【ホームメイト】宮崎アニメ|紅の豚徹底解剖!
1992年(平成4年)公開のスタジオジブリ作品「紅の豚」。
1920~1930年代のアドリア海を舞台とし、元軍人で賞金稼ぎのマルコを主人公としたアニメーション作品です。ジブリシリーズでは、「おもひでぽろぽろ」に続く、6作品目となります。それまでは、「となりのトトロ」のようにファミリー向けの作品が多かったものの、「紅の豚」では一転して大人が楽しめる内容として注目を集めました。
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第5章 飛行機オタクの大暴走――『紅の豚』 より
好きに作ってすごいことになった『紅の豚』
ようやく『魔女の宅急便』が大ヒットした宮崎駿。『紅の豚』では好きに映画を作らせてもらえます。誰がどう見ても豚は宮崎駿自身がモデルですし、この作品で宮崎駿は、正面切って大好きな飛行機を描くことに集中しています。JALの機内上映のため作られたことも理由ですが、それにしても飛行機がイキイキと描かれています。
観客のターゲットは「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男」なのだと、本人が演出覚書で名言しています。これまで守ってきた「アニメは子どものため」という建前をいったん忘れて、まさに疲れた中年である自分に向けて好きに作ったのでしょう。『トトロ』『魔女の宅急便』の立ち続けの激務への、盛大な反動です。
空を飛べばモテモテで、若い女子にはキスされて、憧れの未亡人とは結ばれて……。気持ち悪いくらいのオヤジの夢物語が描かれます。
好きに作っただけあってストーリーの整合性はいよいよメチャクチャです。これまでの作品は、難を指摘されつつも感動的な結末になんとかまとまっていました。対対して、『紅の豚』は、「え、散々飛行機乗りのプライドを描いてきて、最後は殴り合いで決着ってさすがにそれはないでしょ」と僕も思うほどです。何というか、グダグダ感がうまく隠せていません。
というより、隠す気がないのでしょう。この作品以降、宮崎駿はシナリオの整合性、起承転結の法則といったものを明らかに気にしなくなります。
それでも『紅の豚』は僕が本当に大好きな宮崎アニメです。宮崎駿が初めて本心を隠さずに吹っ切れたことで、作家として一皮剥けた作品。『紅の豚』はそう位置づけてよいと思います。物語ではなく絵に着目すると、時に非高位の描き方は飛行機オタクの面目躍如と言いますか、細かい描写にいちいち唸らされます。
宮崎駿が愛してやまない飛行機。「わかる人にだけわかればいい」と説明しないでとにかく詰め込まれた、飛行機まわりの描写について解説しています。
そもそもなぜ豚なのか
そもそもポルコが豚になった理由は、生と死の欲望に結びつける以外にも、様々な解釈が可能です。そのどれもが正解で、複数の理由や意味が重なっているのでしょう。
一番簡単なのは、紅の豚=赤い豚野郎=共産主義者という図式で、『紅の豚』のタイトルの由来として宮崎駿本人もパンフレットで語っています。ポルコ本人は共産主義者ではないですが、資本主義社会でかつての「赤狩り」が行われたように、国家の敵として描かれています。社会のアウトサイダーとしての「赤い豚」というわけです。
ただこの説明だと、赤い理由は説明がつくとして、豚である理由が弱いです。主人公がたまたま豚で、映画の見栄えを意識して海と空の青に映える赤い飛行機を出した。その後付けのようにも思えます。
本章冒頭でも言ったとおり、『紅の豚』は明らかに宮崎駿の私小説です。飛行機好きとしての自分、中年としての自分、アニメ業界のアウトサイダーとしての自分を表現しています。ポルコはつまり宮崎駿のことですから、なぜ彼は自分自身を豚として描いたのかを考えるべきです。
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最後に、ここまでの話をまとめると、豚の顔の理由は、①国家の敵であり、②女性に奥手で、③恋愛を含めて人間としての人生を捨てているからと3段階の解釈ができそうです。
宮崎駿の真意はどれでしょうか? それともほかにあるのでしょうか?
鈴木敏夫が本人に聞いた結果を、『天才の思考』から確認してみましょう。
「そもそもなんでこいつ豚なんですか?」
そしたら、宮さんが怒りましたねえ。
「だいたい日本映画ってくだらないんだよ。すぐに原因と結果を明らかにしようとする。結果だけでいいじゃないか!」
怒って教えてくれないのは、コンプレックスの投影がバレたと思ったからなのか、あるいは本当に何も理由を考えていないのか、確かに私小説であることは往々にして作者自身が無自覚だったり、本人はバレていないと思っていることが多いのですが……。