じじぃの「人の生きざま_127_麻原・彰晃」

麻原彰晃 - あのひと検索 SPYSEE
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麻原彰晃ヒット曲メドレー 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=J-cxJl6pwjU
オウム真理教の深い闇1 証言:中川智正、林郁雄 坂本弁護士一家殺害 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=umd-aYW9-yY
1-7オウム真理教-地下鉄サリン事件-Terror in Tokyo-1995 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TutRDP7RcKs
未解決事件 「file.02 オウム真理教 NHK 動画あり
http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/
プライムニュース 「地下鉄サリン20年の闇 警察vsオウム攻防58日 元警視総監語る舞台裏」 2015年3月20日 BSフジ
【キャスター】佐々木恭子、反町理 【ゲスト】井上幸彦(元警視総監)、古市達郎(元公安調査庁参事官 金沢工業大学教授)
20年前の3月20日に起きた地下鉄サリン事件。世界でも初となる地下鉄を舞台にした化学テロに日本中が恐怖し、犯行を起こしたオウム真理教麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に対しては世間の厳しい目が向けられた。教団に捜査の手を伸ばしながら事件を未然に防げなかった警察を始めとする捜査当局は、当時どのような方針で教団と対峙していたのか…。
番組では、事件当時の警視総監と、事件後のオウム破防法適用審査に携わった公安調査庁参事官をゲストに迎え、20年たった今、改めてオウム真理教という犯罪集団とその捜査を検証すると共に、新たなテロの脅威が取りざたされる中、日本は地下鉄サリン事件の教訓をどう活かすべきなのか、議論する。
松本サリン事件ではオウム真理教の犯行という可能性は走査線上に浮かんでいたのか、どの段階でサリンがオウムと関わりがあると分かったのか、読売新聞の記事を見た時の状況について聞いた。
井上幸彦氏、「長野県警が一生懸命捜査していたが、オウムに結びつく痕跡がなく目撃者もいない中で第一通報者が疑われる状況が出てきてしまった」
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150320_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150320_1
オウム:菊地直子容疑者を逮捕 警視庁 2012年6月3日 毎日jp
地下鉄サリン事件などで警察庁から特別手配されていたオウム真理教アレフに改称)の菊地直子容疑者(40)が3日、相模原市内で身柄を確保された。警視庁本部に移送し、殺人と殺人未遂容疑で逮捕した。昨年12月末に平田信被告(47)が出頭・逮捕されており、オウム真理教関連で特別手配されていた4人のうち、行方が分かっていないのは高橋克也容疑者(54)のみとなり、行方を追及する。
調べでは、菊地容疑者は95年3月20日朝、旧営団地下鉄東京メトロ)千代田線などの車内でサリンがまかれ、乗客ら13人が死亡、6000人以上が重軽傷を負った事件で、サリン製造にかかわった疑いが持たれている。教団「化学班」キャップ、土谷正実死刑囚(47)が中心となった製造プロジェクトにかかわり、サリンの試薬や実験器具の購入を担当し、サリンの実験工程をノートにまとめる役割を果たしたとされる。
http://mainichi.jp/select/news/20120604k0000m040081000c.html
NHKスペシャル 未解決事件 「オウムVS警察 知られざる攻防」 2012年5月27日 NHK
日本中に大きな衝撃を与えながらも「迷宮」入りしてしまった数々の未解決事件。戦後のエポックとなりながら、いまなお真相は未解明のまま、時代の病理となった難事件。「未解決事件」は、日本中に大きな衝撃を与え、今も生々しい記憶を残す「事件」を実録ドラマとドキュメンタリーで徹底検証し、未来へのカギを探るシリーズ。大きな反響を得た「File01グリコ・森永事件」の放送後、NHKにある要望が届いた。「オウム真理教の事件を取り上げてほしい」。地下鉄サリン事件の遺族からだった・・・。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0526/
麻原彰晃 ウィキペディアWikipedia)より
