じじぃの「日常生活で不安や悩み・生きづらさを感じる若者たち!週刊N新書」

プライムニュース 「地下鉄サリン20年の闇 警察vsオウム攻防58日 元警視総監語る舞台裏」 (追加) 2015年3月20日 BSフジ
【キャスター】佐々木恭子、反町理 【ゲスト】井上幸彦(元警視総監)、古市達郎(元公安調査庁参事官 金沢工業大学教授)
20年前の3月20日に起きた地下鉄サリン事件。世界でも初となる地下鉄を舞台にした化学テロに日本中が恐怖し、犯行を起こしたオウム真理教麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に対しては世間の厳しい目が向けられた。教団に捜査の手を伸ばしながら事件を未然に防げなかった警察を始めとする捜査当局は、当時どのような方針で教団と対峙していたのか…。
番組では、事件当時の警視総監と、事件後のオウム破防法適用審査に携わった公安調査庁参事官をゲストに迎え、20年たった今、改めてオウム真理教という犯罪集団とその捜査を検証すると共に、新たなテロの脅威が取りざたされる中、日本は地下鉄サリン事件の教訓をどう活かすべきなのか、議論する。
松本サリン事件ではオウム真理教の犯行という可能性は走査線上に浮かんでいたのか、どの段階でサリンがオウムと関わりがあると分かったのか、読売新聞の記事を見た時の状況について聞いた。
井上幸彦氏、「長野県警が一生懸命捜査していたが、オウムに結びつく痕跡がなく目撃者もいない中で第一通報者が疑われる状況が出てきてしまった」
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150320_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150320_1
漂白される社会 開沼博:著 ダイヤモンド社 2013年発行
売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…社会に蔑まれながら、多くの人々を魅了してもきた「あってはならぬもの」たち。彼らは今、かつての猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつある。私たちの日常から見えなくなった、あるいは、見て見ぬふりをしている重い現実が突きつけられる。
http://www.diamond.co.jp/book/9784478021743.html
『傷つく人、傷つける人』 信田さよ子/著 集英社 2013年発行
ネット時代の絆 (一部抜粋しています)
1990年代に入ってインターネットが普及してきたことによって、人間関係が大きく変りました。たとえば、フェイスブックツイッターなどを含めて交流の範囲が飛躍的に広がり、つながる速度も速くなりました。
そんな時代に、誰もがインターネットの恩恵にあずかれるかというと、そうではありません。ネットの世界ゆえの格差が生れています。ネットを使いこなし、リアルな世界との使い分けができる強者と、そこから落ちこぼれる弱者が存在するのです。
あまり知られていませんが、引きこもっている人たちの多くはネットにもアクセスしないのです。なぜかというと、ネットは言葉が介在する世界、言語能力と表現能力で左右される残酷な世界だからです。
たとえば、スポーツのサークルなどでは、言葉はうまく使えなくても、運動能力によってそれをカバーすることもできます。
しかし、ネット上の交流は、会社が終わってからバスケを楽しむとか、バンドでサキソホンを吹くということとは違って、すべてをパソコン上の文字で表現するしかありません。ネットの社会が出現して救われた人は多数いますが、落差に傷つく人も存在するのです。
それを踏まえて、ネットを現実の人間関係に利用しようという試みも、多数生まれています。たとえば、リアルな大学ではなく、所属集団を超えてさまざまなテーマを学ぶための生涯学習の場が、バーチャルな大学としてつくられ、ネットを通して学生を募集しています。
全国でそういう試みがたくさんあり、私もそんな大学で講義した経験があります。そこに集まった人は、やはり若い人が多いのですが、所属集団も住んでいる場所もバラバラな個人が、一堂に会することで生まれる独特の活気がありました。
リアルな世界が苦手な人、あるいは生きづらい人、自分を傷つきやすいと感じ他者の評価が気になる人にとって、そういう世界を見つけて、人間関係を構築していくのも、ひとつの生き方だと思います。

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田勢康弘週刊ニュース新書 2014年3月15日 テレビ東京
【番組ホスト】田勢康弘(ジャーナリスト) 【番組進行】繁田美貴中川聡 【ゲスト】開沼博社会学者) 【ペット】ま〜ご(ねこ)
▽20代若者の6割が「日常生活で不安や悩みあり」...若者の不安や不満の行方
今月20日地下鉄サリン事件から19年を迎える。一連のオウム真理教による事件で指名手配されていた元信者3人が2012年に逮捕され“オウム裁判”が再開した。事件の記憶が呼び起される中で、教団の後継団体には若い信者が増えつつある。
悩みや不安が若者を宗教に向かわせるのだろうか。「社会を主体的に変える」と語る若者がいる。彼が活動するのは中核派全学連。「過激派」と呼ばれる団体のひとつだ。革命のためなら暴力も辞さないと話す。一方、繁華街を歩く若者からは「将来への不安」「こうしたいということがない」「希望はあまりない」という声も聞かれる。開沼氏と、若者の不安、不満の行方を探る。
http://www.tv-tokyo.co.jp/shinsho/
どうでもいい、じじぃの日記。
3/15、テレビ東京田勢康弘週刊ニュース新書』で「20代若者の6割が「日常生活で不安や悩みあり」...若者の不安や不満の行方」を観た。
こんなことを言っていた。
田勢さん、「『どうすれば自分の夢が叶うようになるでしょうか』、とかストレートに聞いてくる学生が多い。そこには地道に一歩づつ積み重ねていくという発想が全くない」
開沼さん、「即物的で、何か手に入れたいものが簡単に手に入ってしまう時代と言えるかもしれない。もっと深いところから社会が成り立っていると伝えなければ、そういう短絡的な話になってしまう」
繁田さん、「VTRにもありましたが、ネットで悩み相談というのがある。知らない人だから気楽に聞けるということがある。しかし、知らない人だから責任を持たないということもあると思う。そういったネットにはどうやって付き合っていけばいいのか?」
開沼さん、「ネットは引きこもっている方にとって、ハードルが低いということは1つのメリットであるが、生身の人間関係と違って最後まで責任を持って付き合ってくれるのか、いつかはその場所が無くなってしまうかもしれない。そういう心の不安もある」
田勢さん、「会話で人とコミュニケーションができない。ネットを通してだったら本音が言える、という側面もあるのではないか」
開沼さん、「VTRにあったように、オームがこちらからのコミュニケーションを拒絶するといった話とからんでいる」
繁田さん、「最近では、柏市の通り魔事件とか、名古屋の車暴走事件など、凶悪犯罪に走る若者もいる。若者が感じる生きづらさに社会がどう向き合い、どう付き合っていけばいいのか?」
開沼さん、「不安と不満がある。裏を返せば安心と満足をいかに社会が用意するか。安心というのは若者に健全な居場所をどう作っていくか、満足というのは若者に目標をどう設定できるかにかかっている」
田勢さん、「言い方を変えれば、『君は社会から必要とされているんだ』、ということをどう感じさせるかだと思う」
開沼さん、「『君はオームのために必要なんだ、このことがすばらしい社会変革に結びつくんだ』、と言われたときに、それがスッと心の中に入ってしまう」
じじぃの感想
「君は社会から必要とされているんだ」
じじぃの場合は、「もっと、長生きしてほしい」
かな。お世辞でもうれしい。 (^^;;