じじぃの「カオス・地球_342_日本人の精神構造史・第4章・日本人とは何か」

日本軍兵士の多くは餓死や自決が多かった


日本軍兵士の多くは餓死や自決、ときには「処置」も――死者からわかる戦争の実像 #戦争の記憶

2022/7/31 Yahoo!ニュース
1937年7月に日中戦争、1941年12月に太平洋戦争がはじまり、1945年8月15日の終戦までの8年間に、日本軍は軍属も含め約230万人がなくなった。

「日本の戦況が急激に悪化したのは、1943年2月のガダルカナル島の撤退からです。前年6月のミッドウェー海戦で主力の機動部隊がやられました。その後、アメリカは空母や戦闘機などを急速に増加させ戦力を上げました。43年9月に決定された絶対国防圏も整備しきれないまま、44年6月、サイパン島が陥落します。もうここで事実上負けていたと言ってもいいでしょう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/242e20060e5d65cf4d74d0d600e4521d2d8001f8

すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】
はじめに
序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ
第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった
第2章 武家政権が起こした社会変化
第3章 信仰、道徳、芸能の形成

第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂

第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行
生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂 より

”極東”の島国、軍事大国へ

「国民」「国家」意識の誕生
日本では、明治維新を転換点として、幕藩領主制から立憲君主制へと変わりました。
同時に西欧諸国から発信されてきていた国家と国民という考え方の影響によって、日本の国とその国民の日本人という考え方が広まっていきました。そして、「その日本とは何か」「日本人とは何か」という問いが強く発せられるようになります。それまでの薩摩や長州の人間、江戸や大坂の人間のいう問いが強く発せられるようになります。それまでの薩摩や長州の人間の人間、江戸を大阪の人間という考え方から、広く日本の国の日本国民、日本人という考え方が強くなってきたわけです。
そこから、おのずと、日本とは何か、日本人とは何か、という問いが発せられるようになったのです。そもそもそんな問いがなかったのが、江戸時代までの庶民の感覚でした。日本人とは何か、という問いには、近代の国民国家という考え方が起こってきてから、それに対応するものとして新しく起こってきた問いなのです。

ただし、そこで問題だったのは、自分たちの国や自分たちの文化が最も価値があるように過剰に考えてしまう傾向性です。国家と国民の自覚の芽生えは、自分たちを優位な者と「考えるナショナリズム、国家が個人より優先するという国家主義、などの思潮を生んでいく、というとくに注意しなければならない問題をはらんでいたのです。(新谷尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるか――民俗信仰を読み解く』文春新書、2003)。

1銭5厘の兵士
日本が第一であり大日本帝国が世界の一等国であるという考え方が、日清、日露の戦争や第一次世界大戦などを経る中で広まっていきましたが、その背景にあったのは日本の軍事力が強化されていたことでした。

しかし、その内部には構造的に大きな弱点も抱えていました。第一は、天皇統帥権の独立という問題です。軍の統帥権は内閣の介入を許さず、天皇に直属する陸軍参謀本部と海軍軍令部が補佐するものとされていました。国家が国防方針策定をする場合には、国家戦略と軍事戦略との整合性が重要であり、不可欠です。
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日中戦争の勃発からそれ以降の、軍人と軍属の戦没者数は約230万人にものぼりましたが、そのうち約140万人(61%)が戦闘死ではなく栄養失調による餓死者と体力消耗とマラリアなどに感染した戦病死であったことは指摘されています。敗戦色が濃厚になると兵士たちは戦闘どころではなく、生きることに必死という状況に追いこまれていたのに、政府も軍も何ら有効な対応ができなかったということです。

それは戦争の有利不利という情勢によるものではなく、兵士1人に対して、どうせ「お前ら1銭5厘だ」と言い放つ日本軍の体質、価値観によるものでした。1銭5厘とは、召集令状赤紙の郵便の値段です(戸部良一他『失敗の本質――日本軍の組織的研究』中公文庫、1991/藤原彰『餓死した英霊たち』青木書店、2001/吉田裕『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』中公新書、2017)。

日本軍の特徴と価値観の日本社会における危険な根強さ
こうした日本軍の特徴、価値観は、当時の軍隊だけではなく、日本の社会の中にある特徴でもあり、むしろ病巣でもあります。戦後の学校教育の場でも体育会系の部活動の変場でも、また企業の研修や職場でも残ってきている日本人の決してよくない体質です。

それは。「これはおかしい」と個人が発言できる状況がなかったこと、あったとしてもその発言をした個人を問題のある人物として集団で排除していく、そしてそのような仕打ちを止めようとしない、止めることができない人たちが多い、という日本人の、日本社会の体質としていまも伝えられています。このような日本の社会の体質は、残念ながらすべてなくすことはできないかもしれません。

だからといって、ただこのままでは日本の社会が衰退していくだけです。このままだと、正義か不正義かという判断力と意見発信力を封じこめる悪意のあるものたちが、またそれを悪意とさえ理解できない力ある者たちが暗躍して、多くのふつうの人たちが、目の前に理不尽なことがあっても、とにかく強力な支配者に追随し賛同していくいくだけの人たちの社会、地方、国になっていってしまうだけでしょう。

すでにその予兆はあります。たとえば2017年(平成29)の森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題です。当時の財務省理財局長の佐川宣寿氏からの公文書改ざん指示を受けた近畿財務局の赤木俊夫氏は、指示への抗議をするも聞き入れられず不本意な対応を強いられ、その後自死しました。職能の基本について忠実にまじめに学び、社会の正義を大事にして研修を重ねた善良な公務員が、なぜ自死を選ばざるを得なかったのでしょうか。それを強制した組織の上級公務員たちは最高の地位について、退職後の生活も経済的に恵まれた中にいます。そのようなことが21世紀初頭のいまの日本で現実化しているのです。

そして、その現実に対して、正々堂々とおかしい、それを是正しなければならない、ということを、政治家や高級官僚や経済界の有力者、報道機関の有力者や学者や研究者など、社会的に権威や権力をもっている人たちが誰も言わない。そして、広く国民一般においてもそれがおかしい。是正しなければいけない、という意見が多数派にならずに問題が放置されている。そのようなことが、いま、現代の日本の社会と政治の体質にも受け継がれています。

それがなぜなのかを、本書ではその原因を追跡して、少しでもその改善へ解決へという方向への道筋を見つけたいと思っています。