じじぃの「人の死にざま_430_R・クレマン」

ルネ・クレマン - あのひと検索 SPYSEE
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禁じられた遊び Romance de Amor 動画 YouTube
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Les Felins - Rene Clement - Alain Delon - Jane Fonda 動画 YouTube
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ルネ・クレマン ウィキペディアWikipedia)より
ルネ・クレマン(1913年3月18日-1996年3月17日)は、フランスの映画監督。ボルドー生まれ。サスペンス、コメディ、反戦、恋愛映画と、バラエティに富んだ作品を残した。代表作に『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』など。
【生涯】
1944年、軍事活動委員会が、第二次世界大戦中、ナチス占領下のフランスの鉄道従業員組合のレジスタンスを描く映画をクレマンに依頼し、1945年のセミドキュメンタリー映画『鉄路の闘い』に結実する。この作品は、独特のリアリズム表現が評価され、第1回カンヌ国際映画祭グランプリと監督賞に輝き、クレマンの名は一躍有名になる。
1951年には、幼い子供たちを通して戦争の無残さを訴えた『禁じられた遊び』を発表。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー外国語映画賞を受賞。1955年にはエミール・ゾラの小説を映画化した『居酒屋』など、評価の高い傑作群を残し、世界的な巨匠となる。1959年、アラン・ドロンを主役にした『太陽がいっぱい』が大ヒット。だが、当時のフランス映画界はヌーベルバーグの勢力が強く、以降は商業映画の監督として認知されるようになる。60年代後半からはスリラーに傾倒し、『雨の訪問者』などの作品を残した。1975年公開の『危険なめぐり逢い』以降は、映画製作から離れる。1996年死去。82歳。

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『映画でクラシック』 西村雄一郎/著 新潮社 2007年発行
ルネ・クレマン
誰がギターの超名曲を作曲したのか? −−『禁じられた遊び (一部抜粋しています)
NHKの昼の生番組「スタジオパーク」にチャネルを合わせたら、あるギタリストが『禁じられた遊び』を弾いていた。そこで司会の堀尾正明アナウンサーが「私も練習した『禁じられた遊び』! あの名曲を作曲したナルシソ・イエペスさんに師事した方が、今日のお客様です」と紹介した。それを聞いた瞬間、あ、これはいかん、NHKは影響か大きいから、ちゃんと訂正しておかねば、と思った。そこで私は、以下の内容を簡潔に書いて、NHKにファックスを送った。
というのは、あの映画『禁じられた遊び』(1952年)のテーマ曲を作曲したのは誰か?という問題である。調べてみると、これには、いくつもの説があった。映画で演奏したイエペスか? スペインで売られている楽譜のカタログには、イエペスのオリジナル曲として載せられている。ところがこの映画からさかのぼること10年、タイロン・パワーが主演した『血と砂』(41年)のながで、この曲はすでに登場しており、そこで演奏していたのは、マドリードのギタリスト、ビンセント・ゴメスだった。
作者不詳のスペイン民謡『愛のロマンス』が原曲だとする説も、かなり広く浸透している。しかし『愛のロマンス』という民謡が存在するわけではなく、原語の「ロマンセ」とは、スペインの伝統的な詩形の一種にしかすぎない。
あるいは、19世紀の後半に活躍したスペインのギタリスト、アントニオ・ルビラが作った『アルペジオ練習曲』が原曲ともされている。彼が活躍したアルゼンチンでは、この曲はルビラ作曲として出版されているほどだ。
こうなってくると、どれが真実なのか、混沌としてくる。そのうち、これは映画で実際に曲を使ったルネ・クレマン監督に確認するのが、最も明瞭だと考えるようになった。だからパリの豪邸で、インタビューが実現した時、まず一番に質問したのは、この曲に関してであった。
巨匠は、この曲に至った経緯を詳しく話してくれた。それによれば、最初、映画の音楽を担当する予定だったのは、クレマンの習作時代の短編2本と、『鉄路の闘い』(45年)、『海の牙』(46年)、『ガラスの城』(50年)の長編3本の音楽を担当したイブ・ボードリエだったという。
ところが『禁じられた遊び』に関しては意見が真っ向から対立した。ボードリエは「弦楽器をたくさん使ったオーケストラ曲がいい」と主張した。ところがクレマンは、もっと小さな、慎ましやかな、それも琴をつまびくような音楽をイメージしていた。なぜなら、子供はよく糸をはじいて、勝手に音楽を作って遊んでいるからだ。それが何とも、子供の魂を感じされるように思えたのだ。
かくして、ボードリエは、クレマンと袂を分かち、2度と再び組むことはなかった。
当時、ギターを演奏することが流行っており、クレマンも夫人と共に、17世紀のフランスのギター曲を弾いていた。そのなかに、ルイ14世の教師であったロベール・ド・ヴィゼーの作曲した『サラバンド』と『クーランド』があった。この曲を2人でアレンジして、映画の副テーマ曲とした。しかしまだメイン・テーマが決まらない。専門のギタリストを探さねばならなかった。クレマンは言う。
「実を言えば、私は名ギタリストのアンドレス・セゴヴィアを使いたかったんですよ。ところがこの作品では、全く金がなく、彼の高いギャラはとても払えなかった。そこでたまたま、イエペスという若い(当時25歳)無名のギタリストを起用することにしたのです」
クレマンは、そのギタリストに、「スペインの16、17世紀の音楽で、何かいい曲を弾いてみてくれ」と要請した。そのなかで1曲、活発なスペインの古謡で、メロディーの気に入った曲があった。クレマンは「その曲を、もっとゆっくり、短調に変調して弾いてみたら」と提案した。その曲が、我々が聞く、あの『禁じられた遊び』のテーマになったのだ。
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番組の最後で堀尾さんは、「冒頭で、私はイエペスの作曲だと言いましたが、この曲はスペイン民謡が原曲でした」と訂正してくれた。

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