じじぃの「歴史・思想_395_2050年 世界人口大減少・序章」

Darrell Bricker and John Ibbitson: Empty Planet: The Shock of Global Population Decline

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xolWWK8jXi4

『2050年 世界人口大減少』ダリル・ブリッカー ジョン・イビットソン 倉田幸信 河合雅司

文藝春秋BOOKS 2020年発行
【目次より】
序章 2050年、人類史上はじめて人口が減少する
1章 人類の歴史を人口で振り返る
2章 人口は爆発しない--マルサスとその後継者たちの誤り
3章 老いゆくヨーロッパ
4章 日本とアジア、少子高齢化への解決策はある
5章 出産の経済学
6章 アフリカの人口爆発は止まる
7章 ブラジル、出生率急減の謎
8章 移民を奪い合う日
9章 象(インド)は台頭し、ドラゴン(中国)は凋落する
10章 アメリカの世界一は、今も昔も移民のおかげだ
11章 少数民族が滅びる日
12章 カナダ、繁栄する"モザイク社会”の秘訣
13章 人口減少した2050年、世界はどうなっているか
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163911380

『2050年 世界人口大減少』

ダリル・ブリッカー、ジョン・イビットソン/著、河合雅司/解説、倉田幸信/訳 文藝春秋 2020年発行

序章 2050年、人類史上はじめて人口が減少する より

今から30年後、世界人口は減り始める

21世紀を特徴づける決定的な出来事、そして人類の歴史上でも決定的に重要と言える出来事が、今から30年ほど先に起きるだろう。世界の人口が減り始めるのである。そしてひとたび減少に転じると、二度と増加することなく減り続ける。我々の目前にあるのは人口爆発ではなく人口壊滅なのだ。種としての人類は、何世代もかけて、情け容赦なく間引かれていく。人類はそのような経験をしたことは一度もない。
この話にショックを受ける人がいても当然だろう。国連の予測では、人口は今世紀いっぱい増え続け、70億人から110億人になるとしている。人口増加が横ばいになるのは2100年以降だというのだ。だが、国連のこの予測は人口を多く見積もりすぎだと考える人口統計学者が、世界各地で増えつつある。そうした学者に言われれば、世界人口は2040年から2060年の間に90億人で頂点に達し、その後は減少に転じる可能性が高いという(おそらく国連は、減少に転ずる瞬間の象徴的な死を迎えた人を「この人だ」と指定するだろう)。今世紀末には世界人口は現在と同水準にまで戻っているかもしれない。その後は二度と増えることなく減少を続けることになる。
今でもすでに25ヵ国前後の国で人口は減り始めている。人口減少国の数は2050年までに35ヵ国を超えるだろう。世界で最も裕福な国の一部は、今では毎年人口をそぎ落としている。

日本、韓国、スペイン、イタリア、そして東欧の多くの国々がそうだ。イタリアの保健大臣ベアトリーチェ・ロレンツィンは2015年、「我々の国は死にゆく国です」と憂いたものだ。

我々は自ら人口減少を選んだ

人口減少という難題の1つの解決法は、補充人員を輸入することだ。本書の著者ふたりがカナダ人である理由もそこにある。これまで数十年間、カナダは人口一人当たりで見て、主要な先進国のなかで最も多くの外国人を受け入れてきた。しかも他国で生じたような民族間のトラブルやスラム街の発生、猛烈な論争はほとんど起きていない。そのようにできた理由は、カナダが外国からの移民を経済政策の一手段と考えた――移民政策には能力に応じたポイント制(merit-based point system)を用いたため、概してカナダへの移民はカナダ生まれの現地人より教育レベルが高い――点と、カナダが多文化主義を受け入れた点にある。多文化主義とは、カナダ的モザイク社会の中でそれぞれが自分の出生地の文化を尊重する権利を共有することを指す。そのおかげでカナダは、地球上で最も豊かな国々のなかでも、平和で繁栄し、複数の言語が共存する社会になれたのである。
続々と社会に入ってくる新しい人びとを、カナダのように落ち着いて受け入れられる国ばかりではない。例えば韓国人、スウェーデン人、チリ人は、それぞれ韓国人、スウェーデン人、チリ人であるとはどういうことなのかという点に極めて強い意識を持っている。

人類は史上初めて”老い”を経験する

大国のなかでも、来るべき人口減少時代が追い風となる唯一の国がアメリカである。アメリカは何世紀もの間、最初は大西洋を越え、次は太平洋を越え、最近ではリオ・グランデを越えてやって来る移民を歓迎してきた。何百万もの人々が喜んで「人種のるつぼ」――アメリカ型の多文化主義――に飛び込み、米国の経済と文化を豊かにしてきた。20世紀が”アメリカの世紀”だったのは、移民政策のおかげだ。今後も移民の流入が続くなら、21世紀もアメリカの世紀となるだろう。
ただし、それには条件がある。警戒心を抱いて移民排斥主義となった最近の”アメリカ・ファースト”の盛り上がりは、すべての国との国境に高い壁を築き、アメリカを偉大な国にしてきた移民の流入チャネルの蛇口を閉めてしまえと息巻いている。ドナルド・トランプ大統領のもと、連邦政府は不法移民を厳しく取り締まるだけでなく、高い技能を持つ合法な移民の受け入れ数も減らしてしまった。米国経済にとって、自殺行為とも言うべき政策である。もしこの変化が一時的なものでないなら、もし米国民が馬鹿げた恐怖心から移民受け入れの伝統を捨て、世界に背を向け続けるとするなら、アメリカでもやはり減少することになろう。人口だけでなく、国力も、影響力も、富も――。アメリカ人は一人一人が選択を迫られている。多様性を受け入れ、来るものを拒まず、開かれた社会を望むのか、それともドアを閉ざして孤立しながら撤退する道を望むのか。
これまで、飢饉や厄病のせいで人間集団が間引かれたことは何度もあった。だが今回、人々を間引いているのは我々自身だ。人口を減らすことを自ら選んでいるのだ。我々はこの選択をずっと続けるのだろうか? 答えはおそらくイエスだ。政府による手厚い子育て援助金やその他の支援政策により、夫婦やカップルが持とうと思う子供の数を増やすことに成功するケースも時にはあった。だが、一度下がった出生率を人口置換水準――人口の維持には女性一人当たり平均2.1人の子供を生む必要があるとされる――にまで高めることに成功した政府はない。しかも、そうした支援策にはとてつもない費用がかかるので不況時には削減されがちだ。また、夫婦やカップルが本来なら持たなかったであろう子供を、政府が背中を押して産ませるというのは、おそらく倫理的にも問題があるだろう。
この先、縮みゆく世界に慣れていくに従い、我々は人口減少を喜ぶのだろうか、それとも悲しむのだろうか。成長を維持しようとあがくのだろうか、それとも人類の繁栄や活力が縮小する世界をいさぎよく受け入れるだろうか――。私たちには答えられない。だが、詩人ならこう表現するかもしれない。人類は歴史上初めて、自身の老いを感じていると。