じじぃの「人の生きざま_380_ショーン・コネリー」

ショーン・コネリー Sean Connery CM (1991)  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=eQ0yy5ZKyl8
映画「007」ジェームズ・ボンドの50年を5分間にまとめたムービー 動画 ふらぶろ
http://www.frablo.jp/2012/10/23/50-years-of-james-bond/
ショーン・コネリー ウィキペディアWikipedia)より
サー・トマス・ショーン・コネリー(Sir Thomas Sean Connery, 1930年8月25日 - )は、スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。公称身長188cm
【プロフィール 】
1962年の『007 ドクター・ノオ』でジェームズ・ボンド役に抜擢され、合計7作に出演し、知名度は世界的に上昇した。『007』降板後も様々なジャンルの映画に出演し、1987年には『アンタッチャブル』でアカデミー助演男優賞を受賞。
1998年にブロードウェイで『'Art'』を製作し、トニー賞 演劇作品賞を受賞。

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『私が出会った「世界権力者&超VIP」50人 真実の素顔』 中丸薫/著 イースト・プレス 2013年発行
故郷スコットランドを愛するハリウッドの重鎮 ショーン・コネリー(俳優) (一部抜粋しています)
映画『007』シリーズの主役、ジェームズ・ボンドは、「セクシーでタキシードが似合う英国紳士」として、当初オーディションで公募されることになっていました。ところが、話を聞いたテレンス・ヤング監督は、「それなら、5年前に一緒に仕事をしたショーン・コネリーこそ、ジェームズ・ボンドそのものだ」とひらめいたと言います。
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『007』シリーズが興行的に当たったことで、コネリーさんは俳優としての地位を確立しましたが、あまりの人気ゆえ、つねにプレッシャーと戦っていたともいいます。
「『007』が人気になってプラスになったことは、芸術的にも、経済的にも、完全な独立を得たことです。お金ができたことで自分のプロダクションを持つことができ、監督を選び、俳優を選び、つくりたい映画をつくることができる。そうして自分の映画の質を高めることができる。これは『007』のおかげです。
 マイナスになったことは、絶えず周囲からプレッシャーをかけられるようになったことです。世界中どこにいても、金魚鉢の中の金魚みたいなものですよ」
『007』を卒業したコネリーさんは、過去の成功をかなぐり捨てて、新しい役、新しい仕事に意欲的にとり組んでいきました。俳優だけではなく、監督にも挑戦しました。大スターになってなお、つねに自分の殻を破ろうと努力している姿に、私も大いに刺激を受けました。
「俳優とは、つねに新しい役にとり組み、変化していくものです。その変化が、その俳優にとっていいか悪いかはわかりませんがね」
その後もコネリーさんはハリウッドになくてはならない俳優として、「引退宣言」をする2006年まで映画に出演し続けました。
アカデミー助演男優賞を受賞した『アンタッチャブル』、公開年の最高興行収入を記録した『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』といった映画史上に残る名作も、コネリーさんがいなければ名作たりえなかったことでしょう。
1999年には、イギリス政府からナイトの称号を授与されたコネリーさん。いつもスコットランドのイギリスからの独立を願い、故郷のためにさまざまな活動を行ってきただけあって、授賞式には、スコットランドの正装であるキルトの衣装を着て登場しました。スコットランドの人々がどれほど勇気づけられたかは言うまでもありません。

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