温暖化の科学 Q14 寒冷期と温暖期の繰り返し
2023年12月時点 地球環境研究センター
2万~10万年スケールの日射量変動による気候変動
図1は、過去80万年間の南極の気温変動を示しています。このデータは、南極氷床の過去につくられた氷(氷床コア)を分析し復元(推定)したものです(注2)。気温が顕著に高い間氷期の間隔は約10万年であり、長期スケールの氷期と間氷期の繰り返しが明瞭にみられます。この気候変動の原因は、地球の自転軸の傾きや地球が太陽の周りを回る軌道が周期を持って変動することによって生ずる2万~10万年スケールの北半球夏季の日射量変動と密接に関係すると考えられています(この周期変動をミランコヴィッチサイクルといいます)。詳細な変動機構の説明は割愛しますが、この日射量変動がきっかけとなり気温が変化し、気温変化→氷床や二酸化炭素(CO2)濃度の変化→気温変化というように気温変化の増幅(注1)を繰り返しながら、気候が変動したと考えられています。また、氷期から間氷期に遷移するときの気温上昇速度は、20世紀後半から起きている気温上昇速度とは異なります。
https://cger.nies.go.jp/ja/library/qa/24/24-2/qa_24-2-j.html
『哺乳類の興隆史――恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』
スティーブ・ブルサッテ/著、黒川耕大/訳、土屋健/監修 みすず書房 2024年発行
約3億年前に爬虫類の祖先と分かれたグループが、幾多の絶滅事件を乗り越えて私たちに至るまでの、途方もない歴史を描く書。
第2章 哺乳類が出来上がるまで より
ペルム紀末、現在のロシアに当たる地域には多くの獣弓類が生息し、火山地帯からそう遠くない場所で暮らしていた。ゴルゴノプス類がディキノドン類に犬歯を突き立て、キノドン類がシダ種子植物の森に身を潜めていた。それらの動物が噴火の直接の被害者となったにちがいなく。多くは低俗な災害映画よろしく文字どおり溶岩に飲み込まれただろう。
しかし被害はこれに留まらず、溶岩よりずっと恐ろしい火山の潜在的な脅威が露わになった。「サイレントキラー」と呼ばれる二酸化炭素やメタンなどの有害なガスが溶岩とともに湧き上がり、大気に放出され世界に拡散したのだ。これらは温室効果ガスであり、赤外線を吸収して地表に送り出すことで熱を大気に留める。おかげで急激な温暖化が起き、気温が数万年で5~8度ほど上昇した。
いま起きていることに似ているが、実は現在の温暖化よりはペースが遅かった(現代人に現状の再考を迫る事実だ)。それでも海洋を酸性化・貧酸素化させるには十分で。殻を持つ無脊椎動物やその他の海棲生物が広範囲で死滅した。
第9章 氷河時代の哺乳類 より
哺乳類の化石を初めて発見したのは誰か? 単純な問いではあるが、答えは知りようがない。人類は何千年も前から化石と出くわしてきたが、ごく最近まで、いつ何を発見したかを詳細に記録する人はほとんどいなかった。ここで悩ましいのは何を持って「発見」とみなすかだ。発見者として称えられるべきは誰か? 化石を最初に見つけた人? 最初に採集した人? それとも最初に正確に同定し、その生き物が大昔にいた特定の動物であることを理解した人?
