じじぃの「カオス・地球_456_哺乳類の興隆史・第10章・ヒトという哺乳類②」

The Analysis of Ardipithecus ramidus -- One of the Earliest Known Hominids

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EC9aIth1ah4


【図解】エチオピアで最古の猿人の全身骨格を発見

2009年10月5日 AFPBB News
図は、エチオピアで1992年に発見され、94年に最古の人類とされるアルディピテクス属のラミダス猿人と断定された化石「アルディ(Ardi)」について示したもの。
https://www.afpbb.com/articles/-/2649616

『哺乳類の興隆史――恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』

ティーブ・ブルサッテ/著、黒川耕大/訳、土屋健/監修 みすず書房 2024年発行

約3億年前に爬虫類の祖先と分かれたグループが、幾多の絶滅事件を乗り越えて私たちに至るまでの、途方もない歴史を描く書。

第2章 哺乳類が出来上がるまで より

ペルム紀末、現在のロシアに当たる地域には多くの獣弓類が生息し、火山地帯からそう遠くない場所で暮らしていた。ゴルゴノプス類がディキノドン類に犬歯を突き立て、キノドン類がシダ種子植物の森に身を潜めていた。それらの動物が噴火の直接の被害者となったにちがいなく。多くは低俗な災害映画よろしく文字どおり溶岩に飲み込まれただろう。
しかし被害はこれに留まらず、溶岩よりずっと恐ろしい火山の潜在的な脅威が露わになった。「サイレントキラー」と呼ばれる二酸化炭素やメタンなどの有害なガスが溶岩とともに湧き上がり、大気に放出され世界に拡散したのだ。これらは温室効果ガスであり、赤外線を吸収して地表に送り出すことで熱を大気に留める。おかげで急激な温暖化が起き、気温が数万年で5~8度ほど上昇した。
いま起きていることに似ているが、実は現在の温暖化よりはペースが遅かった(現代人に現状の再考を迫る事実だ)。それでも海洋を酸性化・貧酸素化させるには十分で。殻を持つ無脊椎動物やその他の海棲生物が広範囲で死滅した。

第10章 ヒトという哺乳類 より

ガダ・ハメドはアファル族の一員で、エチオピアのアワシュ地域(アフリカの東部、紅海とアデン湾が交わる辺り)に住んでいた。ガダには「ガディ」というあだ名があったが、アメリカの古人類学者からは「ジッパーマン」と呼ばれていた。
両者の出会いは1990年代初頭にさかのぼる。化石を探していたカリフォルニア大学の調査隊の面々がふと顔を上げると、短身で猫背の男がこちらをにらんでいた。弾薬ベルトを袈裟がけにし、手にはライフルを持っている。研がれた切歯は鋭いキバのようで、首にジッパーの鎖を巻いていた。その鎖は10年前におよぶ内戦で共産党の軍事政権と戦ったときに手に入れた敵を倒した証(キルトロフィー)だった。

その男には関わらないほうがいいことを、調査隊のエチオピア人隊員は知っていた。なにせ自分たちも戦争で傷を負ったくちで、ベルハネ・アスフォーなどは共産主義者に逆さ吊りで拷問され、何とか命広いしていた(その後、地質学の学位を取り、エチオピア随一の人類の起源に関する専門家になった)。アスフォーと他のエチオピア人隊員は調査隊の隊長――ティム・ホワイト――にキャンプを引き払うべきだと直訴した。ホワイトは好戦的な完璧主義者で、人一倍執念深く人類の起源を追求していたから、よほどのことがないかぎり諦めたりしなかった。でもこの時ばかりは諦めざるをえなかった。

翌年、ホワイトの調査隊はエチオピアに舞い戻り、ジッパーマンに再開した。この時は取引を持ちかけ、仲間に引き入れた。ガディはすぐさま調査隊の活動に欠かせない駒になり、見張り、案内役、用心棒、化石採集員と、1人で何役もこなした。常々、現地の人との協力関係を大切にしていたホワイトだったが、ガディとは特別な絆を結ぶにいたった。ホワイトの車にはガディが同乗するようになり、ボスが化石を求めて砂漠を疾走するあいだ、無言で銃器をひけらかした。1993年12月下旬のある日、ホワイトはふと直感を得て、ある露頭の近くに停車した。凸凹コンビが車を降り、辺りを探る。

「ティム博士」ガディが声を張り上げた。「こっちに来て」
ガディが多くの石の中から、ホミニン(ヒトの系統に属する初期のメンバー)の臼歯と思われる小さな白い歯を発見した。このトロフィーは、それまでのキルトロフィーよりも断然古い、約440万年前のビンテージものだった。

ホワイトが他の隊員を呼び集めた。戦闘とラクダの世話には慣れていても、学校できちんと科学を学んだことのないアファル族の戦士が大発見を成し遂げた場所で、博士課程の学生がこぞって地面に目を凝らした。すると次々に化石が見つかり、1本の犬歯を皮切りに同じ個体に属する10本の歯が産出した。後年、ホワイトとアスフォー、それと日本人の研究者仲間である諏訪元がその化石を新種として記載し、アルディピテクス・ラミダスと名づけた。「アルディ」はアファル語で「地面」、「ラミダス」は「根」を意味する。アルディピテクスがヒトの系統にぞくすることは明らかだった。
上顎の犬歯が小型でダイヤモンド型なのはヒトならではの特徴であり、下顎の前臼歯と擦れるうちに鋭くなるチンパンジーやゴリラの短剣のような犬歯とは異なっていた。しかし、それ以外は不確かなことばかりだった。アルディピテクスは人間のように後肢で直立歩行をしていたのか、それとも類人猿のように木に登っていたのか? 両手は何に使っていた? 脳は私たちのように大きかったのか、それともチンパンジーのように小さかったのか? これらの疑問に答えるためにはもっと完全な化石が必要だった。
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私たちをヒトたらしめている諸々の特徴の中でも、直立二足歩行こそが要(かなめ)であるように見える。ガディのアルディピテクスは、直立二足歩行の進化を垣間見せてくれる、最古の良好な証拠だ。アルディが後肢で歩けたことは化石を見れば分かる。股関節にある筋肉の付着部が顕著で、二足歩行に欠かせない強力な大腿四頭筋を固定していたことがうかがえるし、足も頑丈でかつ幅広で、かかとが地面を離れてからつま先が離れるという動きで大地を蹴り上げていたはずだ。しかし歩行専門だったわけではなく、アルディには対向性の足の親指と長い腕という木登りのための特徴も備わっていた。
アルディは、初期ホミニンの木登りから地上歩行への移行がひと息には起きなかったことを示している。むしろ、歩行も木登りもこなし、樹上でも草原でも時を過ごす段階を踏んでいたようだ。初期ホミニンはジェネラリストだったわけだが、その一方で明らかに新天地を目指してもいた。開けた草原に進出した理由ははっきりしない。捕食者から逃げようとしたのか、新たな食料を探していたのか、それとも森が縮小するなかでただ生き延びようとしたのか。分かっているのは、初期ホミニンが二足歩行を始めたのは大きな脳を発達させて石器を作りはじめる前だったことだ。そうした諸々の革新がヒトに起きたのは、どうも直立歩行がきっかけだったらしい。おそらく両手が移動という用途から解放されたおかげで、新たな高カロリーの食料を摂取しそれを脳の組織に変えることが可能になったのだろう。