan's goal of revitalizing the country's languishing rural areas.
"We hope that these regions will prosper more and that our rich whaling culture will be carried on," he said.
https://asia.nikkei.com/Politics/International-relations/Japan-s-IWC-exit-no-magic-bullet-for-foundering-whalers

『危機と人類(下)』

ジャレド・ダイアモンド/著、小川敏子、川上純子/著 日本経済新聞出版社 2019年発行

自然資源管理 より

日本は最大にしてずば抜けた量の資源を輸入する先進国なのだから、自己利益の追求から、世界に先駆けて持続可能な資源活用国をめざすはずだと期待する向きもあるだろう。とりわけ、日本が依存している漁業資源や森林資源については、持続可能な活用に向けてリードするのが合理的な政策となるはずだ、と。
奇妙なことに、現実は逆である。世界自然保護基金アメリカとコンサベーション・インターナショナルのディレクターの一人として、私はこのふたつの組織がかかわる各国の資源管理政策について多くの情報を耳にしている。どうやら日本は海外の持続的な資源政策に対して、支持はもっとも小さく、反対派もっとも大きい先進国であるようだ。不法に、あるいは持続可能でない方法で収穫された林産品の輸入量は、国民一人あたりにせよ輸入林産品全体に占める割合にせよ、アメリカやEU諸国よりはるかに多い。遠洋漁業捕鯨に関するまっとうな規制についても日本は反対勢力の先頭に立っている。例をふたつ挙げよう。
最初の例は、大西洋および地中海産のクロマグロに関するものだ。
    ・
ふたつめの例は、今日の日本が世界最大かつ強硬な捕鯨推進国であることだ。捕鯨の割当数は国際捕鯨委員会IWC)が決めている。

日本は毎年、調査捕鯨という名目で合法的に割当数を大きく超えて捕鯨をおこなっているが、調査捕鯨で死んだクジラについてはほとんどあるいはまったく研究論文を出すことなく肉として販売している。

しかも、日本人一般の鯨肉への需要は低く、しかも減少しつつあり、鯨肉は人間用というよりむしろドッグフードや肥料に無駄使いだれている。捕鯨の維持は日本にとって経済損失だ。なぜなら日本の捕鯨産業は数種類の方法で政府から大きな補助金を得ているからだ。

すなわち、捕鯨船への直接的な補助金捕鯨船を護衛する船への追加の補助金、そして、捕鯨をしないがIWCに加盟している小国に賛成票を投じてもらうための賄賂である「対外援助」と呼ばれる隠されたコストが存在している。

なぜ日本はこのような立場をとるのだろうか?

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じじぃの日記。
アメリカのトランプ大統領は11月4日、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」からの離脱を国連に正式通告した。
一説によれば、石炭産業に従事する人の雇用を守るため、とか言われている。
しかし、石炭産業に従事する人は数少なく、しかも石炭を採掘するのは人ではなく機械なのだ。
「日本は毎年、調査捕鯨という名目で合法的に割当数を大きく超えて捕鯨をおこなっているが、調査捕鯨で死んだクジラについてはほとんどあるいはまったく研究論文を出すことなく肉として販売している」
日本の調査捕鯨もトランプさんがやっていることと、同じように見える。

じじぃの「歴史・思想_90_世界史を変えた指導者・パブロ・ピカソ」

Pablo Picasso. Brief biography and paintings. Great for kids and esl.

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=33BCnqpS8NA

Les Demoiselles d'Avignon (1907)

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

つねに芸術の限界に挑戦しつづけた。精力的で多作な芸術家

多彩なスペイン人芸術家パブロ・ピカソは、フランス人画家の友人ジョルジュ・ブラックとともに絵画を分解し、再構成して現代芸術を創造した。そして前衛芸術のリーダーとなった。

