じじぃの「カオス・地球_472_人類はどこで間違えたのか・第2部・アニミズムの再発見」
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アニミズムとは? 日本や海外の例をもとに意味を解説
2023.08.21 ELEMINIST
アニミズム(animism)とは、人間以外の生物を含む、木や石など、すべての物のなかに魂が宿っているという思想や信仰のこと。ラテン語で霊魂を意味する「アニマ(anima)」からつくられた用語で、世界各地のさまざまな民族の宗教や風習に見られる。
このアニミズムは、実際にアニミズムを信仰する人々が使用する用語ではなく、人類学研究において構築された概念である。
https://eleminist.com/article/2869
『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』
気候変動、パンデミック、格差、戦争……20万年におよぶ人類史が岐路に立つ今、あらためて我々の生き方が問われている。独自の生命誌研究のパイオニアが科学の知見をもとに、古今東西の思想や文化芸術、実践活動などの成果をも取り入れて「本来の道」を探る。
第2部 ホモ・サピエンス20万年――人間らしさの深まりへ より
18 世界観を求めて――アニミズムの現代的意味
アニミズムの再発見
自然と深く関わる狩猟採集生活時代の人々の世界観は、アニミズムと呼ばれるすべてのものに魂の存在を感じ取るものであったと思われます。現在の狩猟採集民の世界観から考えても、自然にはどこか不思議さを感じさせるものがあります。実はわたし自身、生命科学から生命誌へと移行した時に、科学の世界にいる時と自然との関わりが変化していることを意識し、そこにアニミズムが関わっていると感じました。以来アニミズムが大事な課題であるとわかっていながら、心……というよりも魂が関わり、宗教に続く課題ですから安易には入り込めず、これまで生命誌として正面から向き合うことはしてきませんでした。
けれども「『私たち生きもの』の中の私」を考える今、「アニミズム」が重要な視点であることを確認しないわけにはいきません。アニミズムについては多くの研究があり、宗教と関連させての考察が必要であることは承知しています。
生命誌を考え始めた頃に文化人類学者の岩田慶治先生にアニミズムについて考えるようにと強く言われたことを思い出します。送って下さった多くの著作を、もっと真剣に読み、お話を伺っておかなければいけなかったと反省しながら、『カミと神――アニミズム宇宙の旅』(講談社)を開いています。ただ、宗教として考察するところまでは考えが進んでいません。著作を読み直して新しいものを探す努力をすることをお約束しながら、ここでは生命誌という知のありようとしての範囲で、アニミズム的思考の必要性を考えるところに止めます。
鶴見和子さんが社会学の立場から、現代の学問にとってのアニミズムの重要性を感じておられ、それについて話し合ったことを思い出しました。鶴見さんはアメリカで社会学を学び、帰国後水俣病の現地調査に参加されました。
アメリカで「社会の中の出来事は社会の中だけで説明する」と教えられ、それを正しいと思っていたのに、水俣の調査では人間と自然との関係を取り入れず考えを進めることはできないと気づいた鶴見さんは、悩みます。そし、て社会に閉じこもらず自然をも取り入れて考えるという姿勢を選び、「内発的発展」という切り口を見出されたのです。発展は一律のものではなく、その土地にある自然や文化によってそれぞれに進められるものであるという考え方です。
水俣病を起こすような現代文明は、一律な進歩拡大を求めてきたところに問題があるということが見えてきたのです。これはまさにわたしが生きものについて、一つひとつの生きものはそれぞれに自分を生かす「自己創出系」であると捉えなければならないと気づいたことと、、ピタリと合う考え方です。そこにはアニミズムが生きてくるというところも重なりました。
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「近代的な学問の中にいながら、アニミズムとは何を言うのか」と非難されそうです。しかし、学問を進めてきたからこそ自然の本質をそのまま見ることができるようになり、自然の中に入り込んで心と身体とで自然を実感していた狩猟採集時代の人々と同じものを感じ取ることになったのです。
詳述はしませんが、宮沢賢治の他にも南方熊楠(みなかたくまぐす)など科学への関心を持ちながらアニミズムの感覚を持つ人が日本にはいます。生命誌では、私たち人間が生きものの1つであるという事実を通して、現代社会におけるアニミズムの意味を考えます。日本はそれを考える良い場だと思いますので。
知ると同時に畏れる
この関係について、中沢新一さんが、「メビウスの帯」で考えるという興味深い示唆を与えてくださいました。メビウスの帯、つまり紙テープを一度ねじってから貼り合わせるとできる輪は、表と裏がつながっています。アニミズムの世界では、私たちが暮らす世界とカミの世界とがどちらでもあり得るという、メビウスの帯のような通路でつながっています。アイヌのクマ送りでは、あちらへ行ったクマがまた戻ってきてくれる、つまり通路を行ったり来たりするのです。
生命誌では、科学研究によって明らかになった生きものの姿を見つめ、その本質を知ることで世界観をつくりあげ、生き方を考えていきます。そこでは生きていることと死ぬこと、人間と自然など、一見分けられるもののように語られる事柄が、実はメビウスの帯の表と裏であると考えると、実態が見えてくるように思います。生きものの世界はこのような形でつながっているのです。
現代社会では、すべてを二元論で考えます。生命に関わることも生と死、男と女、遺伝と環境などと、あたかも両者が対立するものであるかのように語られます。けれども生きものの実態はきれいに二分されるものではありません。生と死も、男と女も、遺伝と環境も、入れ子になってつながっているのです。メビウスの帯です。すべてを二分し、時にそれを対立させたり○か×かを決めたりする現代を考えると、改めて、鶴見和子さんと話し合った生き方の大切さ、とくにいのちに対する畏れを抱くことの大切さを思います。
哲学者であり美学者である今道友信先生が科学を否定的に見る理由を、「科学は好奇心で動くからだ」とおっしゃいました。「珍しいこと、未知のことへの興味」は大事な能力だが、そこには対象に対する畏れがないと先生はたしなめられました。確かに生きものの操作には畏れはありません。
今道先生は、対象への知的な関心には驚き(タウマゼイン)が必要で、そこには知ることと同時に常に畏れがあるのだと語られました。狩猟採集社会にあった世界観であるアニミズムを、原始的とか遅れていると言って切り捨てることはせずに、現代の学問を生かしながら評価することです。恐れではなく畏れを持ち、「『私たち生きもの』の中の私」として地球で暮らす生き方が見え始めました。
