じじぃの「人の死にざま_1283_L・ヴィスコンティ」

ルキノ・ヴィスコンティ - あのひと検索 SPYSEE
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ルートヴィヒ(Ludwig II)予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UQfBsUzQU6U
ベニスに死す(Morte a Venezia)予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uBncJW7Wntg
ルキノ・ヴィスコンティ ウィキペディアWikipedia)より
ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(Luchino Visconti di Modrone、1906年11月2日 - 1976年3月17日)は、イタリアの映画監督、舞台演出家、脚本家。
【映画経歴】
1942年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督としてデビュー。この衝撃的なデビュー作は彼が後にロベルト・ロッセリーニらとともにその主翼を担ったネオレアリズモ運動の先駆け的な作品であり、ヴィスコンティロッセリーニヴィットリオ・デ・シーカなどと共にイタリアン・ネオリアリズモを代表する監督とされる。その後数年は舞台演出、オペラ演出に専心したのち、南イタリアの貧しい漁師たちを描いた『揺れる大地』で映画復帰。このネオレアリズモ期の彼の代表作とされる。この頃に共産党から離党する。
『山猫』でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。この時期から晩年は一転して没落する貴族や芸術家を描いた耽美的な作品を多数発表する。クルップ製鉄財閥をモデルとした『地獄に堕ちた勇者ども』、マーラーをモデルにした(トーマス・マンの原作では作家に設定を変えてあるものを作曲家に戻している)『ベニスに死す』、バイエルン王ルードウィヒ2世を描いた『ルードウィヒ』は、19世紀後半〜20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いて「ドイツ三部作」と呼ばれている。

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『巨匠たちの映画術』 西村雄一郎/著 キネマ旬報社 1999年発行
ルキノ・ヴィスコンティ 爛熟した退廃美をいかに表現するか (一部抜粋しています)
ヴィスコンティ映画を見る楽しみは、何といっても、その豪華絢爛たる美術にある。
ヴィスコンティを語る上で見落とすことのできないことは、その家系。ヴィスコンティ家は中世の封建領主を祖先とするミラノ随一の家柄であった。父は公爵の爵位をもち、母は大実業家の娘で、彼らから厳しくしつけられた。その反動から一時期は”マルキシズム”の洗礼を受け、”赤い公爵”とも呼ばれ、庶民を主人公とした映画を作ったこともあった。しかし、後期5本の作品では描くターゲットを貴族と言う特権階級に定め、己れの真情を告白しようと決意したからこそ、だれにも表現できなかった境地に達することができたのだ。それはまさに、血は争えなかった、ということなのである。
そうしたブルジョアジーの生活を知っていたからこそ、部屋の家具、調度品などの隅々にわたるまで、精緻な考証がが可能だった。「ベニスに死す」で、ヴィスコンティは80年の歴史を持つベニスのリド島にある<ホテル・デ・バン>を貸りきって、大広間から食堂、テラスに到るまで、すっかり19世紀初頭のスタイルに作り変えさせている。
こうした贅を尽くしたヴィスコンティの嗜好が究極にまで達するのは「ルードウィヒ」である。この実在の王の物語を撮るために、ヴィスコンティは王が実際に過ごした場所にこだわり、それを最優先させた。
ダイロイト州とルードウィヒ直系の貴族の協力を得て、白鳥の城として有名なノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホフ城、ホーヘンシュヴァンガウ城といった本物の城の中で撮影は敢行された。我々がドイツ観光で見なれたふやけた城が、まさに甦ったとしか思えないほどのリアリティをもって迫ってくるのだ。
そのためには巨額の予算をかけて、数々の装飾が施された。その結果、予算は脹れあがり、資金は底をつき、一時中止の憂き目にあう。主人公のルードウィヒ同様、ヴィスコンティは、とりつかれたと思えるほどの情熱を持って、美の究極へ向かって、行きつく所まで行きつこうとしていたのである。
もうひとつ、映画を観る女性にため息をつかせてやまない衣装についても、書いておかなければならない。
ヴィスコンティ映画のほとんどの衣装は、ピエロ・トージが担当している。「ルードウィヒ」では、19世紀後半の世紀末の爛熟した雰囲気が、「ベニスに死す」では1910年大の復古調ファッションが、貴族の華麗な衣装によって表現された。「地獄に墜ちた勇者ども」では、1930年代のデカダンスナチスの軍服によって強調された。現代劇の「家族の肖像」においては、イヴ・サン・ローラン、フェンディといった名だたるメーカーに、それぞれの登場人物の衣装を作らせ、その性格分けを明確にさせた。色彩、デザイン、時代感覚など、監督の意図を的確にすくいあげるトージの力量は、絶賛に値する。

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