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(私が)チャプチェック氏の愛車に乗って化石の採集を目的とした野外実習や夏期巡検に行った際、氷河の痕跡の探し方を教えてもらった。眼が段々慣れてくると、まるで不可視インクを光にかざしたかのように、氷河の痕跡が農地のあちこちに見えてきた。退屈だったはずの景観が、氷河地形が織りなす表情豊かな景観に変わった。私の故郷であるオタワ(1万9000年前に氷河の融解による洪水が起きた谷の縁にある)から南に15キロほど行った場所には、平地から60メートルほどの高さまで土砂が堆積していた。長い弧状の丘がある。これは「モレーン」と呼ばれる地形で、地図でみると数本のモレーンがミシガン湖から同心円状に広がっており、まるで池に石を投げ込むとできる波紋のように見える。ところが実は、この波紋は内側に向かう後退の波だ。各モレーンが示しているのは、氷河がいったん停止して堆積物を降ろし気温が上がると再び北東に後退を始めるという、その繰り返しの痕跡だ。もっと目立たない地形もある。私が「農地から漏れ出した水たまり」だと思っていたものは、実は氷河の後退期に取り残された氷塊が解けて出来た「ケトル」湖だった。曲がりくねった小さな堤防状の地形である「エスカー」は氷河内部の流れの底に堆積した砂礫が取り残されたもの、「ケイム」と呼ばれる円錐形の丘は氷床表面のくぼみに堆積した砂礫が取り残されたものである。
オタワ地域のモレーン、エスカー、ケイムの多くは採石に利用され、コンクリートに混ぜる砂利の供給源になった。農場をつなぐ一直線の道路はそのコンクリートで舗装されたものだ。採石場は子供たちのあいだで「砂利抗」と呼ばれていたが、そこには砂利以外のものもあった。砂利抗に入ると、氷河の内部で氷漬けにされたあと融解時に置き去りにされたあらゆるものが見つかる。イリノイの肥沃な土壌を形成する砂や風塵のような細かいものも、大礫や巨礫のような大きめの岩片も、そして時には……化石も。
この氷河の”ゴミ捨て場”のごた混ぜの中からはトマス・ジェファソンが気に入っていたある動物の骨や歯が見つかる。マンモスやマストドン、地上性の巨大ナマケモノから、巨大なビーバー、バイソン、ジャコウウシ、スターグムースなどの多くの風変わりな動物まで。どれも氷河時代を生き抜いていた動物たちだ。摩天楼よりも高い氷の壁を見つめ、雪景色の中で寒さに震えながら食料を探し、氷河の前面から吹き降りてくる風に骨の髄まで凍える思いをしていただろう。
考えてみれば驚くべきことだが、わずか1万年余り前まで北アメリカの半分ほどは氷原だった。シカゴもニューヨークもデトロイトもトロントもモントリオールも、当時は厚さ数千メートルの氷に覆われていた。
アメリカだけではない。ユーラシア北部の広い範囲も氷に閉ざされ、ダブリンにベルリンにストックホルム、それにいま私が住んでいるエジンバラも氷河に覆われていた。かたや赤道の南側では、南極の氷床が北上し、諸大陸を覆うことはなかった。しかしそれは諸大陸が南極から遠く離れていたからにすぎない。アンデス山脈には氷河が発達し、その一部はパタゴニアにも流れ出していた。南半球の他の地域にはおおむね氷河はなかったが、多くの地域で気候が寒冷化・乾燥化し、風変わりな砂漠に覆われた。
さらに驚くことに、この地球規模の極寒期(約13万年前に始まり、約2万6000年前にピークを迎え、約1万1000年前に終わった期間)そのものは、氷河時代ではない。それは氷河時代の一時期に過ぎず、270万年前から数十回繰り返されてきた氷河の拡大期と縮小期(おおむね更新世と呼ばれる年代に当たる)こそを、すべてひっくるめて「氷河時代」と呼ぶ。
氷河時代には、氷地獄が延々と続くのではなく、寒冷期と温暖期がジェットコースターのように入れ替わった。両極から諸大陸に氷床が拡大した時期を「氷期」、氷床が解けて後退した時期を「間氷期」と呼ぶ。このジェットコースターはまさに絶叫もので、気候がコロコロ変わるうえに、温暖期と寒冷期の切り替わり方が急激だった。過去13万年間のイギリスを見ても、国土が厚さ数キロの氷に埋まった時期もあれば、ライオンがシカを狩りカバがテムズ川でくつろいでいた温暖な時期もあった。この両極端な状態の切り替わりは急激なもので、数十年~数百年で起きることも多かった。ヒト1人の一生のうちに起きることもあったほどだ。
1番の驚きは次の単純な事実にある。私たちは今も氷河時代の中にいる。現在は間氷期の1つにすぎず、氷床は拡大を停止しているにすぎない。そう遠くない将来、地球は再び氷期に突入し、シカゴやエジンバラはまたしても氷床に覆われる。しかし、人類がいま大気に放出している諸々の温室効果ガスがその寒冷化を抑制するだろう。地球温暖化がもたらす、好ましい(そしておそらくは予期せぬ)副作用の1つである。