じじぃの「カオス・地球_312_LIFESPAN(ライフスパン)・はじめに」

Life 120 - Un nuovo stile di vita

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1D8AzZ2YizU&t=4s


Why It Matters: Lifespan Development

Welcome to the study of lifespan development! This is the scientific study of how and why people change or remain the same over time.
https://courses.lumenlearning.com/wm-lifespandevelopment/chapter/why-it-matters-lifespan-development/

LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界

【目次】

はじめに――いつまでも若々しくありたいという願い

■第1部 私たちは何を知っているのか(過去)
第1章 老化の唯一の原因――原初のサバイバル回路
第2章 弾き方を忘れたピアニスト
第3章 万人を蝕(むしば)む見えざる病気
■第2部 私たちは何を学びつつあるのか(現在)
第4章 あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法
第5章 老化を治療する薬
第6章 若く健康な未来への躍進
第7章 医療におけるイノベーション
■第3部 私たちはどこへ行くのか(未来)
第8章 未来の世界はこうなる
第9章 私たちが築くべき未来
おわりに――世界を変える勇気をもとう

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『LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界』

デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント/著、梶山あゆみ/訳 東洋経済新報社 2020年発行

はじめに――いつまでも若々しくありたいという願い より

私たちはすでに長く生きすぎているのか

そんなこと(今あるような老化に終止符を打つ対処法)は夢物語だと反論してくる人は大勢いる。チャールズ・ダーウインの研究よりもH・G・ウェルズの作品に近い話じゃないか、と。懐疑派のなかには、非常に賢い人たちも少ないない。ヒトの生体プロセスを熟知していて、私が尊敬しているような人までわずかながら含まれる。

現代的な生活習慣が寿命を縮める元凶なのだと、そういう人たちは断言するだろう。さらにはこうも説くはずだ。自分たちが100歳を迎えるとは考えにくく、自分たちの子どもがそこにまで達する見込みも薄い。寿命に関するこれまでの研究と予測に基づけば、孫が100歳の誕生日を祝う可能性もまた低い。仮に100歳に届いたとしてもたぶん健康体ではないだろうし、その先はどう考えたって長くない。百歩譲って人間の寿命が本当に延びるとしたら、それはこの惑星にとって最悪のシナリオだ。人類は地球にろくなことをしていないじゃないか!
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地球にはこれまで1000億人以上が暮らしてきたが、120歳を超えたと表立って認められているのは過去に1人しかいない。フランスのジャンヌ・カルマンである。ジャンヌが1997年に亡くなったとき、122歳だったというのが科学界の定説だ。ところが、最近になってこれに疑問が投げかけられている。ジャンヌの娘が相続税を払いたくないがために、母親とすり替わっていたという疑惑が浮上したのだ。もっとも、真実がどうだったかはたいして問題ではない。たとえ120歳前後にまで届く人がいるとしても、圧倒的大多数は、正確にいえば全体の99.98%は100歳を待たずに人生を終えているのだ。

だから、この先もコツコツと平均値を上げていけるにせよ、最大値とは動かせないという声があるのは無理もないことだ。ネズミやイヌなら簡単に最大寿命をを延ばせても、私たち人間はそうはいかない。すでに長く生きすぎているのだ。懐疑派はそう主張するだろう。
それは間違っている。
もう1つ考えないといけないのが、寿命を向上させることと、元気でいられる期間を長くすることは違うという点だ。私たちはその両方の実現を目指すべきである。痛みや病(やまい)や、虚弱や体の不自由に苦しむことがすでに生活のすべてになっているのに、ただ死なさずにおくだけのために人生をさらに何十年も長引かせるのは、道義的にいって許されることはない。

健康なまま120歳まで生きられる時代へ

長く元気でいられるようになる時代は近づいている。
たんに寿命が延びるだけでなく、新たに加わった年月を健康で生き生きと幸せに暮らる時代だ。それは、みなが思っている以上に早く到来しようとしている。今日生まれた子どもが中年になるまでには、ジャンヌ・カルマンは歴代長寿者のトップ100にすら入らなくなっているかもしれない。22世紀が幕をあける頃に122歳で亡くなる人がいたら、天寿をまっとうしたにせよ飛びぬけた長生きとはみなされなくなっている可能性がある。120歳という年齢は、けっして例外的な異常値ではなく期待値となっていてもおかしくない。そうなればもはや「長寿」とは呼ばれず、ただの「普通の生涯」だ。そして私たちは、そうでなかった昔を悲しく振り返るのである。
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今現在生きつつあることは、ライト兄弟が作業小屋で準備を進めている段階に似ている。これから見事にグライダーを飛ばして、ノースカロライナ州キティホークの砂地に直陸させるのだ。世界は変わろうとしている。

初飛行が成功する1903年12月17日までがそうだったように、現在も人類の大多数はその変化に気づいていない。かつては、「制御された動力飛行」というもの自体が想像の外だった。そんな発想を組み立てられるような材料がどこにもなかったからである。だから、空を飛ぶなど夢物語か魔法であって、空想小説に出てくる絵空事だとみなされていた。

そのとき、1機の飛行機が地面を離れた。そして世界は一変したのである。
私たちは今、同じような歴史の転換点に立っている。これまで魔法と思われていたことが現実になるのだ。人類には何ができないのか。その線を引き直し、避けて通れないとされているものに終止符を打つ時がきた。

いやむしろ、人間とは何かを定義し直す時だというべきかもしれない。なぜなら、これは1つの革命(レボリューション)の幕あけであるだけでなく、新たな進化(エボリューション)の始まりでもあるのだから。