じじぃの「人の死にざま_1386_フェデリコ・フェリーニ」

フェデリコ・フェリーニ - あのひと検索 SPYSEE
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淀川長治フェリーニの『道』を語る 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=sIO8YMsbJzA
'E la nave va', Fellini (1983) En. hard subt. 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=STXjXv_ID3A
フェデリコ・フェリーニ ウィキペディアWikipedia)より
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)はイタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。アカデミー賞特別名誉賞と4度アカデミー賞を取った。「映像の魔術師」の異名を持つ。
『道』『カビリアの夜』『8 1/2』『フェリーニのアマルコルド』で4度のアカデミー賞外国語映画賞を、1992年にはアカデミー賞名誉賞を受賞。『甘い生活』ではカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。20世紀の映画監督として十指に必ず入る巨匠である。

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世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ 本村凌二/著 中公新書 2014年発行
フェデリコ・フェリーニ 敗戦国が生んだ映画の巨匠 (一部抜粋しています)
ローマに滞在すると、定宿があり、そこに隣接するリストランテは4半世紀も愛用している。東京の銀座のようなヴェネト通りの近くにあり、私にとっては居心地のいい場所でもある。
そこで、9月末に、ヤマザキマリさんと仲間を交えて夕食を共にした。あの古代ローマと日本のお風呂を題材にした「テルマエ・ロマエ」で、いちやく名をあげた漫画家である。
楽しい宴の数日後、今度は独りで同店を訪れた。なにげなく宣伝用のパンフレットをながめていると、このリストランテはかつて巨匠フェデリコ・フェリーニが常連だったという説明を読んで驚く。愛用した丸いテーブル席はそのまま残されていた。来年に訪れたら、きっとあの席に座ろうと思うのだった。
そういえば、フェリーニ監督の代表作「ドルチェ・ヴィータ甘い生活)」はヴェネト通りを舞台にする場面も少なくなかったなあ、と思いあたった。
戦後の1950年代、60年代は、イタリア映画の全盛期だった。そのころ小学生、中学生だった身には、それらの良さなどわかるはずもない。それでも「イタリア映画すごし」の雰囲気は感じていたから、ずっと気になっていた。50歳を過ぎたころ、1年間で100本を見てやろうと思い立つ。もちろんレンタル用のビデオ版なのだが、やはり胸に迫ってくるものが多々あった。
ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティフェリーニ、アントニオーニ、パゾリーニなどの監督によって生み出された名作の数々。なかでも、人の世を見つめるフェリーニの優しいまなざしには、なぜかしら心にしみるものが感じられた。
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監督としてのフェリーニの名を高めたのが名作「道」(54年)である。全編にもの悲しい雰囲気がただよい、ニーノ・ロータのテーマ曲「ジェルソミーナ」の甘美な調べとともに、旅芸人の悲惨な生活は観客を涙に誘いこむ。頭の弱い女ジェルソミーナは粗野な大男ザンパノにひたすら従順だった。だが、心やさしい綱渡り芸人に出会ったとき「どんなものでも何かの役に立っている。この石だって」と語られて心洗われる。だが、身勝手なザンパノとの生活が耐えがたくなり、彼女は衰弱していく。その死を知らずに立ち去ったザンパノは、やがてジェルソミーナのひたむきさに気づくのだが。
このようにフェリーニの作品には、へぼ役者、のらくら者、大道芸人、詐欺師、道化などの底辺に生きる雑草のような人々が登場する。これらの人物への愛着がにじみ出るところに、味わい深い心情のヒューマニズムが感じられるのだ。
敗戦国だったにもかかわらず、イタリアは日本よりもいち早く高度成長期を迎えている。だが、物質面での豊かさにもかかわらず、精神面では問題が生じる。倦怠(けんたい)、孤独、愛の不毛といったものがめばえていた。「甘い生活」(60年)では、ジャーナリスト役のマストロヤンニが登場する。上流人の集まるヴェネト通りを根城にするゴシップ記者だった。作家になる夢をもちながら、嫉妬深い女ときっぱりと別れられない優柔不断な男。現代人の心にひそむ風景の空虚さを象徴する画期的な映画だった。
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それにしても、溝口健二小津安二郎黒澤明などとあげて比較してみれば、敗戦国はなぜかくも有能な監督たちを輩出したのか。ふと考えさせられる。