Lise Meitner
核分裂を解明した女性科学者リーゼ・マイトナー 「人間性を失わなかった物理学者」と墓に刻まれた理由
ログミーBiz
1938年に、ある科学者たちが偶然にも原子を分裂させたことで、物理の歴史は大きく変わりました。
彼らは自分たちがなにをしたのかわかっていませんでしたが、オーストリアの物理学者リーゼ・マイトナーが「核分裂」と呼ばれる現象を解明しました。しかしその後、マイトナーが発見した技術は破壊兵器に転用されていきます。ちなみに、マイトナーは原子爆弾を開発するマンハッタン計画に誘われましたが固辞しています。
石に刻まれた言葉は彼女が遺したことを端的に表しています。
「リーゼ・マイトナー 人間性を失わなかった物理学者」。
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【目次】
1 すべての物質は何からできているのか?
2 デモクリトスもアインシュタインも原子を見つめた
3 万物をつくる元素と周期表
4 火の発見とエネルギー革命
5 世界でもっともおそろしい化学物質
6 カレーライスから見る食物の歴史
7 歴史を変えたビール、ワイン、蒸留酒
8 土器から「セラミックス」へ
9 都市の風景はガラスで一変する
10 金属が生み出した鉄器文明
11 金・銀への欲望が世界をグローバル化した
12 美しく染めよ
13 医学の革命と合成染料
14 麻薬・覚醒剤・タバコ
15 石油に浮かぶ文明
16 夢の物質の暗転
17 人類は火の薬を求める
貧者の核兵器
殺傷能力は高いが、核兵器に比べて材料の入手や製造などが容易であること、費用が少なくてすむことから、化学兵器・生物兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれる。
化学兵器は、敵対する人々やその生活を支える動植物の生理機能を損傷することを目的として使用される「戦争の道具」としての合成物質(毒ガスなど)である。そもそもは、第一次世界大戦で新戦術として大々的に取り入れられた。1915年4月のドイツ軍によるイープル戦での塩素ガスをはじめとして、第一次世界大戦では約30種の毒ガス兵器を使用、3000種以上の合成物質が研究された。窒息性のホスゲン、ジホスゲン、嘔吐ガス(ジフェニルクロロアルシン)、びらん性のイペリット(マスタード・ガス)などだ。
効果の残虐性から、第一次世界大戦後、1925年6月17日に大量殺戮兵器としての毒ガス、細菌兵器の使用を禁止する「ジュネーブ議定書」が終結されるきっかけとなった。しかし、この議定書は毒ガスの使用を禁止しただけで、開発・製造を放置していた。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツが敗北するまでに、化学兵器用に約2000種の有機化合物が合成される。ドイツでは、新しい強力な化学兵器として独自の「G(ジャーマン)ガス」がつくられた。その代表が1937年に合成され、1944年には3万トンが貯蔵されたタブンである。さらに1939年にはタブンの2倍(ホスゲンの32倍、イペリットの15倍)の毒性を持つサリンが合成された。大戦末期には、さらに強力なソマンが開発された。また、Gガスは、強制収容所のユダヤ人やロシア人に人体実験がくり返された。
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化学兵器は、今日では一定の化学工業を持つ国ならどこでもつくることができる。いくつかの国は化学兵器を保有し続けているし、使用もしている。
化学兵器禁止条約は、1993年1月から国連で署名が始められ、1997年に多国間条約として発効された。正式名称は「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」だ。日本は1993年1月13日に署名し、1995年4月の国会承認後、1995年9月15日に批准した。
また、国内における大きな事件として、サリン事件がある。麻原彰晃こと松本智津夫を教祖とするオウム真理教が、1994年に長野県松本市で猛毒ガス・サリンを噴霧し、住民8人を死亡させ、144人に中毒症を負わせた(松本サリン事件)。さらに1995年3月には、東京の地下鉄車内5ヵ所においてサリンを発散させ、乗客、駅職員13人が死亡、約3800人に中毒症を生じる惨事を起こした(地下鉄サリン事件)。このほか、オウム真理教はVXガス使用殺人事件も起こしている。
人間性を失わなかった女性物理学者
広島・長崎に投下された原爆は、核分裂の際に放出される巨大なエネルギーを利用している。核分裂という原子に秘められた秘密を解くために欠くことができない役割を果たしたのは、オーストリア生まれのユダヤ人女性科学者リーゼ・マイトナー(1878~1968)だった。
1938年、ドイツのオットー・ハーン(1879~1968)と弟子のフリッツ・シュトラースマン(1902~1980)が、エンリコ・フェルミ(1901~1954)たちによるウランへの中性子の衝撃実験の「追試」を行った。すると、原子番号92のウランよりも原子番号が大きい元素群である超ウラン元素とともに、原子番号56のバリウムができていることがわかった。
マイトナーはハーンの共同研究者で、カイザー・ヴィルヘルム研究所の研究員を経てベルリン大学の教授となった。ナチスのオーストリア併合によりユダヤ人の市民権が剥奪されたこともあり、スウェーデンに逃れていた。彼女は、ハーンからの手紙でバリウム発見を知る。ハーンは、いまでは遠く隔たってしまった共同研究者にその発見の解析を求めていたのだ。
マイトナーは、コペンハーゲンにいた甥で物理学者のオットー・ロベルト・フリッツに手紙を送り、会いに来るように懇願した。2人は雪のなかを歩きながら議論した。マイトナーは「これは核が分裂したのである」と結論し、核分裂の現象を解明した。
しかし、「核分裂の発見」に対するノーベル化学賞はハーンにのみ与えられ、マイトナーは外された。それでも、ほとんどの物理学者たちは、マイトナーが科学の世界において成しとげた偉大な功績を正しく認識している。
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アメリカの原爆開発・製造のための「マンハッタン計画」に誘われたマイトナーは参加を固辞したという。
彼女の墓には「人間性を失わなかった物理学者」と刻まれている。死後、彼女にノーベル賞受賞以上の名誉が与えられた。彼女の名から109番元素はマイトネリウムと命名。その他、小惑星、金星や月のクレーターにも名前を残している。
マンハッタン計画
「マンハッタン計画」は、第二次世界大戦に行なわれたアメリカの原爆製造計画の暗号名だ。原爆の開発・製造のために、科学者・技術者が総動員された。
1941年にアメリカが原爆の計画を決定し、同年12月に原子力委員会が設けられた。原爆は、核分裂性のウラン235やプルトニウム239をある一定量(臨界量という)以上集合させればよい。臨界量以下ならば決して爆発しない。自然状態での臨界量はウラン235で49キログラム、プルトニウム239で12.5キログラムである。しかし、反射材を使って核分裂物質に中性子を反射することで、臨界量をずっと少なくできる(反射材は中性子を反射する物質で、今はベリリウムが使われている。原爆の外に逃げてしまう中性子を反射させて有効に使う材料となる)。プルトニウム核弾頭などは3~5キログラム前後と推定されている。
原爆を実現するために課題は、まず天然ウランに0.71パーセントしか存在しないウラン235を分離し、濃縮すること、同じく核分裂性元素のプルトニウムを製造する原子炉を建設することだった。
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1945年8月6日、アメリカ軍は広島市に世界初のウラン原爆「リトルボーイ」を投下した。爆心地から2キロメートル以内がほぼ全壊・全焼し、同年末までに14万人が死亡したとされる。同月9日には、長崎市にプルトニウム原爆「ファットマン」を投下した。約1万3000戸が全壊・全焼し、同年末までの死者は7万4000人と推定されている。