じじぃの「科学・芸術_961_アイルランド・米国に移住した人びと」

JFK in Ireland

JFK in Ireland

Sixteen years earlier, during a three-week trip to Ireland, Kennedy had visited the town where his great grandfather had lived before he emigrated to Boston in 1847.
https://www.ireland.com/en-gb/what-is-available/genealogy-and-ancestry/articles/jfk-in-ireland/

アイルランドを知るための70章』

海老島均、山下理恵子/編著 赤石書店 2004年発行

海を越えたアイルランド人 移民 より

1840年代初頭に800万人を超えていたアイルランドの人口は、大飢饉による死亡や移民によって大幅に減少した。その後も、移民によって人口の減少がつづいた。その結果、アイルランドの人口は20世紀初頭に450万人まで減った。その後人口は増加し、現在は600万人(アイルランド共和国北アイルランドの合計人口数)を超えている。アイルランドはヨーロッパ諸国のなかで移民による人口減少がつづいた特異な国である。
その一方で、アイルランド以外に住む「アイルランド人」となると、本国の人数をはるかに超えている。米国籍の人びとのうち約4000万人はアイルランドアメリカ人といわれるし、オーストラリア人人の約3割はアイルランド人の血をひいているといわれる。さらに、英国にも多くのアイルランド人が住んでいる。
移民はアイルランドに残った者の生活に大きな影響を与えた。プラスの面をいえば、アイルランドに残った者の雇用が確保され、彼らの生活水準が上がった。また、移民からの送金をあてにする人々も多かった・マイナス面は、人口の減少は国内市場を狭隘(きょうあい)化させ、遅れた農業システムを温存させたことである。
独立運動への影響は複雑である。もし移民というシステムが存在しなければ、職もなく将来に希望をもてない若者があふれ、彼らは独立運動の支持者になり、運動がより一層推進されたかもしれない。そうであれば移民がなければアイルランドはもっと早く独立していたかもしれない。その一方で、独立運動にプラスになった側面がある。それは、移民したアイルランド人がとくに米国において本国の独立を支援する運動を展開したことである。
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アイルランド人移民の最大の受け入れ国は、いうまでもなく米国である、20世紀初頭には、アイルランド系のアメリカ人の数は一説には1500万人とも2000万人ともいわれ、本国の人口をはるかに超えていた。移民たちの約6割は北東部に住み、都市では低賃金労働者として働く者もいれば、熟練工あるいは専門的職業者として働く者もいた。19世紀半ばの米国の鉄道ブームのときには、多くのアイルランド人移民が鉄道建設に従事した。英語を話すことができる、あるいはその読み書きができるという点において、非英語圏からの移民に比べてはるかに有利な条件を与えられていた。また移民たちも米国社会に同化しようと、アメリカ訛りの英語を積極的に見につけようとした。だが、彼らの前にはWASPアングロ・サクソン系でプロテスタントの白人、通称ワスプ)の壁が立ちはだかった。事実、19世紀半ばにはボストンなどの都市では求人に隠して、「アイルランド人お断り」というポスターが貼られることがあったのである。
そこで移民たちはカトリック教会と民主党支持を中核とする強固なアイルランドアメリカ人のコミュニティを形成していく。カトリック教会は移民たちに精神的救済だけでなく、社会福祉が整備されていない当時にあっては、慈善活動によって物質的な救済を与えたのだった。
アイルランドの人たちは民主党内に自分たちの支持基盤を作り上げていった。アイルランドアメリカ人の代表のような人物J・F・ケネディ元大統領は民主党員である。地方レベルでは、党員の公務員への登用などの利益誘導を行っていた民主党のネットワークに参加するため、積極的に民主党員になるアイルランド系も多かった。国勢レベルでは、民主党の政治家は反英を唱えたり、アイルランド人のアイデンティティに訴えることによって、アイルランド人票を容易に固めることができたのである。
さらに、アイルランドが英国から独立することが、自分たちの地位向上につながると考える者や反英感情を抱きつづける者は、アイルランド独立運動に積極的にかかわっていった。晴らが支援した代表的な組織が「フィーニアン・ブラザーフッド」や「クラン・ナ・ゲール」である。