1907年、一流の画家たち数人がパリにあるパブロ・ピカソのアトリエを訪れ、衝撃的な最新作「アビニヨンの娼館」(のちの「アビニヨンの娘たち」)を見学した。「アビニヨンの娘たち」でピカソは伝統的な遠近法をすて、5人の娼婦を不調和で断片的ないくつもの視点から描いて、様式化し徹底的に二次元かした絵を生み出した。ピカソはこの技法を「オルタ・デ・エブロの貯水池」などの作品でさらに発展させている。「オルタ・デ・エブロの貯水池」は1909年夏に南スペインで描かれた油彩画で、幾何学的な図形を用いて建物と風景を複数の視点から表現している。野心家でどこまでも革新性を追求したピカソは、新しい現実表現法の最先端にいた。
ピカソジョルジュ・ブラックとならびキュビスムのリーダーになった。キュビスムはほぼまちがいなく20世紀でもっとも影響力のあった美術運動である。キュビスムの画家たちは、絵を三次元的に見せるために用いされていた遠近法や短縮法[人体の表現に用いられた遠近法の一種]などの技法を拒絶し、現実のキャンバスが二次元であることを強調して、描く対象を分解し幾何学形の集合体として描いたり、複数の視点をとりいれたりした。運動の名前は、美術批評家のルイ・ヴォークセルが1908年のブラックの油彩画「レスタックの家」を評して書いた「奇妙な立方体の集まり(ビザラリ・キュービック)」という言葉に由来する。ピカソとブラックは1907年から1911年にかけて新しいスタイルを発展させたがジャン・メッツァンジェやアルベール・グレーズやキュビスムの画家たちがはじめて公式に作品を展示した1911年春のアンデパンダン展には出品しなかった。
ピカソは大改革者だった。このキュビスムの初期の形態を出発点として、彼とブラックは1910年以降、さらに抽象的なスタイルにつき進む。最初ピカソ幾何学的な図形を配置して構成した、描かれた対象がほとんど判別できない絵を創造した。その例が1911年夏に描かれた「ラム酒の瓶のある静物」である。次に「パピエ・コレ」(貼り紙)を導入する。たとえば1912年「帽子をかぶったヴァイオリンをもつ男」では、新聞紙の切れ端を使っている。彼は現代美術をリードしていた。ほかの画家たちは彼の向かう方向に注目しないわけにはいかなかった。
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長い画家人生を通じて、ピカソはたえずスタイルと手法を変化させた。こころを動かされた事件を変化のきっかけとすることが多かった。1936年にスペイン内戦が勃発すると、彼はフランシスコ・フランコ将軍率いる国民戦線軍と戦っていた共和国派を熱心に支持し、彼らを援助するため販売用の絵画制作に取り組んだ。1937年に巨大なキャンパスに「ゲルニカ」を描く。バスク地方にあった同盟の空襲による惨状を悼んだ、ピカソのそらくもっとも有名や作品である。

スタイルを同時進行 より

ピカソは前衛的なキュビスム作品に取り組むかたわら、伝統的な自然派の絵画も描いた。生涯を通じて彼は、複数のスタイルを同時に進行することができた。自分は完璧な絵画形態をめざそうとしているのではなく、主題にもっともふさわしいスタイルを選ぶのだと語っている。この姿勢からリーダーが得るものは大きい。チャンス、もたらされる結果の可能性、集団を率いる方法は複数ある、とつねに思っておこう。選択肢をすててはいけない。また、課題の違いに応じて自分のスタイルやアプローチを合わせるのも有益だろう。

じじぃの「糖尿病・インスリン注射とDPP-4阻害薬で血糖値を下げる!家庭の新医学」

How to Inject Insulin

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PqgKFsK7f-Q

血糖値を下げる薬のメカニズム

脂質の摂取がDPP-4阻害薬の血糖改善作用の長期維持に重要(平成29年12月28日)

2017.12.27 関西電力 医学研究所
*DPP-4阻害薬の服用開始半年後から1年後に血糖改善作用が減弱する患者さんは日常的な食事の脂質、特に飽和脂肪酸や一価不飽和脂肪酸の摂取量が有意に多い。
*DPP-4阻害薬の長期血糖改善効果の減弱の程度は、飽和脂肪酸の摂取量と有意な相関を示す。
*DPP-4阻害薬の血糖改善作用の長期維持には、摂取する脂質の種類や量に注意する必要がある。
http://kepmri.org/news/%E8%84%82%E8%B3%AA%E3%81%AE%E6%91%82%E5%8F%96%E3%81%8Cdpp-4%E9%98%BB%E5%AE%B3%E8%96%AC%E3%81%AE%E8%A1%80%E7%B3%96%E6%94%B9%E5%96%84%E4%BD%9C%E7%94%A8%E3%81%AE%E9%95%B7%E6%9C%9F%E7%B6%AD%E6%8C%81/

