じじぃの「宮崎駿・第7章・千と千尋の神隠し・湯婆婆!ジブリアニメの世界」
千と千尋の神隠し:湯婆婆の正体を考察!
2023.10.24
多くの人に愛されているジブリ映画、千と千尋の神隠し。
その主要人物の一人であり、千尋が働くことになった油屋の経営者であるのが湯婆婆です。
非常に大きな顔をした老婆のような見た目は特徴的で、一度見たら忘れられないという人も多いのではないでしょうか。
油屋の経営者として、映画の中でもさまざまな場面で登場しています。
そんな湯婆婆の正体とはいったいどのようなものなのでしょうか。
https://visionwork.co.jp/spiritedaway/character/315.html
第7章 スタジオジブリと銀河鉄道――『千と千尋の神隠し』 より
わからないけれどおもしろいのはなぜか
『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』と、連続でヒット作を生み出し続けてきた宮崎駿。その後、2001年にジブリ史上最大のヒット作を生み出します。それが、『千と千尋の神隠し』です。
興業収入は、近年にリバイバル上映された収入も加算すると316億8000万円。この興業収入は2020年に『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が公開されるまで、日本における歴代興業収入ランキング1位に20年近く君臨し続けた歴史的大ヒット作でした。
そんなジブリ史上最大の人気作である『千と千尋』ですが、『紅の豚』と同様に、宮崎駿の私小説的な要素が詰まっている作品です。あとで解説しますが、この作品で宮崎駿は、やりたかったことを実現させ、自身を取り巻く環境を丸ごと作品に込めています。宮崎駿による、宮崎駿のための、宮崎駿の映画と言っても過言ではないでしょう。
正直、僕はあまり『千と千尋』はジブリ作品のなかでも好きなほうではありません。宮崎駿は、脚本家ではなく、あくまで監督、物語構造の破綻に寛容な僕ですが、それでも『千と千尋』は謎や矛盾が多く目につきます。
ですが、ジブリが2016年に『レッドタートル ある島の物語』のキャンペーンで行った人気投票、スタジオジブリ総選挙では最多得票となっています。やはり、興業収入300億超は伊達(だて)ではなく、いまも広く人気があるようです。
よくよく考えてみれば、僕としても『千と千尋』は、「好みじゃないけどおもしろい」と言ったほうが正確かもしれません。宮崎駿のやりたかったこと、実現したかったことが散文的に盛り込まれていて、全体的に謎を多く含んだ『千と千尋』。複雑な要素があるからこそ、深みが生まれているとも言えますし、分析や考察のしがいのある作品となっていることは間違いないです。
では、宮崎駿は『千と千尋』で何を描こうとしたのか。その結果、どんな謎が生まれているのか。解き明かしていこうと思います。
湯婆婆のモデルとなった鈴木敏夫
ここまで見ていけばもうおわかりのとおり、油屋を経営する湯婆婆は、「でかい声」を出すプロデューサーです。宮崎駿のインタビュー集『風の帰る場所』で、こう語られています。
湯婆婆には、湯婆婆のストーリーというか、大人の生活があるはずですから、プロデューサーはね、夜な夜ななにをやっているか知りませんけど、なんか出掛けていくしね。なんか難しい作業をしていたらしくて、グッタリ疲れて帰ってくるし(笑)
さて、宮崎駿が、湯婆婆で描きたかったプロデューサー像というのはどういうものだったのでしょうか。インタビューで匂わされているような、忙しい鈴木敏夫への同情だけではないでしょう。
当時、拝金主義になりつつある鈴木敏夫への批判的意識もあったのではないだとうかと僕は考えています。
というのも『千と千尋』の制作に取りかかぅていた1999年に、高畑勲が監督した『ホーホケキョ となりの山田くん』が公開されますが、スタジオジブリとしては久しぶりに興業的に大失敗していました。
それにより、ジブリの経営状態は悪化。当然、プロデューサーの鈴木敏夫は「次は、とにかくヒットさせなければ!」と躍起になり、次回作の企画を考えていた宮崎駿にも大きな影響を与えていたはずです。『もののけ姫』の大成功があった手前、失敗するわけにもいきません。
しかし、宮崎駿は金儲けや興業的成功に一切の興味を持たない人間です。そんな宮崎駿からすれば、商業的観点を重視する鈴木敏夫が、だんだんと悪役のように見えてきたというのは自然な流れでしょう。
つまり、宮崎駿が伝えたかったのはこういうことではないでしょうか。
「お客様は神様であって、そんな神様の機嫌を取るようなおもしろいアニメを、湯婆婆の指示に従いひたすら作り続ける。それが俺たちの仕事だ! 地道な作業のなかには、千尋が名前を奪われたようにクレジットにも残らない仕事もあるかもしれない。まさにオレタチの仕事は、この油屋そのものじゃないか!」と。
プロデューサーの拝金主義。従業員に見せるリーダーとしての顔とは別に、どこかへ出かけていく外向きの顔。おもしろいのは、これらの事実に呼応するように、もうひとりの湯婆婆ともいえる銭婆が登場することです。銭婆がなぜ「銭」の名を持つのか。実はプロデューサーの拝金主義を示しているというオチなのではないでしょうか。
