じじぃの「歴史・思想_671_ゼレンスキーの真実・プーチンとの交渉」

2023.1.3【ウクライナメルケルの告発, ミンスク合意の正体【及川幸久-BREAKING-】】※多言語字幕ありMult-verbal subtitles※

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O99pg7YZjNs


ウクライナ戦争の背景にあるアメリカの世界戦略とは。特別講座「アジアに平和と相互理解を」第3回目を開講

2022.10.05 東洋学園大学公式サイト
2014年のマイダン革命で欧米派のポロシェンコ大統領就任を契機に、ロシアはクリミア半島を占拠しロシアへ編入
一方、当時のポロシェンコ大統領は東ウクライナへの空爆を開始し内戦が勃発し、「当時オバマ政権下で副大統領であったバイデンがウクライナを訪問して武器供与に至った」と羽場氏は述べました。
さらに、2015年には欧州が停戦調停に乗り出し、ミンスク合意2の締結により一度は戦闘が中止したものの、2019年のゼレンスキー大統領誕生後、親ロシア派の逮捕とアメリカの支援が開始され、2022年のロシア侵攻に至ったことを解説。

質疑応答では「ウクライナNATO加盟は承認されるのか?」「ミンスク合意2が守られなかった理由は?」など、短い時間の中で寄せられた質問に回答しました。
https://www.tyg.jp/research/detail.html?id=13842

ゼレンスキーの真実

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン(著)
【目次】
第1章 演じたことのない場面
第2章 ドラマの大統領から現実の大統領へ
第3章 95地区の芸人
第4章 オリガルヒとの緊張関係

第5章 プーチンとの交渉

第6章 複雑な欧米諸国
第7章 歴史に出会う場所で

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『ゼレンスキーの真実』

レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン/著、岩澤雅利/訳 河出書房 2022年発行

第5章 プーチンとの交渉 より

ミンスク2> または合意なし

嘲弄(ちょうろう)するような笑いだった。「その男はよく知らない。いつか会う日が来るでしょう。どうやらその道ではなかなかの存在らしい。立派な俳優と聞いている(会場に笑いが起こる)。私はまじめに話しているのですが、あなたがたは笑っていますね」。コメディアンと言うかわりに立派な俳優と表現したのだ。2019年6月7日、サンクトペテルブルク国際経済フォーラムで、中国の習近平(シージンピン)国家主席を含む著名な出席者を前に、ウラディーミル・プーチンウクライナの新大統領を笑い話の材料にしてみせた。演壇上の豪華な肘掛け椅子に座っているプーチンは、自分が口に出す意地の悪い冗談に反応するよう、聴衆を準備させる。初めはかすかに含み笑いをし、冗談を言った直後は、巧みに計算された冷笑にあわせて肩をふるわせ、聴衆に合図するのだ。

もちろんロシアでは、誰もがヴォロディミル・ゼレンスキーを知っている。彼が出演するテレビドラマと映画は多くのロシア人が見ており、ロシア人はこの俳優がいきなり政治の頂点に立ったことを強い関心を持って見つめている。ウクライナの前大統領ペトロ・ポロシェンコはロシアではナショナリスト軍国主義者の政治家として、また生まれながらの醜男(ぶおとこ)として風刺画に描かれたのだが、プーチンはこのポロシェンコを悪く言うのが大好きだった。ゼレンスキーに対しては、クレムリンの高官たちは初めどう受け止めればいいのか、つまりコメディアンが大統領になるという現象をどう理解すればいいのかわからずにいた。お手上げだったのだ。ゼレンスキーはメディアでウクライナ語よりもロシア語を多く話し、ナショナリズムの傾向もなく、政治という重要な仕事について何を考えているのか、外部から知るのは難しかった。ロシアのテレビ局も、この元俳優の扱いに苦慮するほかなかった。
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ゼレンスキーとプーチンは、メルケルマクロンを間にはさむかたちで白いテーブルの両端に座った。まずマクロンが口を切った。「初めに、紛争に陥っている自国の東部に平和をもたらすことを約束して選ばれたウクライナの大統領の政治家としての割断に、心から敬意を表します」。
ウクライナのジャーナリストたちは、一瞬背筋が寒くなった。2017年からドイツ大統領をつとめるシュタインマイヤーが、外相時代の3年前に提案した<シュタインマイヤー・フォーミュラ>を受け入れるよう、マクロンメルケルがゼレンスキーに圧力をかけたのではないかと思ったのだ。この提案は、2015年2月に署名されたミンスク2の合意事項の第9項の一環として定められた地方選挙を実施しなければならないとし、選挙の方法と結果が欧州安全保障協力機構(OSCE)によって「公正」と判断されれば、ドンバスで親ロシア派が独立を主張する地域の自治を、ウクライナの国内法で認めなければならないというものである。そのあと、ミンスク2の合意事項の第11項にしたがって、ロシアはドネツク州とルハンシク州を武装解除し、この2州とロシアとの国境の管理をウクライナに返還しなくてはならない、とする。
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マクロンメルケルが談話を発表したあと、ゼレンスキーが話す番になった。黒い上着、紺のネクタイという装いのゼレンスキーはまず、長時間に及ぶこの交渉のあいだ、自分の後ろに「全ウクライナ国民がいて、自分を支えてくれているのを感じた」と話した。テーブルの反対の端にいたプーチンは少し顔をしかめ、ものうい表情だった。ゼレンスキーは単刀直入に微妙な事柄へと移った。<シュタインマイヤー・フォーミュラ>と、ドネツク州とルハンシク州の領土の「特殊な状況」についてである。「未解決のまま残された問題が多くあります。残念ながら本日は合意にいたりませんでしたが、今後まちがいなく解決しなくてはなりません」。プーチンは神経質にメモをとった。会場では、ウクライナの報道関係者が思わず安堵のため息をついた。ゼレンスキーは何ひとつ譲らなかったのだ!