『読むだけで健康でいられる家庭の新医学』

東茂由/著 KAWADE夢文庫 2015年発行

薬で血糖値を下げても合併症は進むことがある より

糖尿病というと、まず「血糖値を下げることが重要」と認識されています。しかし、本当の目的は、その先の合併症を防ぐことにあります。
血糖値を下げるための方法には、食事制限と運動、経口薬、インスリン注射などがあります。しかし、薬だけに頼って血糖値を下げると、血糖値は下がったのに合併症は進むということがあります。だから、糖尿病の専門医は「血糖値を下げるのに、薬だけに頼るのはたいへん危険」であると注意をうながすのです。
血糖値を下げれば合併症が予防できると思っている糖尿病の人は多いでしょうが、実際はそうではないようです。
名郷直樹・武蔵野国分寺公園クリニック院長は著書『後悔したくなければ「医者のいいなり」はやめなさい』(日本文芸社)で、
「合併症を予防するために、糖尿病では血糖値をなるべく正常値に近づけようとしてたくさんの薬が使われます。そうすれば血糖値は下がります。数値が下がれば患者さんは『これで安心』と思うでしょう」
と述べ、しかし安心はできないと、次のように続けています。
「血糖値を下げたとしても(1~2ルズムの血糖の平均を示すHbA1cという指標を1%減らした場合)、網膜症や腎症という糖尿病特有の合併症が完全になくなるわけではありません。割合で言うと、100人の合併症の患者さんを80人に減らすという効果しかないのです」
合併症を予防できないどころか、増えたという研究するあるそうです。
さらに、糖尿病は脳卒中心筋梗塞とも関わりが深いことから、そのリスクを減らすために血糖を下げる薬が使われますが、その薬を服用しても、「100人が80人に減るレベル」「脳卒中についてはほとんど減らない(つまり効果なし)」と述べています。

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どうでもいい、じじぃの日記。
昨日、家の近くの糖尿病専門病院に行ってきた。
世界における糖尿病の有病率は9%で、日本の患者数はこの40年間で約3万人から700万人程度にまで増加している。
血糖値の大まかな変動を反映するのがHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)だ。
HbA1c・・・過去1~2ヵ月の血糖の平均値を反映する臨床検査値、「糖尿病コントロール指標」で、基準値は4.6~6.2
今年の7月に14.1だったのが12月に10.6にまで下がった。
1月から7月まで、「SGLT2阻害薬」で糖をむりやりおしっことして出す薬を飲んでいたが、やたらとトイレにいく回数が増えたので、7月途中からこの薬を止めてインスリン注射(14単位)に変えた。
HbA1cの値が14.1 → 10.6になった。まだかなり高い値だがインスリン注射が効いているのだろうか。
先生は「この調子で行きましょう」、とか言っていた。
来年が楽しみであるが、本当に良くなるのかしら、という思いもある。

じじぃの「歴史・思想_89_世界史を変えた指導者・ウィンストン・チャーチル」

Churchill and The Cabinet War Rooms - Sir Winston Churchill's secrets unveiled

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XQRi1cFSgEQ&list=PL2P_Yd6SmYdnZ4S9wCjIEf1zxlKBfnpPw&index=4

Winston Churchill

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

ナチの脅威に対してイギリスと世界を団結させた伝説の戦時指導者 より

ウィンストン・チャーチルは第2次世界大戦中のもっとも苦しい時期にイギリス国民と全世界を勇気つけ、敗戦の瀬戸際からナチ・ドイツに対する勝利へと導いた、不屈の首相である。

