じじぃの「人の生きざま_400_JP・ベルモンド」

ジャン=ポール・ベルモンド - あのひと検索 SPYSEE
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A BOUT DE SOUFFLE(勝手にしやがれ)−Jean Paul Belmondo 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=V2FQYRz82qY
Leon Morin, pretre - TRAILER 1961 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tUA6VrLJW0s
映画 「勝手にしやがれ」のベルモンドとセバーグ

ジャン=ポール・ベルモンド ウィキペディアWikipedia)より
ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo、1933年4月9日 - )は、フランスの俳優。シリアスなドラマからアクション・コメディまで、出演映画は幅広い。20世紀後半のフランスを代表する俳優の一人。実子のポール・ベルモンドは、元F1ドライバー
【映画スターとなる】
演技力を高く評価されたベルモンドを、映画界も無視していなかった。1957年に端役で映画出演するようになる。このうちマルク・アレグレ監督の『黙って抱いて』には、やはり無名時代のアラン・ドロンも出演していた。1958年にはジャン=リュック・ゴダール監督の短篇映画『シャルロットと彼女のジュール』に出演。ちなみにこの映画撮影後ベルモンドが兵役に出てしまったので、ベルモンドの声はゴダール自身が吹き込んでいる。
パリに戻った1959年、ベルモンドはクロード・シャブロル監督『二重の鍵』に出演する。これまでのチョイ役に比べると重要な役で、その存在感を示したベルモンドは映画でも注目された。
そして同年、ふたたびジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』に主演。ヌーヴェルヴァーグの代表作として大ヒットするとともに、ベルモンドを一躍映画スターの座に押し上げた。こうして、年に数本の映画に出演するようになる。それらはドラマ性の高いシリアスなものが多く、成功した作品ばかりではないが、ベルモンドは着実な演技力に支えられて、ヤクザから貴族に至るまでの幅広い役をこなした。

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『セピア色の映画館』 田辺聖子/著 文化出版 1999年発行
青春のエッセンス「勝手にしやがれ」 ジャン・ポール・ベルモンドジーン・セバーグ (一部抜粋しています)
今までの映画的文法とはまるきり、違っていた。ショック、なんてもんじゃなかった。
フランス映画「勝手にしやがれ」である。
製作は1959年、日本公開は1960年、30数年前のこと。
劈頭(へきとう)、村井の青年ミシェルの、人もなげな自動車泥棒の場面、これがジャン・ポール・ベルモンドだ。あのぎょろ目、鼻翼の張った強欲らしい鼻、好色で姦悪(かんあく)そうな、厚い大きな唇――と、こう並べたてると、いかにも陋劣(ろうれつ)な性悪男みたいだけど、その、ひょろっとした躯(からだ)つきがどこかたよりなく、瞬間瞬間でかわるまなざしの表情が、ふと澄んでいたりする、要するに捉えどころのない青年が、画面に躍り出たのである。
鼻唄をうたいながら盗んだ車を走らせる。
ところがマルセイユの海岸。車の物入れにピストルがあったのが悪かった。有頂天のミシェルは太陽を射ち、追抜き禁止の標識を無視して突っ走り、警笛を響かせながら追ってきた白バイの警官を射ち殺す。罪の意識もことさら持つようでなく、パリへ逃げ、馴染みの女のバックから小金を盗み、……何の苦労もない顔をしてシャンゼリゼをうろつき、新聞売り子の女の子、パトリシアにつきまとい、へらへら笑いながら<おれ、君が好きなんだ>とくどきはじめる。……
日本じゅうの若者の魂は、オーバーにいえば、この映画で震撼したと思う。
(何や、これは……)
と呆然としたのではないか。
(アホか、この男。……いかれるにしても、限度あるゥ。ニヒルいうても程度あるやろ)
と思ったのではないか。そう思いつつ、もうミシェルから目が離せないのである。モノクロのパリがいきいきと2人の若者の背後に流れる。街頭撮影が斬新にみえたのは即興的演出だからで、ハンド・カメラは全く映画の伝統的手法を無視し、場面は唐突に切りとられたり、不安定に歪む。そしてこれも継ぎはぎだらけのようにみえながら、とびきり新鮮な会話とラブシーン。
これがジャン・リュック・ゴダール長編映画デビュー作であり、ヌーヴェル・ヴァーグの代表作になった。
といっても1950年代の青春が描かれている、というようなものではない。それよりもっとなま身の、収拾つかない現実だけがある感じ。観客はこの無頼の若者に普通の映画のように感情移入できない。そうなるにはあまりに映画的伝統作法は無視されているから。
それでも<存在感>のたしかさは動かしようがなかった。
パトリシアはジーン・セバーグ。1938年、アイオア州の田舎生れ、実はアメリカ娘なのである。「悲しみよこんにちは」のショートヘアが、セシル・カットともてはやされ(流行に弱い私はまたもや兆戦した)中性的な、少年っぽい魅力が注目されたが「勝手にしやがれ」で、映画史に残る女優さんいなってしまった。
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ミシェルとは以前に3晩だけ一緒にいた仲だ。ミシェルは彼女にローマへ行こう、と誘うが、彼女はジャーナリスト志望で、それどころではないのだ。ミシェルはまた、盗んだ車の分け前にありつくのに必死だ。
<一文なしじゃ、女は出来ない>
やっと手に入れたのは銀行渡りの小切手、現金化するのにあたふたするうち、刑事につけられはじめる。パトリシアの部屋で、不毛な、すれちがいの会話を交すベッドの2人。
そのくせ、なんとそれは、<若さの不毛>の象徴であることだろう。パトリシアは訪問記事を書かせてもらう代わりに、前夜、新聞記者と一緒にいた。ミシェルはいう。
<おれがゆうべ、君たちを尾行していたのを知ってるだろう? 返事をしろよ、どうした?>
<ほっといてよ、考えごとしてるの。なぜここにきたの、ミシェル>
<きみと寝たいからさ>
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