【UG】完全解説『もののけ姫』その1~エボシ御前はサンの母仮説 2018/10/21 #253
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【ターニャの映画愛でロードSHOW!!】『もののけ姫』エボシは死ぬはずだった!? 彼女が生き残ったワケとは
2018年10月26日 citrus
人間が快適に生きていくためには、自然を開拓することが必要です。それは、現代だけの話ではなく、古代文明から人類がずっと抱えてきた命題です。
必然的に人間と自然は対立せざるを得ないようにも思えます。監督自身、「人間がつつましく生きていること自体、自然を破壊しているんだという認識に立つと、どうしていいかわからなくなる」と語っています。そして、「荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ない」とも。
それでも、宮崎監督は、このようにも述べているのです。「……憎悪と殺戮のさ中にあっても、生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る」と。
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第6章 始まりは、1954年――『もののけ姫』 より
『ラピュタ』の章では、宮崎駿が抱えるSF作品への敵対意識を説明しましたが、なぜそこまで憎むかというと、自分が尊敬する対象だからこそです。『デューン』に憧れ、手塚治虫に憧れ、SF作品に親しんでいるからこそ、そんp否定をしたくなる。
一流のクリエイターは、自分が好きなもの、尊敬しているものを、ただ好きなだけ、尊敬するだけでは終わらせないのです。むしろ自分に影響を与えた作品を否定し、乗り越えていくのです。
宮崎駿は『もののけ姫』で従来の作風から一転。ファンタジーを描くのに、架空の西洋世界ではなく、日本を舞台に選びました。その真意には、時代劇への否定があります。自分が慣れ親しんできた邦画の否定と言っていいかもしれません。
1997年の『もののけ姫』公開からさかのぼること4年前、1993年に、宮崎駿は言わずと知れた日本映画界の巨匠、黒澤明と対談しました。日本テレビの番組企画で行われた対談ンは、『何が映画か』という書籍にまとまっています。
当時の番組映像やこの本を確認すればわかるのですが、さすがの宮崎駿も世界のクロサワには緊張したらしく、かなり恐縮して礼儀正しく対談に臨んでいることがわかります。黒澤作品を褒め、黒澤明からの評価を甘んじて受け入れているのですが、どうやら本音で語ってないということがよくわかるのです。
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『七人の侍』がどういう物語かというと、米を狙って野武士が農村を襲っていた。困った農民たてゃ防衛のために、別の武士を米で雇うことに。ついに野武士を撃退して、最後には「勝ったのはあの百姓たちだ」という武士のセリフで終わる、という流れです。
この物語は、太平洋戦争に負けて、やっとの思いで引き上げてきた召集兵たちが、帰ってきたら帰ってきたで、農家の人たちに頭を下げて生きていくしかない。そんな時代背景にリンクしているのです。軍人よりも農家が、戦闘員よりも生産者が偉くなった時代の空気を反映していたのです。
『七人の侍』というのは、いわゆる「時代によって売れた作品」であって、唯一絶対の教科書として崇め奉るべき永遠の名作ではない。宮崎駿はそう主張しているわけです。なぜなら現代では、強い農家というのも、戦う侍というリアリティがない。農業や戦争、食糧難の記憶はすでに薄れています。『七人の侍』といった名作が残してしまった時代劇の方程式をかたくなに守るなんて、時代を見ないバカのすることだというわけです。
では、宮崎駿が『もののけ姫』で最も倒したかった仮想的は何かというと、『七人の侍』でも『ゴジラ』でも『火の鳥』でもなく『AKIRA』でもなければ、同時期の公開で師弟対決と目された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』でもなく、一番は過去の自分自身だったのではないでしょうか・
『ナウシカ』と『もののけ姫』にはいくつかの類似点があります。
たとえば、冒頭のシーンです。
本章の第1章でも引用しましたが、『ナウシカ』はまず風景をバックに「巨大産業文明が~」という、それまでの歴史を語るテロップが出てきます。
それに対して『もののけ姫』もいきなり霧深い海が映されたかと思ったら「むかし、この国は深い森もおおわれ、そこには太古からの神々がすんでいた。」のテロップが出てきます。
語られていることも、似ています。人間と自然のバランスと、その秩序の崩壊を語っています。つまり、テロップの見せ方も、内容も同じです。
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自然とわかりあえる少女としてのサンとナウシカ。物語の途中で片腕を失うことになるエボシ御前は、片腕が義手のクシャナ。どちらも外から来た勇者であるアシタカとユパ。人間を襲う自然の象徴としての、タタリ神と玉蟲。巨大な怪物、ディダラボッチと巨神兵。『ナウシカ』の登場キャラの多くはそのまま『もののけ姫』のキャラに当てはめることができます。
ストーリー展開も同じです。自然と人間が緊張関係にある世界。自然と共存する人もいるなか、ついに自然を倒そうとする集団があらわれる。反撃とばかりに、自然からも人間の手にの負えない怪物が繰り出される。もうダメかというところで主人公が祈りを捧げると、自然が許してくれる。クシャナやエボシ御前のように自然と対立していたはずのリーダーも話の通じるヤツになって、おしまい。ほぼ完全に一致しているのです。