じじぃの「カオス・地球_01_人間がいなくなった後の自然・はじめに・手つかずの自然などない」

【ゆっくり解説】人類が消えた後に起こること

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EhkFAFuZNrw


草思社 人間がいなくなった後の自然

【目次】

はじめに

第1部:人間のいない間に
第1章 荒地:スコットランド、ウエスト・ロージアンのファイブ・シスターズ
第2章 無人地帯:キプロスの緩衝地帯
第3章 旧農地:エストニア、ハリュ
第4章 核の冬:ウクライナ、チョルノービリ
第2部:残る者たち
第5章 荒廃都市:アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
第6章 無秩序の時代:アメリカ合衆国ニュージャージー州、パターソン
第3部:長い影
第7章 不自然な淘汰:アメリカ合衆国スタテンアイランド、アーサー・キル
第8章 禁断の森:フランス、ヴェルダン、ゾーン・ルージュ
第9章 外来種(エイリアン)の侵略:タンザニア、アマニ
第10章 ローズコテージへの旅:スコットランド、スウォナ島
第4部:エンドゲーム
第11章 啓示:モンセラトの首都 プリマス
第12章 大洪水と砂漠:アメリカ合衆国カリフォルニア州、ソルトン湖

                  • -

『人間がいなくなった後の自然』

カル・フリン/著、木高恵子/訳 草思社 2023年発行

はじめに より

「手つかずの自然」などない

本書で、私たちは地球上で最も不気味な場所、最も荒涼とした場所へ旅をする。レーザーワイヤーで囲まれ、40年間放置された旅客機が、滑走路で錆びついている無人地帯。ヒ素で汚染され、どんな木も育たない森の中の空き地。くすぶる原子炉の廃墟の周りに急造だれた立ち入り禁止区域。砂浜が砂ではなく、かつてそこの海で泳いでいた魚たちの骨でできている、後退し縮んでいく海のさびれた海岸。

これらの異質な場所をつなぐ共通点は、打ち捨てられた廃墟であるということだ。戦争のせいなのか、あるいは災害、病気、経済の衰退のせいなのか、それぞれの場所は何年間もあるいは何十年間も放置されたままである。時が経つにつれて、自然の力が自由に働くようになり、絶えず変化する環境を理解する上での貴重な手掛かりとなっている。

もし本書が自然をテーマにしている本であるとしても、手つかずの自然の魅力を熱狂的に語るものではない。本書はある意味で必要性に迫られて書かれた。世界には、真に「手つかずの自然」が残っていると主張できる場所はほとんどない。最近の研究によれば、南極大陸の氷床や深海の堆積物からもマイクロプラスチックや有害な人工化学物質が発見されている。アマゾン川流域の空撮で、森林におおわれた土塁が発見された。それは、はるか昔に滅びた文明の最後の遺跡である。人為的な気候変動は、地球上のあらゆる生態系、あらゆる景観を変容させるおそれがある。そして耐久性のある人工物は、消えることのない私たちの署名を地質記録に刻んだ。

相対的に言って、他の場所に比べて影響を受けにくい場所であることに異論はないだろう。私が注目するのは、地平線の彼方に消えていく手つかずの自然の残照ではなく、夜明けの山際を照らす朝日の光である。ますます多くの土地が廃墟となっている今、その光は新たな野生の新たな夜明けを示しているのかもしれない。廃墟が増えている理由の1つは、人口動態の変化である。先進国では出生率が低下し、農村部の人口が都市部へ流出している。世界の国の約半分で、出生率が人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態)を下回るようになってきた。
人口が、2049年までに1億2500万人から1億人以下に減少すると予測されている日本では、土地(建物)の8件に1件はすでに廃墟となっており、2033年には全住宅の3分の1近くが廃墟になると予測されている(日本人はこれを「空き家」と呼んでいる)。

もう1つの理由としては、農業形態の変化である。集約農業は――環境上の多くの難点にもかかわらず――少ない土地で多くの生産ができるため、効率的である。膨大な量の「限界的」農地は、特にヨーロッパ、アジア、北米では野生の状態に戻すことが許されている。
「2次植生の回復」(つまり旧農地や旧林地)は現在、約2900万平方キロメートルの面積を占めるに至っている。言い換えれば、現在耕作されている土地面積の2倍を占めている。今世紀末には5200万平方キロメートルにまで増加する可能性がある。

私たちは広範で自発的な再野生化の実験の真っ只中にいるのだ。なぜなら、放棄するということは、非常に純粋な意味において、再野生化するということであり、人間が退くと、自然はかつての自分たちのものだったものを取り戻すからである。これは、人が見ていない間に壮大なスケールで行われてきたし、現在も行われている。これは胸躍る将来の展望だと私は思う。
最近の研究成果を発表した著者たちは次のように書いている。「世界中で回復しつつある生態系は、膨大で範囲を拡大しつつあり、6番目の大量絶滅を緩和するのに役立つ前例のない機会を提供している」

私は本書を執筆中、世界的規模のパンデミック(流行病)の真っ只中に身を置いていることに気づいた。人間たちが各家庭に閉じこもっている間に、野性動物が人通りの絶えた通りに進出しているという報告がネット上で拡散した。傍若無人な野生のヤギの群れがウェールズのランディドノーの街を襲った。日本の奈良では、ニホンジカが道路の安全地帯で草を食んだ。チリの首都サンティアゴでは、ピューマが路地でうろつき、オーストラリアのアデレードでは、だれもいない中央ビジネス地区をカンガルーが飛び跳ねた。

注目された写真の多くは印象的ではあるが、その動物集団がすでに人間の居住地の周辺に住んでいるものを題材としていた(奈良のシカは、いつも観光客の手から餌をもらっている。シカたちはそれを求めて街を徘徊していたのだろう)。これらは自然の回復というよりは自分自身を見せる大胆さを示しつつあるということだろう。しかしこのような光景を目にすると、私たち人間の勢力範囲が、今現在でさえもいかに人間以外の世界と密に重なり合い交わり合っているのかが思い起こされる。つまりは、人間の住んでいる場所が野生動物によって乗っ取られるかということでもある。
    ・

私は2年間かけて、最悪のことが起きてしまった場所を旅した。戦争、原子炉のメルトダウン炉心溶融)、自然災害、砂漠化、毒化、放射能汚染、経済崩壊に見舞われた風景である。世界の最悪の場所ばかりを次々に並べる本書は、暗黒の書というべきかもしれない。しかし実のところ、本書は救済の書なのである。

地球上で最も汚染された場所――石油流出で窒息し、爆弾で吹き飛ばされ、放射性降下物で汚染され、天然資源が枯渇した――このような場所がどのようにして、生態学的プロセスを通じて再生できるのだろうか。最も人為的攪乱が多い土地に発生する人里植物はどのようにして足がかりを見つけ、コンクリートやがれき、砂丘にさえも定着するのだろうか。コケが黄金色の草になり、ポピーやルピナスの鮮やかな色の花になり、低木になり、樹木になるとき、生態遷移の色彩はどのように変化するのか。ある場所は見違えるほど変わってしまい、すべての望みが絶たれたように見えるとき、どのようにして別の種類の生命の可能性を育むのだろうか。