じじぃの「宮崎駿・第1章・風の谷のナウシカ・ハイ・ファンタジー!ジブリアニメの世界」

【4K】1984年『風の谷のナウシカ』映画スライドショー/1984 "Nausicaa of the Valley of the Wind" movie slideshow

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=YCUmaJcN3t4


①「風の谷のナウシカ」考察/VH要素0%

2020-04-29 日々是Van Halen
〔第一段〕
“巨大産業文明が崩壊してから1000年。錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に くさった海‥腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり 衰退した人間の生存をおびやかしていた”

こんばんは。今夜は胸毛パーティから趣向を変えて、宮崎駿監督の名作「風の谷のナウシカ」考察をディープにお送りしたいと思います。GWは「Stay the Fuck at Home」家でDVD鑑賞しませんか。
https://ameblo.jp/ipanema2019tt/entry-12593087417.html

『誰も知らないジブリアニメの世界』

岡田斗司夫/著 SBクリエイティブ 2023年発行

第1章 宮崎駿の鋭すぎる「技術」論――『風の谷のナウシカ』 より

風の谷のナウシカ』はハイ・ファンタジー

1984年に公開された『風の谷のナウシカ』は、宮崎駿の長編アニメ映画第2作です。
制作当時のスタジオはトップクラフトという会社でしたが、公開翌年の1985年にはスタジオジブリに改組されます。このこともあり、現在では『ナウシカ』はスタジオジブリの第1作ということになっています。この本でも、『ナウシカ』はジブリアニメとして合うカウことにします。

さて、『ナウシカ』はいわゆるファンタジーに分類される作品ですが、ファンタジーには、大きく分けて2種類あります。

ロー・ファンタジーとハイ・ファンタジーです。
ロー・ファンタジーの代表作には、たとえば『ハリー・ポッター』シリーズが挙げられます。どういう意味かというと、現実とのつながりがあるものをロー・ファンタジーと言います。『ハリー・ポッター』は現代のイギリスが舞台となぅていますね。ロンドン駅と魔法の世界がつながっている。現実とつながっているから、ロー・ファンタジー

それに対してハイ・ファンタジーは、現実とはかけ離れた架空の世界を描きます。『ハリー・ポッター』に対比して挙げるなら、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズはハイ・ファンタジー。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」繰り広げられる『スター・ウォーズ』シリーズもハイ・ファンタジーですね。ハイかローかというのは、別に応急かそうでないかではなく、現実と近いか遠いかの差だと考えてください。

言うまでもなく、『ナウシカ』はハイ・ファンタジーに分類されます。

錆とセラミックにおおわれた不毛な大地

ではハイ・ファンタジーである『ナウシカ』で描かれる架空の世界とはどういうものか。映画のオープニングで、テロップを用いて説明されます。

  巨大産業文明が崩壊してから1000年 錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に くさった海‥腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり 衰退した人間の生存をおびやかしていた

シンプルな説明ですが、大事な情報が書いてあります。『ナウシカ』に出てくる大地は「錆とセラミック片におおわれた不毛な大地」だと。

何の気なしに見ているとついつい間違えてしまいますが、『ナウシカ』の舞台は砂漠ではありません。僕らには文明が滅んだらそこは砂漠、という固定観念があります。エジプトも中国もどこでも、多くの古代文明は砂漠のなかに見つかりますし、現在の地球では環境破壊の結果、砂漠化が深刻です。『マッド・マックス』シリースをはじめ、終末世界を砂漠に設定するファンタジー作品も多いです。

ナウシカの結論、サン=テグジュペリの結論

さて最後に、同じくエンドクレジット中のカットを参考に、宮崎駿が『ナウシカ』にどんな決着を与えたかを見ていきましょう。注目したいカットが2つあります。

それが「ナウシカたちが新しい風車を作っている場面」と「ナウシカが子どもたちに飛び方を教えている場面」です。これも宇宙船の映り込み同様、ぜひ見返してみてください。

この2つの場面で特に注目したいのが、ナウシカ以外の人々や子どもたちの描写です。

2つの場面には、人々や子どもたちには鉢巻をつけた人と、そうでない人が両方います。風の谷の人々と観客が見分けられるように、ペジテの人は鉢巻のようなものをつけている設定です。つまりこの場面では、風の谷とペジテの人々が入り交じっているのです。

この意味は重大です。風使いの技術は、自分たちが特権的な立場として生きていくための財産のはずです。それをこともあろうに、風の谷の人々だけでなく、ペジテの人々にも公開してしまった。それをあらわしたカットになっています。

ナウシカはそれまでの一族の考え方をまるっきり変えたのです。風の谷を排他的に守るのでもなく、一族の技術を守るのでもなく、技術を広めることで、未来い託しているのです。子どもたちに飛び方を教えるというのは、夫を持たないナウシカができる、新しい世代の創造です。風車の技術を教えるというのは、多くの人たちに自分たちの生き方を伝えるインフルエンザー的な行動です。

ところで『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリには、『人間の土地』というエッセイがあります。宮崎駿新潮文庫版のカバーイラストと解説を担当するくらい同作のファンなのですが、『ナウシカ』の結論はまさに『人間の土地』になぞらえることができます。

『人間の土地』はパイロットでもあるサン=テグジュペリが、世界各地を飛んできた経験をもとに、生きる哲学を探すような内容となっています。当時、飛行はかなり危険で、死と隣り合わせです。だから人生観につながるです。哲学書としても読める『人間の土地』の結論を僕なりにまとめると、「荒れ地で強い風を受けながら、それでもすっくと立つことが人間だ」ということです。

ナウシカが出した結論も似ています。風使いの末裔として、風に親しみ、空を飛んできた。冒険を通じていろいろな世界を見てきた。地球の環境は、人間が生きるには厳しい。それでも、人間はただ生きるしかない。腐海の瘴気にさらされ寿命を削られながらも、尊厳を失わずに、自分の生き方を貫くしかない……。

あのサン=テグジュペリと過程と結論を同じくして、ナウシカは技術者としての特権を放棄し、ひとりの人間として風の谷の未来を引き受けるのでした。