1940年6月4日、ナチによるイギリス新興の脅威に対抗して、ウィンストン・チャーチルは下院で胸を打つ演説を行なった。「われわれは海岸で戦い、上陸地で戦う。(中略)われわれはけっして屈服しない」。人々を鼓舞する弁舌の才、慎重な国の舵をとり、そしてアメリカとの同盟関係構築に力をつくしたことによって、チャーチルは1945年の勝利をもたらした。
6月4日の演説を行なったのは、首相に就任してわずか1ヵ月たらずのことだった。言葉に寄って人々を奮起させるリーダーシップ力を凝縮したような不朽の名演説をチャーチルは3回行っているが、これはそのひとつである。最初は間近かに迫っていると思われた、ナチス侵攻の脅威、その後はロンドン大空襲(ザ・ブリッツ。1940年9月から1941年5月にかけてロンドンをはじめとするイギリス諸都市に対して行われた、ナチの戦略的な爆撃作戦)に直面して追いつめられたイギリス国民に、彼は反撃と戦いの継続をよびかけた。
2週間後の1940年6月18日、チャーチルは下院とイギリス国民にラジオ放送で「バトル・オヴ・ブリテンがこれからはじまる」と宣言した。ナチの指導者アドルフ・ヒトラーは戦争に勝つにはイギリスを征服しなければならないとわかっている、とチャーチルは述べた。イギリスがヒトラーに立ち向かえばヨーロッパを救うことができる。演説の最後に、チャーチルは力強く迫った。「だからわれわれのなすべきつとめに向けて気を引きしめよう。かりに大英帝国イギリス連邦が千年続いたとしても、『イギリスの最高の時代はあのときだった』と人々に言わしめる行動をとろうではないか」。チャーチルの3つめの名演説は1940年8月20日、イギリス空軍の戦闘機と爆撃機パイロットたちを、彼らの活躍で戦争の潮目が変わったとして感動的な賛辞を贈ったものだった。「人類の戦争の歴史において、これほどわずかな人々にこれほど多くの人々が救われたことはかつてなかった」
1940年にチャーチルが首相の座にあったのは、適材適所といえた。彼の資質は、絶体絶命の状況に置かれていたイギリスの国民が必要としていたものにほかならなかった。愛国心が強くエネルギーにあふれたチャーチルは、コミュニケーションの才能に恵まれた手練れの文章家だった。歴史に造詣が深く、イギリスの立場と歴史的な重要性についてはばかることなく発言した。サンドハースト王立陸軍士官学校で訓練を受けた彼は第1次世界大戦に従軍し、政治家として経験も豊かだったばかりでなく、危機のときほどますます力を発揮するかに見える、動じない男だった。

全身全霊を捧げる より

1940年5月に首相に就任したチャーチルは、下院に対する演説でまたも名文句を発した。「大臣諸君に行ったのと同じことを議員の諸君にも言おう。わたしに提供できるのは血と労苦と涙と汗、それだけです」。そしてめざすのはただひとつ「どんな犠牲をはらっても勝こと――いかなる恐怖もものともせず――勝利への道がどれほど長く苦しいものであろうとも」。その目的を果たすために全力をあげ、全身全霊を捧げることを約束した。チャーチルは休むまもなく精力的に活動し、むりがたたって1943年に2度も重い肺炎をわずらった。

じじぃの「ノーベル化学賞・吉野彰さん・京都から世界にET革命を!池上彰のニュース検定」

#063 "Salar de Uyuni, Bolivia" in 4K (ウユニ塩湖/ボリビア)世界一周26カ国目

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dTZXSmIWdBg

ノーベル化学賞受賞会見での吉野彰氏

吉野彰氏リチウムイオン電池は環境問題の解決法

2019年10月9日 日刊スポーツ
ノーベル化学賞が9日、スウェーデンストックホルムで、スウェーデン王立科学アカデミーから発表され、旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)ら3人が受賞した。
リチウムイオン電池について「電気を蓄えるのが1番の機能。電気自動車(EV)の普及はリチウムイオン電池がないと出来ない」とEVへの転換が世界で進む中、リチウムイオン電池は不可欠だと語った。
その上で「巨大な蓄電システムが出来る。そこが環境問題への1番大きい影響。再生可能エネルギーで発電する社会システムを、作っていかないといけない。絶対に蓄電システムが必要。でも、そのためには費用がかかる。EVの蓄電池はそういう機能を持つ」と、リチウムイオン電池が環境問題に大きく寄与すると強調した。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201910090000716.html

池上彰のニュース検定

2019年12月6日 テレビ朝日 【グッド!モーニング】
きょうのキーワード「車向けリチウム」。

問題 リチウムが大量に埋蔵されている湖は? バイカル湖、ウユニ塩湖、琵琶湖

バイカル湖
・ウユニ塩湖
・琵琶湖
正解 ウユニ塩湖
「来週火曜日ノーベル賞授賞式です。旭化成名誉フェロー・吉野彰の受賞理由はリチウムイオン電池開発です。リチウムイオン電池スマートフォン、電気自動車などに使われています。電気自動車の量産化はリチウムイオン電池が開発されたからこそ実現したのです。時代はガソリン車から電気自動車へ移り変わろうとしています。リチウムはいわば21世紀の石油。リチウムはチリ、アルゼンチン、ボリビアなどの南米、オーストラリアが有力な産地です。地下にリチウムが多く溶けたかん水がある塩湖が採取場になっています。天空の鏡と呼ばれるウユニ塩湖はリチウムのサウジアラビアとして知られています。埋蔵量が地球上のリチウムの半分はあると言われているからです。国際的なリチウム争奪戦は激しくなるばかりですが、ガソリン車から電気自動車へのシフトはゆっくり進むと見られています。リチウムイオン電池は他の電池より多くのエネルギーが出せますがガソリンに比べれば見劣りします。軽くて長持ちする技術改良にはまだ時間がかかるのです。EUは2040年までにガソリン車全廃を目指しているが、実現は困難だと言われています。そんな中、世界が改めて注目しているのは日本生まれのハイブリッドカーです。電気自動車が本格的に普及するまでの間、ハイブリッドカーの存在感は一段と高まる見通しです」

