じじぃの「カオス・地球_345_日本人の精神構造史・第5章・政治権力者の素材」

The Beauty of Mt. Fuji【4K】富士山

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富士山から昇る神々しい初日の出


すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】
はじめに
序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ
第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった
第2章 武家政権が起こした社会変化
第3章 信仰、道徳、芸能の形成
第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂

第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行

生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ より

経済発展とすぐ忘れる危機感

「形式」に入っている「素材」は適切か
政治権力とは、基本的にいつの時代にも、「形式」と「素材」というふたつから構成されているものです。「うつわ」と「なかみ」といっていいでしょう。武家政権の場合にも、将軍というのは形式です。近現代の総理大臣も形式です。その素材は歴代の人物です。この「形式」と「素材」という組み立ては、歴史を通じて動かぬしくみです。その素材としての人物は、権力の創世期には、崇高な理想と実現能力を備えた人物であるおとが確実でした。それだからこそ、その後の後継者たちが、その政治権力を社会の安定のしくみであるとして継承してきたのです。しかし、その権力のしくみが形骸化してきて、「なかみ」に道徳的に倫理的に劣っている人物が投入される例も過去には多くありました。すでに権力のしくみとしてはできあがっているため、問題のあるような人物がその「形式」に「素材」として投入される例も歴史の中にはたくさんあり、それでもしばらくはその政治権力は生き延びることもありました。しかし、それはやがて崩壊する運命を歩んできました。
誰が見てもおかしい、不公平だ、という国民の単純な感覚は、たいへん重要です。「悪の栄えたためしなし」「おごれるものは久しからず」などという言い習わしは、決して過去のものではありません。未来には、2012年(平成24)から続いてきた安倍首相から菅首相へという政権は、カジノを含むIRの構想なども含めて、日本をよい方向をよい方向に導くものではなかったと、やがて歴史の中に証明されていくでしょう。

はたして私たち日本人は、日本の破壊を座して待つのでしょうか。そんなことはないと思います。不当な圧力の中でも、おかしいものはおかしい、と声をあげている人たちは多くいます。それは人間としてふつうの感覚をもっている人たちです。そして、正しいことが何かを考えている人たちです。人としての道、良心をもっている人たちです。そのような人たちは、社会に学ぶという意味での、ふつうの学問をしてきている人たちです。事実をもとに不正を指摘して、なんとか改良していこうとしている良心的な人たちです。

その学問というのは、高学歴の中で習得した成果を、自分の利益や利権の確保のために詭弁や言い訳を駆使している人たちのいう学問ではありません。社会の問題をよく見ることをしないで付和雷同し、多数派の中に安住して利益のおこぼれを得て「へ理屈」を弄している人たちの学問ではありません。詭弁や言い訳やまちがった解説をしている人たちというのは、ほんとうのことが明るみに出ることがこわい人たちです。自分の利権が明るみに出るのがこわい人たちが、他人やマスコミに圧力をかけるのです。

長い人間社会の歴史の流れの中で、日本でもそれぞれの時代ごとに、政権の「形式」の中に入る「素材」としての人物の選択がありましたが、その人物の選択を誤ると非常に危険です。その国も社会も腐敗して破滅してしまいます。そしてそれが、何よりもまじめに働いて生きている人間の一人ひとりを不幸にしてしまうことを、歴史は示しています。その事実を知り、現在の危機について、その近因を知ることが大事です。そしてそれを確認して、二度と同じことをしない、させない、という政権と国民との関係をつくることが大切です。

それはシンプルにいえば、情報の公開とその評価と監査がふつうに行なわれるという関係です。かんたんでわかりやすいことが正しいのです。いまからでも遅くはない、この日本の現状を乗り越えて改良して、社会の回復ができることを学ぶべき現代史の中に、いま私たちが老若男女の一人ひとりは生きています。