じじぃの「歴史・思想_673_ゼレンスキーの真実・ロシアのウクライナ侵攻」

「これは戦争の終わりの始まり」 ゼレンスキー大統領


静かな朝、響く国歌 ゼレンスキー大統領、兵士に演説

2023/2/24 産経ニュース
ロシアの侵攻が始まった1年前とは異なり、空襲警報も鳴らず、静かに明けたウクライナの首都キーウ(キエフ)の朝。曇天で気温は氷点下3度と冷え込む中、午前8時にゼレンスキー大統領が市中心部の大聖堂前に現れると、国歌が鳴り響いた。
https://www.sankei.com/article/20230224-FSQ6C3ZGX5IWFBABQSAB3LIDQM/

ゼレンスキーの真実

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン(著)
【目次】
第1章 演じたことのない場面
第2章 ドラマの大統領から現実の大統領へ
第3章 95地区の芸人
第4章 オリガルヒとの緊張関係
第5章 プーチンとの交渉
第6章 複雑な欧米諸国

第7章 歴史に出会う場所で

                  • -

『ゼレンスキーの真実』

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン/著、岩澤雅利/訳 河出書房 2022年発行

第7章 歴史に出会う場所で より

結束する国民

ヴォロディミル・ゼレンスキーとは何者なのか。彼はその発言と行動を通じて、30年前から現代的な政治意識を持った国民の思想を体現している初めてのウクライナ大統領である。彼は知識人ではなくて思想家である。シンプルな考えを持った実践的な政治家である。シンプルすぎると批判されることもある。彼は、政治家に力強いメッセージを発する能力によって、一種のカリスマ性を確立してきた。ウクライナ国民が共感できる言葉を紡(つむ)ぎだすこうした能力こそゼレンスキーの強みであり、2014年から深い変化を続けているウクライナの国民的アイデンティティの受け皿としてゼレンスキーが支持される理由である。

ウクライナでは30年前から歴史が進みつづけ、戦争経験を通じて、その進み具合が驚くほど加速している。8年前から、そして2022年2月24日からはいっそう顕著に、私たちはヨーロッパでいちばん新しい国民国家の誕生に立ち会っているのだ。ウクライナというこの国は、かつて信託統治受託国としてウクライナを治めていた帝国に対決姿勢を示したために、砲火の洗礼を受けている。歴史家がよく指摘することだが、ウクライナは20世紀に「犠牲になった国」だった。第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国ロシア帝国が倒れたあとに、中央ヨーロッパと東ヨーロッパでいくつもの国が誕生した。ウクライナは初めて現代的な国家となり、ウクライナ人民共和国と名乗った(1917年から1920年)。

しかし、ロシアの内戦を乗りこえることはできなかった。少数の大国は、1918年以後のヨーロッパ地図を書きかえる講和条約で、ウクライナポーランド双方が権利を主張する領土をめぐり、独立ウクライナの建国よりもポーランド国家の再生を優先した。その結果、ポーランドチェコスロヴァキアルーマニアと違って、ウクライナは独立国家への移行の波に乗ることができなかった。

70年にわたるソヴィエト体制を経て、1991年、体制の綻(ほころ)びから独立が実現する。ウクライナ人は、このとき手にした独立が毒の入ったプレゼントだったのではないかと思うことがある。国民が必死に戦うことなしに転がりこんできた独立だからだ。それは何よりも、力の尽きた体制が崩壊した結果である。
    ・
では現在、ウクライナが進むべき道を見いだしたとしたらどうだろう。クリミア半島が併合された8年前から、ウクライナでは政治が変化し、統合が加速化している。それはロシアとの戦争という過酷な試練を通じて開かれた道である。この30年で、ウクライナ国民の結束にもっとも貢献した人物はウラディーミル・プーチンにほかならない。ウクライナを取り戻すという執念に取りつかれたプーチンは、自分の計画が次々に失敗するのを見せられた結果、破壊的な戦争という最後の手段を用いるほかなくなった。

ロシアは8年前から、ウクライナを「ファシスト政権」にコントロールされている「破綻した国家」だと述べてきた。そして、国民がウクライナ語を母語とする者とロシア語を母語とする者のふたつに分かれ、政府はロシア語を母語とする国民に「ジェノサイド」を行なっているとしてきた。こうした極端な解釈に、現実の裏づけは全くない。言語による国民の分裂が存在するとしても、それは少しずつ克服されえつつあり、いまウクライナは自らを、国家高宗のなかに市民権を組み入れた、多様性を許容する統一国家だと考えている。

ひとりひとりが英雄

侵攻開始から2ヵ月が経過すると、ゼレンスキー大統領の人気は頂点に達し、少なくとも戦争に対処している時間は、国民の圧倒的多数を味方につけるようになった。ウクライナの政界に詳しい識者にとってこれはちょっとした驚きだった。ゼレンスキーが大統領としてこれほど闘志に満ちたところを見せるとは誰も思っていなかったからだ。2月24日の朝までは、かりに戦争になると彼はリーダーシップを発揮できないのではないかという懸念があった。

週刊誌『ノヴォエ・ヴレミャ』の政治記者クリスティナ・ベルティンシキフはこう語る。「ゼレンスキーは、平和主義者として大統領に就任した。命を尊重する観点から、彼は戦争そのものに反対で、戦争をまったく望んでいない。彼の望みは、道路を整備し、大規模な計画を進めることで、戦争ではない。がれはドンバス地域の前線をたびたび訪れたが、それにもかかわらず多くの人が、ゼレンスキーは軍を率いる司令官の器ではないと考えていた」。ベルティンシキフは、いまやゼレンスキーが新たな職務の領域に入ったという。「戦争が始まると、彼が毅然としていて度胸があることが明らかになった。落ち着きを失わず、キーウから離れることもなかった。身の安全を図るために首都を出るという選択をあえてしなかったことで、状況がロシアの思惑どおりにならなかった面がある。軍人たちは大統領が尻込みすることもなく戦争に臨むつもりだと感じ、国民も同じ印象を抱いた」

