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天空の城ラピュタの聖地巡礼スポット5選!日本にある聖地も紹介
2024.05.30 聖地巡礼
『天空の城ラピュタ』は、1986年に公開されたスタジオジブリ作品です。公開から40年近く経った今でも多くの人に親しまれており、地上波で放送される際には毎回観ているという方も少なくないでしょう。
誰しもが一度は憧れたであろう空に浮かぶ島を舞台にした物語は、数あるアニメーション映画の中でも飛び抜けた名作となりました。そんな『天空の城ラピュタ』の舞台のモデルとされている場所は世界各地にあります。
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第2章 SFアニメはどうあるべきか?――『天空の城ラピュタ』 より
アニメブームに負けた宮崎駿
今でこそ宮崎駿は国民的人気で、『ナウシカ』や本章で解説する『天空の城ラピュタ』といったジブリ初期2作品の評価もとても高いのですが、当時はそこまでではなかぅたというのは忘れないでおきたいところです。
師匠でもあり、のちに永遠のライバルともなる高畑勲監督のもとで『太陽の王子 ホルスの大冒険』『パンダコパンダ』『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』といった数々の名作に参加する宮崎駿。彼がついに監督となって初めて自ら作品を率いたのが、1978年に放映されたテレビシリーズ『未来少年コナン』です。
終末世界をたくましく生きる人々を描いた『コナン』も、あとの宮崎作品同様、現在の評価は高いのですが、当時は一部のアニメマニアを除いて評価する人はほとんどいませんでした。
同年公開された『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの映画第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は配給収入21億円と当時の大ヒット。『コナン』と同じテレビシリーズで比較すると、『コナン』最高の視聴率が14%に対し、同年放映の『銀河鉄道999』の最高視聴率は22.8%というように、、『コナン』は初回放映当時の話題作ではありませんでした。
翌年の1979年に公開された、宮崎駿の映画初監督作『ルパン三世 カリオストロの城』も、製作費5億円に対し配給収入3億500万円の大失敗。『ルパン三世』シリーズの映画前作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の配給収入9億2000万円と比較したら、いかに期待外れだったかがわかるでしょう。
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こうした文脈を見ても、宮崎駿は、『ヤマト』から『ガンダム』を経由して『マクロス』で終わるような、いわゆる「第一次アニメブーム」に乗れなかった作家というふうに、僕は位置づけています。
ご都合主義には宮崎駿の性格があらわれている
せっかくの『ラピュタ』の結末が『ヤマト』と同じ、心中になってしまったじゃないか。と、先ほどは追及しましたが、一方で僕は、この結末も悪くないと思っています。
宮崎駿は真面目な人です。真面目な人だから、「主人公は責任を持たなければいけない」と考えるんです。だから最終的には、「大状況の解決を主人公に引き受けさせる」という結末にならざるをえないのではないでしょうか。
ナウシカが玉蟲の行進を、風の谷とペジテの未来を引き受けたのと同様に、パズーとシータにも大状況を引き受けさせるのが、当時の宮崎駿の作劇です。ラピュタというものが恐ろしい兵器としても利用できてしまうことを知ったパズーとシータは、これを止めるために、ともに死ぬことを決意する。なぜなら、この時のふたりに考えつく解決策は、それしかないだろうからです。
自らが用意したキャラを「もう死ぬしかない」というところまで追いつめて、でも最後に奇跡を起こす。ご都合主義と非難されかねないこのカタルシスが、アニメ作品としての華になっていたからこそ、初期宮崎作品は今も色あせない名作になりえたのだと思います。
では、それ以降の宮崎アニメがどうなったのかというと、主人公が大状況を引き受けなくなってしまいました。『紅の豚』にしても、『千と千尋の神隠し』にしても、『ハウルの動く城』にいたっては顕著ですが、主人公の行動や決断によらず、状況自体が解決に向かっていく。
『ナウシカ』にもその片鱗はありましたが、宮崎駿の哲学が「重要なのは状況を引き受ける以上に、状況のなかでいかに生きていくか」というふうに変わっていったからです。
たとえば『もののけ姫』では、状況の責任者ではなく、状況の被害者という立ち位置にまで、主人公を異動させています。主人公アシタカは、呪いを受けており、とにかく自分が生き延びるのが最優先です。
状況を引き受けるのと、状況に任せるのと、どちらの哲学に基づいたストーリーのほうがおもしろいのかは容易に決められませんが、少なくとも『ラピュタ』がイキイキした映画になぅたのは、当時の宮崎駿の哲学あってこそのことだと思います。