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文藝春秋』 2019年12月号

京都から世界にET革命を ノーベル化学賞受賞の吉野彰から若者へのメッセージ

授賞式が近づいてきたので、そろそろスピーチの準備をしなければなりません。今回の受賞は、ノーベル委員会から、リチウムイオン電池は環境問題解決のために活躍せんといかんと激励されたようなものです。リチウムイオン電池が広く使われるようになっており、化石燃料が不要な社会が実現する可能性を切り開いたとして評価され、期待されて賞をいただけたのは嬉しい。受賞スピーチでは、それに対する何らかのレスポンスを示したいですね。せっかくの機会なので、世界にメッセージを出したいと考えています。
     ・
リチウムイオン電池が最初に商品化されたのは1991年です。その後、特許の出願件数は少しずつ伸びていきましたが、急伸したのは95年以降。その年、ウィンドウズ95が発売され、IT革命が本格的にはじまったのが最大の要因です。携帯電話の普及も、リチウムイオン電池の市場拡大を後押ししました。
やがてリチウムイオン電池の事業環境は落ち着き、2003年頃から特許件数も減ってきました。どんな製品の開発においても、たくさん製品を売って研究を継続できる人たちと、コストや性能で他社製品に負けて研究を断念する人たち、言いかえれば、勝ち組と負け組が次第に決まってくるものです。
ところが、2007年以降、再び特許の出願件数が伸び始めました。その最大の要因は、車載向けのリチウムイオン電池開発の活発化です。携帯電話やノートパソコンなどモバイル端末に搭載するリチウムイオン電池の改良は進んでいましたが、車載向けに要求される性能とは違うので、新たな材料研究、技術開発が必要になる。2017年にはリチウムイオン電池の販売実績で、車載用途がモバイル端末用途を越えました。
     ・
しかしET革命に向けた日本の取り組みは遅いと感じています。燃費の改善やハイブリッド車では、日本の自動車メーカーが世界を先行してきましたが、電気自動車や、それを活用した電力システム構築の面では出遅れています。
この分野で1番進んでいるのはヨーロッパです。よく知られているように、ヨーロッパの人たちは環境問題に対して高い意識を持っています。私は、国々が地続きでつながっている地理的条件が彼らの環境問題の考え方に影響を与えていると思います。ドナウ川のような長い川は国をまたいで流れています。そのため上流域の工場が汚染物質を垂れ流して、中流域の人が被害を受け、中流域の工場もやはり汚染物質を垂れ流して下流域の人を苦しめるといった事態がしばしば発生します。
島国で、狭い国土の日本と異なり、ヨーロッパでは早くから加害と被害の入り組んだ状況を繰り返し経験したのではないか。だから近年の環境問題に対しても、国の利害を超えて、解決に取り組む姿勢が見られるのだと思います。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ネットで、「リチウム産出国」をキーに検索してみた。
主な産出国は、チリ、オーストラリア、中国など。オーストラリアでは、鉱石ペグマタイトからコンデンサに使われるタンタルを生成する際の副生物として回収されていますが、7割方のリチウムは塩分を含んだ塩湖(ボリビアのウユニ塩湖など)の水が乾いて濃くなったもの(塩湖かん水)を精製して作られます。
リチウムの埋蔵量の多くはアンデス山脈沿いに偏在しています。現在の最大の産出国はチリで、世界の産出量の3分の1近くを生産していますが、それにアルゼンチンとボリビアを加えると、世界の推定埋蔵量で6割~8割を占めると言われており、「20世紀の中東の原油の世紀」から「21世紀のリチウムの世紀」に時代は移ったと捉える人もいるほどです。
ウユニ塩湖の”白い黄金”(塩分を含んだリチウム)は炭酸リチウムで、アメリカ、ロシア、日本などに1トンあたり約284万円で輸出されています。
最近、ドイツの企業と約1,480億円の契約がまとまりました。
とか、書かれていました。