麻原彰晃(あさはらしょうこう、本名:松本智津夫、1955年(昭和30年)3月2日 - )は、日本の宗教家、宗教団体オウム真理教(現Aleph)の元代表、教祖であり、日本の国家転覆を企てたテロリストおよび、この一連の事件他による死刑囚。日本で唯一の「最終解脱者」を自称していた。
1996年(平成8年)6月19日以降は、教団内部での地位は開祖。同団体は宗教団体「アレフ」に一旦改組され「アーレフ」にすぐに再度改称するも、さらに「Aleph」に改称。Alephにおいての公式呼称は「旧団体代表」とされた。
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは尊師、もしくは本来ヒンドゥー教の導師を指すグルと呼ばれ、崇拝の対象となっていた。宗教団体Alephでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表したものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じたが、2011年に入り、麻原の「生誕祭」や肖像の掲示を公然と行うようになっている。
教団は日本支配を画策しており、その憲法草案の中では神聖法皇と呼称されていた。また、神や死者の声が聞こえる霊能者であるとも自称していた。
【逮捕・裁判】
1995年(平成7年)5月16日(40歳)に山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)のオウム真理教の教団施設で地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。麻原は現金960万円の札束と寝袋を抱えて、第6サティアンの南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋に隠れており、逮捕された際は失禁していたと伝えられている。逮捕後警視庁への護送は、迅速かつ安全を考え当初警視庁が当時保有していた大型ヘリコプターで護送させる予定だったが、当日は悪天候のため飛べず、警察車両での護送に切り替えられた。
最終的には13事件で27人殺人(裁判では殺人26人と監禁致死1人)の首謀者として起訴される。1996年(平成8年)4月24日に東京地方裁判所で初公判が行われたが、僅か48席の一般傍聴席に対して、12,292人という、日本の刑事裁判史上最も多い傍聴希望者が東京地裁前に殺到した。弁護側は「事件は村井元幹部を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本自身は一切指示をしていない」と無罪を主張したが、2004年(平成16年)2月27日、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、死刑判決を言い渡した。
2006年(平成18年)9月15日、最高裁判所は特別抗告を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。死刑が執行されていないのは、逃亡者が存在するためと思われる。
坂本堤弁護士一家殺害事件 ウィキペディアWikipedia)より
坂本堤弁護士一家殺害事件は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。
現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、岡粼一明が自首したことによる。
松本サリン事件 ウィキペディアWikipedia)より
松本サリン事件は、1994年に日本の長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であった。また、無実の人間が犯人扱いをされた冤罪・報道被害事件でもある。警察庁における事件の正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」である。
地下鉄サリン事件 ウィキペディアWikipedia)より
地下鉄サリン事件は、1995年(平成7年)3月20日に東京都の地下鉄で宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスサリンを使用した殺人事件で、死者を含む多数の被害者を出した。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件である。この事件は日本だけでなく世界にも大きな衝撃を与えた。

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『裁かれる オウムの野望』 毎日新聞社会部/著 毎日新聞社 1996年発行
オウム大捜査 (一部抜粋しています)
休日に百数十人の捜査員が集められた。95年5月14日午後7時、警視庁公安部の会議室。入り切れず、階段にまで人があふれ出た。資料が配られた。諜報省トップ、井上嘉浩の手配写真と赤いシャレードの車両ナンバーだった。
