じじぃの「カオス・地球_386_街場の米中論・第7章・カントリー・ジャズ」

ケンタッキーの青い月

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9GYF9_t5h3o

ケンタッキーの青い月(Blue Moon Of Kentucky)


586 ケンタッキーの青い月 ~ブルーグラス・ダイアリー9月編(その7)

ブルーグラス入門
「ケンタッキーの青い月」は、1946年にブルーグラスの父ビル・モンローが書いたワルツで、同年9月16日にコロンビア・レコードで、モンローのバンドであるザ・ブルー・グラス・ボーイズによって録音されました。なお、この曲は単に「ブルー・ムーン」と称されることもあります。

有名なところでは、1954年にエルヴィス・プレスリーがデビュー曲のためにアップ・テンポにアレンジしてレコーディングしたことです。これにより「ケンタッキーの青い月」はさらに大ヒットしました。
https://bluegrass.exblog.jp/240581908/

街場の米中論

【目次】
第1章 帰ってきた「国民国家」時代の主導権争い
第2章 自由のリアリティ
第3章 宗教国家アメリカの「大覚醒」
第4章 解決不能な「自由」と「平等」
第5章 ポストモダン後にやって来た「陰謀論」時代
第6章 「リンカーンマルクス」という仮説

第7章 国民的和解に向かうための「葛藤」

第8章 農民の飢餓
第9章 米中対立の狭間で生きるということ

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『街場の米中論』

内田樹/著 東洋経済新報社 2023年発行

疫病と戦争で再強化される「国民国家」はどこへ向かうのか。
拮抗する「民主主義と権威主義」のゆくえは。
希代の思想家が覇権国「アメリカ」と「中国」の比較統治論から読み解く。

第7章 国民的和解に向かうための「葛藤」 より

内戦の死者を弔う

自由か平等か。連邦政府に権限を集中すべきか。州政府に権限を委譲すべきか。
銃で武装する市民の権利を守るか、市民を銃から守るか。アメリカは統治理念のうちに深い矛盾を抱えているということは繰り返し申し上げた通りです。それが市民たちを対立させ、アメリカを分断しています。コロナ対策でも、反マスク、反ワクチンを主張する市民たちが依拠するのは「自由」です。感染症は全国民が等しく良質な医療を受けるシステムを構築する以外に手立てがありませんが、そのためには公権力が市民の「自分の生命身体を自由に行使する権利」に介入しなければならない。これはどちらかが正しくて、どちらかが間違っているということではありません。果たしてアメリカ人を統合する手立てはあるのでしょうか。

僕はあると思います。国民的和解のための手立てはある。そして、建国以来、多くのアメリカ人たちはそれを希求してきた。

アメリカ人同士が統治原理の違いで殺し合った最大の事件は南北戦争です。この戦争では61万人のアメリカ人が戦士しました。これは第二次世界大戦の死者40万人、ベトナム戦争の死者4万7000人と比べた時に、その戦禍の大きさが知れます。

王と呼ばれた男、エルヴィス

ハックルベリー・フィン(マーク・トウェインの短編小説『トム・ソーヤーの冒険』)が南北和解の文学的達成だとすると、分断されたアメリカの国民的和解を音楽的に達成したのはエルヴィス・プレスリー(Elvis Aron Presley、1935-1977)ではないかという仮説を僕は持っております。
エルヴィスの「ロックンロール」は短期間ではありましたが、アメリカにそれまで誰も達成できなかった「人種的融和」をもたらすことに成功したからです。

1950年代、アメリカのヒットチャートは、ポピュラー音楽とカントリー&ウェスタン、リズム&ブルース(R&B)の3つに分かれていました。白人音楽であるカントリーと黒人音楽であるR&Bの間には乗り越え不能の壁があり、カントリー・チャートとR&Bチャートに入る曲が「かぶる」ということはまずありませんでした。

「レイス・ミュージック(race music)というのはR&B、ジャズを含む「黒人音楽」のことですが、「人種音楽」という表現そのものが、それはどういうエスニック・グループに選考されているかということ以上に、そこで偏愛される音楽は決して人種の壁を超えることができないだろうという限界性を示しています。

それはまた地域差でもあります。カントリーは文字通り「田舎の音楽」です。ミュージシャンもリスナーも圧倒的に中西部に偏っています。村上春樹さんがボストンからロサンゼルスまでドライブしたとき、アパラチア山脈からロッキー山脈を越えるまでの2週間、どのFM局を回してもカントリーしか流していなかったと書いていますし、いまでも、ラジオからじゃんじゃんロックが流れてくるのは、東海岸と西海岸だけのようです。その分布はアメリカにおけるレッドステート(共和党支持州)とブルーステート民主党支持州)とかなりの部分重なります。それほどにアメリカの文化的分断は深いということです。

でも、「全国的なヒット」になるためには、この分断を超えなければならない。可能性があるのは「白人のように歌う黒人歌手」か「黒人のように歌う白人歌手」のどちたかということになります。エルヴィスは後者です(前者の条件に相当するミュージシャンを僕は思いつきません。試みた人はいたのかも知れませんが「全国的なヒット」は達成できなかった)。

エルヴィスはテネシー州メンフィスで少年時代を送りました。両親が貧しかったために黒人が集住する地域に住み、結果的に黒人音楽に深く親しむようになりましたが、カントリーも身体化している。1人の人間の身体の中に2種類の音楽が融合して存在してい。エルヴィスがナショナル・チャートで1位を最初に獲得したのはI forgot to remember to forget(1955年)ですが、これはカントリー・チャートでの1位です。エルヴィスはカントリー・シンガーとしてまず認知されたのです。

でも、その後、決定的な転機が訪れます。ある日、エルヴィスがサン・レコードのスタジオでのリハーサル中に、カントリーの大御所ビル・モンローの名曲「ケンタッキーの青い月(Blue Moon of Kentucky)」をしだいにテンポを上げながらチャック・ベリーやリトル・リチャードの歌唱法を真似て歌っているうちに、それまで誰も聴いたことのない音楽が生まれてしまった。サン・レコードのサム・フィリップスが偶然それを録音していました。このときエルヴィスが歌った「ケンタッキーの青い月」が「ロックン・ロールの誕生」と呼ばれているのは、そこでカントリーとR&Bがはじめて音楽的に融合したからです。

その後、エルヴィスは「ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)(1956年)でポップス、カントリーで1位、R&Bチャートで5位という歴史的な記録を打ち立てました。
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1955年から58年にかけてというごく短い期間でしたけれども、テネシー州メンフェスやナッシュビルという、これまたごく狭い地域において、伝統的な黒人音楽と白人音楽が融合したまったく新しい音楽が生まれました。そのこと自体は音楽史的には周知のことですけど、人種間の壁に阻まれていた2つの音楽ジャンルを「和解」させたことは、ただ新しいジャンルを切り拓いたという以上にアメリカ史において画期的なことだったと思います。

エルヴィスは「キング」と呼ばれています。いまに至るまで「王」と呼ばれるミュージシャンはエルヴィス以外にはいません。それはアメリカのオーディエンスが一時的にではありましたが、50年代末のある一瞬だけ「分断されていた国民を統合した人」として彼を認知し、その偉業に対して真率な敬意を表していることの証だろうと思います。