じじぃの「科学・芸術_822_大統領とハリウッド・『ロッキー4』」

Rocky Vs Drago - Final Fight

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=h8nC-RnETd0

『大統領とハリウッド アメリカ政治と映画の百年』

村田晃嗣/著 中公新書 2019年発行

「銀幕の大統領」――レーガンとその時代 より

1984年は大統領選挙の年であった。73歳の高齢とはいえ、現職のレーガンは再選をめざした。ロスアンゼルス・オリンピックの盛況と愛国心の高揚を背景に、レーガン陣営は「アメリカに再び朝がやって来た」と高らかに謳いあげた。民主党の対抗馬は、カーター政権で副大統領を務めたウォルター・フレデリック(フリッツ)・モンデールである。劣勢のモンデール陣営は、ジュラルディン・フェラーロ下院議員をアメリカ史上初の女性副大統領候補を起用して、レーガンの好戦性を強調し、その高齢を問題視した。
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レーガン陣営は、映画でさらに一計を案じていた。『魔術師マイク』ことディーヴァーが、早くも1983年に『ロッキー4/炎の友情』の製作に当って、監督兼主演のスタローンと接触していたのである。機械のように訓練されたソ連のボクサーがロッキーの親友をリングで殺し、ロッキーはクリスマスにモスクワで行われたリターンマッチで敵を倒す。星条旗をまといながら、ロッキーはテレビカメラに向かって、アメリカにいる息子に「メリークリスマス! 愛しているぞ!」と叫ぶ。ロッキーの奮闘に、最後にはソ連高官まで立ち上がって拍手を送る。ロッキーがアメリカの象徴なら、ソ連のボクサーは非人間的な共産主義体制の象徴であり、1時間半の作品の中でわずか46語しか発しない。

『ロッキー』シリーズはまさに「レーガン的エンターテイメント」であった。

しかし、この勧善懲悪の愛国心高揚の物語は製作が遅れ、大統領選挙より1年以上あとの85年11月に公開された。
ハリウッド主流派はレーガンの再選を阻止しようとし、ますます政治的言動を増していた。例えば、大統領が航空管制官の組合と対峙した折り、アズナー委員長下のSAGストライキを支援した。若手も台頭した。女優のメグ・ライアンや俳優のロブ・ロウ原子力発電所建設に反対し。のちには大統領の指名した保守派の最高裁判事の人事にも抗議した。やがて、30歳以下の人気俳優たちが、「若手芸術家連合」を結成して、高校生や大学生に性や麻薬の問題に関心を持つよう呼びかけた。一応超党派の活動だが、反レーガン色が強い。社会一般の若者は保守化していたのに、ハリウッドの若手は依然としてケネディを理想化していた。こうした動きに誘発されて、数では劣勢だが、保守派のセレブたちもより活発になっていった。
レーガンにとって唯一の弱点は、年齢であった。だが、それも2人の大統領候補による2度目の討論会で決着がついた。年齢は大統領職務遂行の妨げになるかと、司会者が尋ねた。「私は政治目的のために、ライバルの若さや経験不足を利用するつもりはありません」――レーガンの答えに聴衆は爆笑し、モンデールですら苦笑せざるをえなかった。「私はこの14語の台詞によって大統領当選を確実にした」と、老人は回想している。実際、11月6日の選挙結果は、レーガンの地滑り的圧勝であった。
こうして、レーガン政権の2期目が始まったものの、米ソ関係は緊張したままであった。そこに、「ゴルビー」がやって来た。1985年3月にミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長に就任したのである。実は、先述の『ロッキー4』のラストシーンに登場するソ連高官も、ゴルバチョフそっくりである。レーガンはようやく、交渉するに値する相手をクレムリンに見出した。11月に両首脳はジュネーブで会談することになった。レーガン政権発足以来初の米ソ首脳会談である。