じじぃの「人の死にざま_437_C・ドイル」

アーサー・コナン・ドイル - あのひと検索 SPYSEE
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コナン・ドイル1005 動画 YouTube
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シャーロック ホームズ - ペルシャじゅうたんの謎 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=sGNPc6dzrGw&feature=fvw
アーサー・コナン・ドイル フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
サー・アーサー・コナン・ドイルはイギリス・スコットランドエディンバラ生まれの小説家で、推理小説歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。
【概要】
シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られ、エドガー・アラン・ポーとともに現代の推理小説の生みの親とされている。
現実社会でもジョージ・エダルジ事件、オスカー・スレイター事件で被疑者の無実を主張し、冤罪を晴らすために力を尽くした。また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力した。
SF分野では『失われた世界』、『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『白衣の騎士団』、『勇将ジェラールの回想』などを著している。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
コナン・ドイル (1859-1930) 71歳で死亡。 (一部抜粋しています)
1886年、ステーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』が一世を風靡している年、27歳のコナン・ドイルシャーロック・ホームズがはじめて登場する『緋色の研究』を書いていくつかの出版社に送ったが、みなつき返され、ようやく一社に著作権買切り、25ポンドという条件で買い取ってもらった。
シャーロック・ホームズはたちまち全世界に最も愛される名探偵としての存在を獲得し、ドイルもまた43歳のときナイトの爵位を授与された。
冷徹奇矯(ききょう)の名探偵ホームズを生んだドイルは、しかし良識の紳士であった。
にもかかわらず、大衆のアイドルとなったこの良識の大探偵作家は、第一次大戦に出征した息子を失ったこともあって、晩年心霊学に凝(こ)りはじめ、心霊学に関する論文や小説を書き、持病の心臓疾患をおしてイギリスはもとよりヨーロッパ各地を講演してまわった。
1929年晩秋、ついに彼は倒れ、病用の結果、翌年春ごろ回復したように見えたが、夏からまた悪化した。
1930年7月7日朝7時半、衰弱した彼は、ベッドから出て椅子に坐りたい、といった。家人が手をかして、窓の面した柳の枝で編んだ椅子に坐らせた。彼は口をきくのも困難な状態にあったが、2度目の妻ジェーンに向かって、「この地上で最も優秀な看護婦へ、と刻んだ勲章をお前のために作るべきだと思うよ」
と感謝の言葉をもらした。
開かれた窓の外の芝生はまだ翳(かげ)っていたが、すでに夏の太陽はのぼっていた。彼の両手を握っていたジェーンと息子のアドリアンがその手を握り返したのを感じた。ドイルは家族一人一人見まわし、椅子にもたれかかったまましずかに眼をとじた。
珍しく幸福な作家の、珍しく幸福な死であった。特に彼は「死後の生」を信じていたから。

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