じじぃの「カオス・地球_470_人類はどこで間違えたのか・第2部・芸術とは何か」

平均律第1巻第1番 前奏曲とフーガ バッハ BACH

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MYRTmHmrsa8

バッハ


『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ブライアン・グリーン/著、青木薫/訳 講談社 2023年発行

第8章 本能と創造性――聖なるものから崇高なるものへ より

芸術的想像力は、生き残りに役立たないのか?

アインシュタイン相対性理論も、バッハのフーガも、生き残りのための直接必要なものではない。それでもこのふたつの仕事は、わわわれ人類が優勢になるために大きな役割を果たした能力が極限にまで高められた例なのだ。
科学的才能と、現実世界でぶつかる難問を解決する能力との関係はわかりやすいかもしれないが、それほどわかりやすくないにせよ、類推や隠喩を使って合理的に考える心、色と質感を表現する心、そしてメロディーとリズムを思い描く心は、認知作用のランドスケープを耕して豊かな実りをもたらす心なのだ。私は難しいことを言っているのではない。ただ、槍を作り、食べ物を煮炊きすることを発明し、車輪を利用し、もっと後の時代にはロ短調ミサ曲を作曲し、さらに後の時代には、硬直した空間観にひびを入れるために、われわれ人類の仲間たちが必要とした柔軟な思考と自在に働く直観を鍛錬するうえで、芸術的な心が決定的な重要な役割を果たしたのかもしれないと言っているのである。
何十万年ものあいだ続けられてきた芸術的な努力は、人間の認知作用の遊び場だったのかもしれない。その遊び場で、われわれは想像力を鍛え、イノベーションのために必要な知的能力を身につけてきたのだろう。

                    • -

『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌

中村桂子/著 中公新書ラクレ 2024年発行

気候変動、パンデミック、格差、戦争……20万年におよぶ人類史が岐路に立つ今、あらためて我々の生き方が問われている。独自の生命誌研究のパイオニアが科学の知見をもとに、古今東西の思想や文化芸術、実践活動などの成果をも取り入れて「本来の道」を探る。

第2部 ホモ・サピエンス20万年――人間らしさの深まりへ より

15 人間らしさと私たちという意識――芸術への道

芸術って何だろう?
言語の次は芸術です。様々な地域で発見された洞窟画は、かなり古い時代から芸術活動が行われていたことを示しています。7万3000年ほど前の地層から見つかった装飾品は、自らの身体を飾りたいという欲求の表現であると同時に、仲間の中でのありようを示すコミュニケーションでもあったでしょう。自らからの表現は言葉だけではありません。

芸術とは美的価値の創造・表現であり、その背景には社会や人生における矛盾・哀歓などがあると言われます。役に立つとか立たないとかは抜きにして、何かを表現したいという気持ちの表れなのです。

でもそれが、人間が人間であることとどう関わるのか。これまでと同じように、生きものの世界ではどうなっているだろうというところから見ていきます。

芸術はヒト特有のものなのか?
すぐに気づくのは、自然には私たち人間が美しいと思うものがたくさんあるということです。バラもタンポポもスミレも美しい花を咲かせます。多種多様な昆虫にはみごとな色彩と模様を持つ仲間がたくさんおり、生命誌研究館で研究したオサムシは「歩く宝石」と呼ばれています。木々の葉1枚とっても、その形や色彩に美しさを感じますし、とくに季節と共に緑の色合いが変化していく様子など、人の力では表現しきれない美しさがあります。私の家からは丹沢の向こうに富士山が見えるのですが、毎日眺めても倦(あ)きません。とくに夕日が落ちた後のシルエットはみごとです。

ところが現代社会は、このような美しい自然の中での暮らしから離れ、都市化を求めてきました。自然に近い存在でありながら、その上で新しい技術を活用する生活もできたはずです。しかし、それを求めず、自然離れをして機械の中で暮らす方向がよりよい姿だと信じて進歩を求めてきたのはなぜでしょう。

生きものを含む自然に美しさを感じ取る能力は、他の生きものたちのもあるのか。それとも人間特有か。調べた限りではこの問いへの答えは見つかりませんでした。生命誌としては、ここでも他の生物との連続性と人間特有という非連続性とがあるだろうという気がします。

他の生きものたちにも美と関連して考えられる日常があります。たとえばニューギニア生態学の研究をしていたジャレド・ダイアモンドによる、美しい小屋をつくるアズマヤドリの紹介がそれです。直径が2.4mもあるその小屋は、石などが除かれてきれいにされた床の上に花や葉た果物、さらにはチョウの翅(はね)などが色ごとに分けて並べられています。このように飾りたてた小屋はオスがメスを呼び込むためにつくるものであり、種によって青を好むもの、赤や緑を好むものとさまざまあるとのことです。すばらしい飾りをつくれるオスほど優れているということなのでしょう。ただ、アズマヤドリがこれを美しいと思っているかどうかはわかりませんし、この小屋には子孫を残すためという生きものとしての目的がありますから、芸術の始まりをここに見るのは無理があるとダイアモンドは言います。賛成です。

動物園には絵を描く動物たちがいます。ロシア侵攻を受けたウクライナ支援のために、千葉県にある「市原そうの国」がゆめ花など数頭のアジアゾウが描いた絵を販売しました。鼻を使ってキャンバスにきれいな色の絵を描く姿は可愛いものです。タイでは絵を描くように訓練されたゾウが何頭も育てられており、絵の市場もあるともことです。ゾウの場合、絵を描く複雑な過程を記憶しているらしく、その能力の高さには驚かされますが、自然界には絵を描くゾウはいません。ゾウの世界に芸術があるとは言えないでしょう。

チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿やサルも、飼育下では絵を描きます。夢中で何枚も描き続け、筆を取り上げられると怒るチンパンジーもいるとのことですから、絵描きになる素質があるチンパンジーがいるのかもしれません。しかし、チンパンジーも自然界で絵を描くことはありません。「忙しくて描く暇はないのかもしれない」とダイアモンドは推測していますが、それはともかく、類人猿の世界にも芸術があるとは言えないようです。芸術はヒトという生きもの独自の世界と考えてよさそうです。