「井上は必ず報復する。麻原彰晃松本智津夫)を逮捕するためには、井上の身柄を押さえなければならない。厳命である」。指揮官は言った。数十台の捜査車両が警視庁を出発した。車は多摩地区を目指した。
警視庁公安部が、井上のアジトを東京都八王子市のアパートなどに絞り込んだのは5月初めのことだ。「麻原の車を八王子で見た」という情報があった。教祖の松本智津夫上九一色村から動かなかったことは後に分かるが、この誤情報がひとつの突破口になった。
八王子に入った捜査員は不審な人物を見つけると周辺を捜査し、写真を撮影した。その十数枚の写真の中に、井上と一緒にいるとみられた女性信者の顔があった。顔や容姿から人物を探す「面割り」は、公安部のお家芸である。ベテラン捜査員は、20年前の写真からでも特徴点を見つけ、人物を特定するという。
女性信者に監視網が敷かれた。まもなく井上らしい人物が確認できた。
過激派を追い続けてきた公安部にしてみれば、オウムの組織にはまだ若く未熟な一面があった。
公安部も本領をみせていた。だが、そこまでには長い時間がかかっていた。
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多摩地区には二十数台の捜査車両が張りついていた。井上を助手席に乗せたシャレードは午後11時すぎ、秋川市(現あきる野市)を走っていた。山梨県上野原町のアジトに移る途中だった。
方向転換しようと駐車場に入ったシャレードの行く手を、捜査車両が阻んだ。後部座席には地下鉄サリン事件の実行犯の豊田亨もいた。井上は15日未明、逮捕された。そして、翌16日が教祖逮捕のXデーとなった。
動く前と後では、あまりにも成果が違った。それだけに、なぜもっと早く、という批判も出た。「オウムを視野にとらえながら、宗教団体という壁、そして都内で目立ったトラブルもなかったことで、踏み込みが浅かった。相手は我々の想像のはるかに先を行っていた」。ある警察幹部は振り返って悔やんだ。
警視庁刑事部長の石川重明は、その日の朝を軽視庁6階の刑事部長質で迎えた。前夜は、簡易ベッドを部長質に持ち込んで寝た。95年5月16日、教祖を逮捕する日がやってきた。午前5時40分、石川は記者会見に臨み、松本智津夫をはじめ信者41人の逮捕に着手したと発表した。
上九一色村の第6サティアンでは、発表の15分前から、捜索が始まった。捜査員がカッターで施錠の切断にとりかかっていた。
長い「Xデー」が幕を開けた。
教祖はどこに消えたのか。
警視庁の係官は、NHKが放送した松本のVTRの分析を続けていた。画面では、むくんだ顔の松本が「潔白」を主張していた。オウムによると、3月24日に撮影されたという。松本を照らす蛍光灯の光を調べると、サイクルは東日本のものだった。しかし、背後から聞こえてくる振動音は判別できなかった。係官の一人が、オウムが「サリン攻撃」に備えて設置したという空気清浄機「コスモクリーナー」の存在に思い当たった。音の波形をみると同じだった。撮影場所は東日本の教団施設と分かった。
松本の行方については、さまざまな情報があった。金沢市では通行人に目撃され、京都市のホテルでは記者の取材に応じたとされた。だが、すべて誤解か虚偽の話だった。
「第6」には松本の家族がいた。松本の好物のメロンを買い出しに行く信者もいた。4月29日、オウムからクルーザーを購入する業者が「第6」を訪れた。実印が必要な書類を預けると、押印されて戻ってきた。書類から松本の指紋が見つかった。松本はやはり「第6」にいたのだ。
周りを機動隊員が固めた。オウム施設の捜査は全国の警察が波状的に行っていたが「第6」の捜査だけは警視庁が許さなかった。5月6日の夜からは、投光機で建物が照らされた。封鎖は厳重だった。
「第6」に入った捜査員は、中2階にあるはずの隠し部屋を探した。千葉県警が信者から得た重要情報だった。だが、取り壊しされたらしく見当たらない。着手から3時間余。時間だけが過ぎていく。
警視庁では、17階の総合指揮所に警視総監の井上幸彦以下幹部が顔をそろえていた。沈痛な雰囲気だった。「いるはずだ」「探せ」の声が聞こえた。警視庁は4階の指揮本部で、入院中の長官、国松孝次に代わり、次長の関口祐弘が式を執った。幹部の多くは「第6にいる」と聞かされても、その根拠は知らなかった。動揺が見えた。「まだ、まだよ」。周囲の緊張をほぐすように、関口はことさら悠然と構えた。
「小休止」。指揮官の声で、捜査員は「第6」の2階で腰を下ろした。弁当を広げながら見上げると、ダクトの位置が以前と変わっていることに気付いた。形もどこかおかしい。空気抜きの穴もあった。のぞいてみたら、松本と目が合った。天井から吊り下げた隠し部屋だった。「発見」の報に、指揮所はどよめいた。午前9時45分、松本は逮捕された。

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