Trailer Thirteen-Days
「英雄」から「適役」へ――大統領イメージの転落 より
史上初のカトリックの大統領、選挙で選ばれた史上最年少の大統領、20隻生まれの最初の大統領の誕生であった。若くセクシーで理想主義的なエリート――ケネディはエンターテイメントとメディアが大統領に求めるすべてを兼ね備えていた。「英雄(ヒーロー)」の登場であった。「もしケネディが実際に存在していなければ、ハリウッドは何とかして彼を創り出しかもしれない」と、ある映画学者は指摘している。
ケネディの大統領就任式では、黒人のオペラ歌手マリアン・アンダーソンが「100年に一度」の美声で国歌を斉唱した。さらに、その後のパーティは「ショー中のショー」と呼ばれ、再びシナトラが司会を務めて多くのスターが参集した。リベラルなケネディにふさわしく、ハリー・ベラフォンテやシドニー・ポアチエら黒人スターの姿も見られた。
だが、ケネディ当選に尽力した黒人歌手のサミー・ディヴィス・ジュニアは、就任式に招かれなかった。彼はスウェーデン出身の白人女優と結婚しており、黒人男性と白人女性が公式行事に同席すると、南部の保守派を刺激し、今後の議会対策が難しくなると、ケネディが懸念したからである。また、新大統領はマフィアと関係が深いシナトラをも、やがて遠ざけるようになる。
ケネディ政権はしばしば、「キャメロット宮殿」と呼ばれた。ケネディはアイルランド系であり、ケルト文化に伝承される中世の騎士道物語、アーサー王伝説を彷彿させたからである。王が築いた城がキャメロット城であった。若く勇敢でハンサムなアーサー王が美しい王妃グィネヴィアと円卓の騎士たちに囲まれていたように、ケネディも美貌のファースト・レディと暮らし、「ベスト・アンド・ブライテスト」と呼ばれた俊英たちに補佐されていた。
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アーサー王と円卓の騎士こと、ケネディと「ベスト・アンド・ブライテスト」が最も鮮やかな活躍ぶりを見せたのは、1962年10月のキューバ・ミサイル危機であった。ソ連がキューバにミサイル基地を密かに建造しようとしたことから、一歩誤れば米ソ核戦争に至る13日間の危機であった。苦悩しながらも、ケネディと側近たちはこの危機を回避した。
ロジャー・ドナルドソン監督『13デイズ』(2000年)が、このテーマを巧みに描いている。
ケネディを演じたブルース・グリーンウッドは大統領に実によく似ており、その後もしばしば架空の大統領役を映画で演じることになる。その他にも、大統領の実弟ロバート・ケネディ司法長官など、「ベスト・アンド・ブライテスト」も多数登場する。しかし、この映画のユニークなところは、内政担当の大統領補佐官だったケネス・オドネルを通じて、危機の13日間を描いている点である。名前からわかるように、オドネルはアイルランド系であり、この政権がアイルランド系に支えられていたことを示している。ケネディ大統領の就任時に詩を捧げた詩人のロバート・フロストは、「ハーバード大学卒よりアイルランド系たれ」と進言したという。実は、ユダヤ人ほどではないが、ハリウッドでもアイルランド系の団結力と影響力は強く、「エメラルド島仲間」と呼ばれた。例えば、ジョン・フォード監督がそうで、彼は好んでアイルランド系の俳優を起用した。
お洒落でハンサムなケネディのご贔屓は、西部劇の人気者ジョン・ウェインであり、007ことジェームズ・ボンド(当時はアイルランド系のショーン・コネリー)であった。しかし、前者はハリウッドきってのタカ派であり、政治的にはケネディと対極にあった。他方、後者はケネディ同様にお洒落でハンサム、セクシーであった。大統領就任早々に、ケネディは中央情報局(CIA)の進言を容れ、亡命キューバ人を支援してフィデル・カストロ政権打倒を図るものの、頓挫していまう。亡命キューバ人がピッグス湾に一網打尽になったことから、ピッグス湾事件として知られる。現実の諜報機関は007ほど万能ではなかった。この失敗の挽回という意味もあって、ケネディはキューバ・ミサイル危機では最善を尽くすのである。