じじぃの「宮崎駿・第4章・魔女の宅急便・魔法は才能!ジブリアニメの世界」

魔女の宅急便 / Kiki’s Delivery Service - 久石 譲

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=XavziZ-C6qY

なぜキキは飛べなくなったのか『魔女の宅急便』の「疎外感」という恐怖

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 1989年に公開された『魔女の宅急便』は、2つの意味でスタジオジブリの分岐点となった作品だ。

ひとつめの分岐点は、本作の監督が宮崎駿でない可能性があったこと。当初の予定通り若手監督が作っていたら、スタジオジブリのその後はどうなっていただろうか。そして、ふたつめの分岐点は、本作が大ヒットしなければ、スタジオジブリがここで終わっていた可能性もあったということ。これは大きく言えば日本アニメーション史の分岐点でもあったといえる。
https://crea.bunshun.jp/articles/-/36218

『誰も知らないジブリアニメの世界』

岡田斗司夫/著 SBクリエイティブ 2023年発行

第4章 「才能」とはどういうものか?――『魔女の宅急便』 より

子ども向けに見せかけた大人向け

『トロロ』まで苦戦続きだったジブリですが、ついに『魔女の宅急便』で大成功します。具体的には、配給収入21億5000万円。1989年の邦画トップです。一気に『ラピュタ』『トトロ』の4倍。成功した『ナウシカ』と比べても3倍。これはもう大ヒットです。

この作品以降、ジブリは安定的にヒットを出し続けることになります。理由は、ファミリー層の支持です。というのも、やっぱり『ラピュタ』『トトロ』は宮崎駿の公言どおり子ども向けの映画です。大人が観て深く楽しめるシナリオではないかと正直思います。それが『魔女の宅急便』で明らかに変わりました。

魔法とは才能のこと

女性の社会的自立を描いたことがすぐわかると言いましたが、大人向けに楽しめるというのは、つまりメタファー(暗喩)がわかりやすく提示されているということです。

たとえば、主人公がなぜ魔法を使えるのか、魔女なのかというと、「魔法=才能」というわかりやすいメタファーになっているからです。

このことは宮崎駿自身、各所のインタビューで何度もそう言っています。著作集『出発点』で確認できる企画書にも、

  「魔女の宅急便」での魔法は、そんなに便利な力ではありません。
  この映画での魔法とは、等身大の少女たちのだれもが身っている、何らかの才能を意味する限定された力なのです。

というふうに書いてあります。

魔法は才能だからこそ、キキのようによく考えずに使えることも、急に使えなくなることもある。でも、ひょんなきっかけで、また使えるようになる。宮崎駿たち漫画家やアニメーターの世界でも同じです。スラスラ描けることもあれば、スランプもある。でも最後には割とうまくいく。これが才能とのつきあい方なのです。

少女が見知らぬ街で、才能が認められるようになるまでの物語。「魔法=才能」のメタファーを用いて、少女の社会的自立を描いているのが、『魔女の宅急便』である。多くの観客はここまでは簡単に読み解けているのではないかと思います。

宮崎駿の危機感

「才能があるくせに、なまけやがって」というのは、宮崎駿にとって、アニメーターとしての実感だったのだと思います。

自分たちが徒弟制度のごとく受け継いできた、手書きアニメーションの技法が失われていく。便利なコンピュータ、CG、アルゴリズムを使って誰でも同じ絵が作られる。実物の観察、スケッチを繰り返すことなく、テレビや映像ソフトで見てきたアニメを拡大再生産してアニメを作るヤツが増えてきた。今の若手はちょっとした日常演技も満足に描けない。機械は使いこなせても、手で描くとなるとすぐにデッサンが狂う……。

アニメーション技術は没落してしまったというのが、宮崎駿が長年抱え続けている思いです。ご存知のとおり、彼はCG嫌いで知られていて、手仕事の雰囲気がジブリのブランドイメージにもなっています。『崖の上のポニュ』では現代のアニメとしては異例の、CG排除という行動にも出ています。

携帯やスマホも、本人としては表向き使ってないことにしています(表向きというのは、実は持っていると鈴木敏夫がバラしてしまったことがあるのです)。科学技術によって、ある種、人間の才能が衰退していくというのが宮崎駿の考えです。

ちなみに、少し話が脱線しますが、おもしろい話があります。宮崎駿の価値観に影響を与えた、一見説教くさい作品の多い高畑勲ですが、宮崎駿とは反対に最新技術を好みました。実は『ホーホケキョ となりの山田くん』のような一見素朴な画面は、デジタル彩色だからこそ実現した作風です。ネットサーフィンが趣味で、デモ音源で使用するなど初音ミクもちゃっかり追っていたという意外なエピソードも残っています。

話を戻します。宮崎駿は、日常生活はともかく少なくとも制作現場においては、『風立ちぬ』まで一貫して手仕事に価値を置いています。誰がなんと言おうと、紙と鉛筆で勝負を続けてきました。科学に才能が敗れる時代にあって、ひとり才能を守ってきたという自負があるのです。