じじぃの「人の生きざま_382_アラン・ドロン」

アランドロン1983年来日(当時48歳)インタヴュー 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=A7YWI10GG00
アラン・ドロン 映画と生きた半生  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hK0ngPbAxJA
アラン・ドロン ウィキペディアWikipedia)より
アラン・ドロン(Alain Delon、1935年11月8日 - )はフランスの映画俳優。1960年代から1980年代初めにかけ美男の代名詞的存在だった。身長184cm。
【日本での反響】
日本での人気は絶大で、美男子の代名詞ともなった。また、女性のみならず、前述の『太陽がいっぱい』『さらば友よ』そして『冒険者たち』『サムライ』『地下室のメロディー』などで幅広い層のファンを獲得した。彼のファッションや映画のセリフ、立ち居振舞い、サングラス、煙草の吸い方などに憧れたり、真似をする男性達が続出した。
2010年には生誕75周年を記念して、「アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」が東京や京都で開催された。

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『私が出会った「世界権力者&超VIP」50人 真実の素顔』 中丸薫/著 イースト・プレス 2013年発行
どん底の青春時代から「絶世の美男子」へ アラン・ドロン(俳優) (一部抜粋しています)
ひと昔前、アラン・ドロンと言えば「美男子」の代名詞でした。しかし、当の本人は、そんな扱いにとまどいを感じていたそうです。
「恥ずかしいことですが、演技の素人である私がいきなり有名人になってしまったので、初めは自分を見失わないようにと、それだけを考えていました。あとは、『太陽がいっぱい』のルネ・クレマン監督と、『若者のすべて』のルキノ・ヴィスコンティ監督に、すべて従おうと決めていました。
 ところが、2人とも『自分の思うままにやりなさい』と言うのです。ですから、どんな演技をすればいいのか、当時はよくわかっていませんでした。結局、日本やフランスをはじめとする世界中の観客が、私のイメージをつくってくれたのです。私は、そのイメージだけは壊さないよう注意してきました」
これだけ聞くと、ドロンさんの人生は幸運に恵まれていたかのように思えます。しかし実際は、両親が幼い頃に離婚し、生きる希望を見出せず、なかば自暴自棄になって軍隊に入隊するという紆余曲折の青春時代を送ったのです。
「志願兵として、陸軍に4年半いました。ベトナムでも戦い、南ベトナムには2年半もいました。若かったので何も知らず、愛国心だけで戦っていました。なぜ戦っているのか、私は自分の行動を説明することもできませんでした。あとになって真実に気がつきましたが、遅かったですね」
除隊後は、職を転々としながら、どうにか食いつなぐ生活。そんなドロンさんに転機が訪れたのは22歳のときでした。たまたま街を歩いているときに、映画関係者からスカウトされたのです。
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黒澤明監督と三船敏郎さんをこよなく愛するドロンさんは、自宅のミニシアターで、三船さんの演技をとことん研究していました。彼は、ふだんは決して人を入れないそのシアターに私を案内し、黒澤明監督と三船敏郎さんがいかにすばらしいか、私に熱っぽく語ってくれました。
ルックスのよさで人気が出た俳優は、たいてい、その後の俳優人生をどう歩むかを悩むことになるものです。しかし、ドロンさんには三船さんという目標があったためか、年を重ねることをとても肯定的にとらえていました。
「将来のことは心配していません。年をとったら、それ相応の新しい役を見つければよいのですから、私はもう、若いロマンチック人間の役はやり終えました。これからは重厚でシリアスな自分をつくりたいです」
その言葉通り、ドロンさんは年を重ねるごとに渋みが加わり、味わい深い俳優になりました。70歳を過ぎた今でも、そのスマートな体型は変わりません。そんなドロンさんを見ていると、年をとることは決して悪いものではないと気づかされます。

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アラン・ドロン Google 検索
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