ゼレンスキーが放つオーラは、毎日投稿される十分ほどの動画の力によっても始まった。動画はたいてい夜間に、参謀本部や執務室や屋外で撮影される。そして飾らない言葉で、女性や子どもなど、個人がどんな状況に陥っているかをつねに伝える。一般の人々が感じていることをきわめて正確に表現するのだ。他方で、その発言にはロシア軍を恐れない姿勢が表れている。毎晩、トレードマークとなったカーキ色のTシャツ姿で、1日のできごとを簡潔に話し、戦況と外交交渉の進み具合を説明し、よく響く低い声で国民の士気を高める。こうした動画は多くの場合、その日の英雄、つまり<ウクライナの英雄>という公式の肩書を大統領令で授けることになる人物を称える言葉で締めくくられる。たとえば2022年4月15日、ゼレンスキーは戦死者34人を含む237人の軍人に勲章を授与したと伝えた。そして<ウクライナの英雄>という肩書を「その場にふさわしい有効な作戦と、陣地の維持および敵の排除においてめざましい成果をおさめたことに対し、仲間を鼓舞するすぐれた行動の手本として、ドミトロ・ワレリヨヴィチに」授けたと発表した。
    ・
ウクライナ人は、ゼレンスキー大統領の英雄的な性格を理解するにあたって、欧米人よりもずっと慎重である。この戦争をまったく楽観視していないジャーナリスト、クリスティナ・ベルティンシキフは次のように言う。「ゼレンスキーは多くの人を納得させてきたと思う。国民は彼がこれほどの勇気を見せるとは予期していなかった。彼の批判者たちも口をつぐんだ。彼らが急にゼレンスキーを好きになったわけではないが、いま大切なのはロシアに立ち向かい、プーチンとの戦いに勝つこと。国内の不和に気を取られている暇などないことを、みな理解している」
ベルティンシキフは笑顔でこうも言う。「ウクライナが戦争に勝ったら、ゼレンスキーに対する批判が復活するだろう。ウクライナ人は逆境に陥るとすぐ団結するけど、平和なときはすぐけんかを始めるから」。彼女の指摘によると、ロシアと継続中の交渉で、ロシア軍が撤退するための不可欠の条件としてウクライナの中立性を突きられていることについて、すでにゼレンスキーを批判する声が上がっているという。「でも率直に言って、それは軽薄な批判だ。私の見るところ、ゼレンスキーは戦争が始まってからの3週間で、それ以前のおよそ3年間以上に政治家として成長した。ウクライナが戦争に勝って、ロシアとのあいだで不利な講和条約を結ばずにすめば、ゼレンスキーの大統領再選はほぼ確実だろう」

もしかすると、ゼレンスキーは数ある英雄のなかではありふれた英雄かもしれない。つまり彼は「国民のしもべ」として自分を一づけていて、2022年の真の英雄は個人としても集団としてもウクライナ国民なのかもしれない。哲学者、エッセイストとしてウクライナの現在の変化を克明に観察しているヴォロディミル・エルモレンコは言う。「ウクライナ国民は、民主主義の価値を守ることが可能なばかりでなく、それが英雄的行為であることを世界に示した。しかも、数十年前から民主主義世界を支配している不健全でよどんだ風潮に逆らって、そのことを示したのだ。いまウクライナはみごとに結束している。マイダン革命並みだと言う者もいるが、実際にはマイダン以上だ。現在のウクライナはずっと包容力がある。軍隊でも、ボランティアセンターでも、検問所でも、道路沿いでも、国民すべてが友情というひとつの繭(まゆ)に包まれているようだ。悲しい現実から生まれたものではあるが、この結束は奇蹟的というほかない」

ゼレンスキーと、そのもっとも手強い敵との和解もまた奇跡的だった。ウクライナ人の調査報道ジャーナリストで、独立系メディアのウクラインスカ・ブラウダで活動するミハイロ・トカチは、この3年というもの、ゼレンスキー内閣の仕事やスキャンダルや問題行動を昼も夜も、頑(かたく)なな兵士のように、時間と労力を注いで調べてきた。彼は、大統領の家族の住まい、<95地区>とオリガルヒとの関係、政権が享受している何らかの特権、「国民のしもべ」党に所属する議員のスキャンダルなど、どんなことも見逃さない。そんなふうに自分を追いつめてくるトカチに対して、ゼレンスキーも負けてはいなかった。戦争前の最後の会見となった昨年秋の大統領記者会見で、ふたりの男はいくつものカメラの前で、30分も非難の応酬をした。

しかし、戦争が始まって1週間近くたった2022年3月2日、ミハイロ・トカチはFacebookに次のような投稿をしたのだ。「私たちはかつて『チャーチルのような』とか『私たちのヴァーツラフ・ハベルが必要だ』とか、あるいは『私たちのマンデラはどこにいる』と言っていた。いまから数年後、この戦争がウクライナの勝利とロシアの敗北で終わるかどうかはさほど重要ではない。しかし、困難な状況に見舞われる世界中のいろいろな国で、人々はきっと『私たちのゼレンスキー』と言うだろう。『私たちのゼレンスキーが必要だ』、『私たちのゼレンスキーはどこにいる』とね」