じじぃの「カオス・地球_474_人類はどこで間違えたのか・第3部・農耕社会の問題点」

【28分解説】銃・病原菌・鉄|ジャレド・ダイヤモンド ~世界に衝撃を与えた人類史の究極ミステリー~【28分解説】銃・病原菌・鉄|ジャレド・ダイヤモンド ~世界に衝撃を与えた人類史の究極ミステリー~

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実は、狩猟時代のほうが農耕時代より「豊か」だった?


【歴史】実は、狩猟時代のほうが農耕時代より「豊か」だった? 最近の研究で明らかになった、太古の人間の生活

2024/9/12 Yahoo!ファイナンス
気候変動、パンデミック、格差、戦争……、私たち人類を襲う未曽有の危機を前に、20万年にわたる人類史が岐路に立たされている――。そのように言っても、大袈裟に感じる読者は少ないのではないでしょうか。
そんな今、40億年の生命誌からヒトの生き方を問い直そうとしているのが、レジェンド研究者・中村桂子さんです。
科学の知見をもとに古今東西の思想や実践活動に学び、「本来の道」を探った著書『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』より一部抜粋・編集して、生き方を見つめ直すヒントをお届けします。

興味深いのは、その後紀元前3500年までの間に主要作物にオオムギなどが加わりはしたものの、この5地域で栽培され始めた作物が今も食され、しかも私たちの摂取カロリーのほとんどが、これらに頼っているということです。
つまり、植物の中で栽培に適したものは非常に少なく、農耕を始めなかった地域は、そこに暮らす人々にその気がなかったからではなく、栽培できる植物がなかったためといえそうです。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/4a99c0e1b80346e78c2cba1e830b79962dccc02f

『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌

中村桂子/著 中公新書ラクレ 2024年発行

気候変動、パンデミック、格差、戦争……20万年におよぶ人類史が岐路に立つ今、あらためて我々の生き方が問われている。独自の生命誌研究のパイオニアが科学の知見をもとに、古今東西の思想や文化芸術、実践活動などの成果をも取り入れて「本来の道」を探る。

第3部 土への注目――狩猟採集から農耕への移行と「本来の道」 より

22 農耕社会への移行――拡大志向と格差の始まり

農耕社会の問題は拡大と階級格差
まず、1万年前の農耕への移行の際に見られた問題点をあげます。狩猟採集生活の方が多様な食物をとり健康で時間的余裕があったことがわかっているのに、農耕民の方が優位になっていった原因は人口です。農耕の方が養える人数が多いので人口が増え、狩猟採集民を追いやって自分たちの土地を増やしていきました。人口こそ力という捉え方は今も続いています。

農耕の主要作物である穀物は貯蔵可能であるために、農耕に携わらなくとも食べていける人々が生まれ、その後の階級社会へとつながっていきます。そこから富と権力の集中も生まれてくるのです。現在の農耕の歴史を見てそこにある問題点を指摘したジャレド・ダイアモンドは、このような農耕のあり方を見直し、それとは異なる「祝福にあふれた農業の営みを実現する方法」を見つけ出せるだろうかと問うています。これはまさに、生命誌が問うていることです。
実は、ダイアモンドの口調にはこれは難しいぞという響きが感じられます。そうでしょう。でも「祝福にあふれた農業の営み」を見つけなければ人類の未来は危ういのですから、考える他ありません。

地球でなく人間が滅びる
ダイアモンドの指摘のように、とても難しいであろう農耕の見直しをするには、農耕社会から産業革命、科学技術革命へとつながった歴史を見て、問題点を検証する必要があります。

狩猟採集から農耕へというサピエンスだけが歩んだ独自の道が文明を生み出し、それが大きく展開して科学技術文明が生まれました。こうして現代人は我が世の春を謳歌してきました。食べもので言うなら飢餓より肥満に悩む人の数の方が多いと言われますし、東京では世界中の料理が楽しめます。平均寿命は年を追って伸びており、医療の進歩がさらにそれを延長すると期待されています。

けれども、21世紀が始まってから、文明の未来は危ういと感じる人が増えてきました。サピエンスに未来はあるのか。誰にも予測できることではありませんし、悪い未来を望むものではありませんが、東日本大震災に代表される自然災害、気候変動、コロナパンデミックなどの中で多くの人がなんとなく不安を感じていることは確かです。1つには、これらの原因がどう考えても人間活動にあると思わざるを得ないからです。東日本大震災原子力発電所の事故があったために、10年以上たっても人が暮らせない地域ができてしまいました。二酸化炭素の排出量の抑制、ウイルスワクチンの開発など個々の事柄への対処はもちろん必要です。けれども科学技術や社会制度などの力だけでの解決は無理です。そのように言い切る根拠をデータで示すことはできません。ここは生きものとしての直観で、基本からの見直しという立場で考えます。

未来を語る時、地球が危ういとか生きものたちが滅びると言われることがありますが、危ういのは人間なのです。地球が太陽の終焉と共に終わりを迎えることはあっても、人間の力で滅びることはありません。太陽は今後50億年は続くとされますので、地球の心配はしなくてよいでしょう。

地球上の生きものたちはどうでしょう。これはわかりませんが、生命システムは40億年の地球の歴史の中で40億年間進化をしながら続いてきました。もちろん何度も大絶滅はありましたし、これからもあるでしょうが、その中でも必ず生き残るものがあり、しぶとく続いてきたのが生命システムです。地球のありようはこれまでも変化を続けてきましたし、今後も変化します。小惑星の衝突もあるでしょう。さまざまな災害はあっても、地球から生きものたちがいなくなることはないでしょう。これまでの生きものの科学が教えてくれるのは、このシステムのロバストネス(頑強性、堅牢性)です。

問題は人間です。生きものとしての人間は生きる力を退化させ、滅びの道を歩いているように見えます。

危うさの原因は、「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を無視した物語をつくったところにあると思えます。物語は、自然の操作である農耕から始まり、いつの間にか自然を無視した暮らし方を進歩と呼び、それに絶対の価値を置きました。そこで大事な役割をしたのが科学であり、科学技術です。

科学は魅力的な学問ですが、進歩観のもとで科学技術を進めることが良い選択とは思えず、科学に基礎を置きながら「べつの道」を探る「生命誌」という知を考えました。「『私たち生きもの』の中の私」という現実を基本に置いた物語を紡ぎ、時には自然界の生きものたちが紡いでいる物語を読むことで、自然の一員であることを意識しながら自然を解明し続けて行きたいのです。こうして生きものとしての「本来の道」を歩けば、破滅を避けることができるのではないか。やや大仰な言い方をするなら、文明の再構築の試みです。