大統領選に立候補したころのゼレンスキーからは想像もつかない。当時彼は、ドンバス地域の紛争をどう解決するかを問われて、漠然とした答えしかできなかった。「武器の使用をやめなければならない」、「ウラディーミル・プーチンの責任を問うつもりだ」。2019年3月、各国のジャーナリストとの初めての重要な討論で、『エコノミスト』の特派員ノア・スナイダーにこの紛争をどう終わらせるつもりかと聞かれて、ゼレンスキーはかっとなり、冷静さを失った。戦略を練ることにまだ慣れていなかったゼレンスキーにとって、この討論会はわずらわしいものだった。1時間半のあいだ、出席したジャーナリストに、自分の人間性、そして仕事で培ってきたコミュニケーション能力によって、ドンバス地域の住民をひとつにまとめることができるという説明を繰り返していた。

ゼレンスキーはドンバス地域の危機と紛争の解決方法について、自分なりに学んだにちがいない。彼が戦争や暴力にかかわることに本能的な嫌悪が覚えていることは明らかだ。本書の著者のひとりと初めて会ったとき、彼はマイダン(広場)革命から距離を置く姿勢を示したが、そこからは革命にともなう乱暴な行動への不安が感じられた。その身ぶりと話し方からは、血が流されることへの恐怖がうかがえた。この先も彼は、ナショナリズムに基づく政治路線を選んだとして批判されたポロシェンコ前大統領に、そして戦争という選択にいらだつことになる。大統領に就任するとドンバス地域を視察し、塹壕(ざんごう)のなかを歩き、兵士たちといっしょにボルシチを食べた。そしてついに、数百万の市民が経験している悲劇の規模を見定めた。プーチンウクライナで進めている企みは単なる非現実的な空想ではなく、酒場の舞台芸のように軽くとらえることはできなかった。

実際、この2019年12月9日、ゼレンスキーは自分が国民に対していかに重い責任を負っているかを認識したのだった。そして、そう口に出すことなく、仇敵ポロシェンコの道を引き継いだのだ。2015年2月12日に大統領として議会に戻って来たポロシェンコが、議員たち、ひいては国民の前でミンスク2の不支持を表明したのは、ドイツとフランスが成立させたがっているミンスク合意が国民にとって耐えがたいものだったからだ。ミンスク合意はこめかみに銃をつきつけられてサインしたようなものだった。合意文書がベラルーシの首都で批准されたころ、ドンバス地域の街デバリツェボではウクライナ軍が排除され、ロシア軍の砲撃が続いていた。ウクライナによって深刻な状況のなか、ミンスクではプーチンが「そっちの軍隊を無条件にたたきつぶす」と言ってポロシェンコを脅したと、その場にいた当時のフランス大統領フランソワ・オランドが明かしている。ミンスク2はこうした状況下で締結されたが、これはウィーン条約(国家間の条約締結における国際的慣習を法典化した1969年の条約)の第52条の精神に反する。この条文は「国連憲章に記された国際的権利の原則に違反するかたちで、脅迫や武力行使によって締結に至ったあらゆる条約は無効である」と定めている。

しかしミンスク2は、法的な側面よりも政治的に見て、ウクライナにとって適用しがたい協定である。ロシアに買収されようと、国民から世界一の支持を得ようと、どんなウクライナ大統領も、ロシア政府に主権を委(ゆだ)ねるような条約を国民に受け入れさせることはできないだろう。というのも、この合意によってウクライナ政府が連邦化を受け入れれば、ドネツク州とルハンシク州の傀儡(かいらい)政権的な組織に、ウクライナの戦略上・安全保障上の大枠となる方針への拒否権を与えることになるからだ。ミンスク2によってウクライナ主権国家でなくなることを、ゼレンスキーよりもよく知っていた。

ウラディーミル・プーチンがこうしたウクライナ側の事情をまったく理解していないのはもちろんだが、欧米をはじめ世界の国々も、強者の権利とリアリズムとを同一視した。プーチンミンスク2を力ずくで成立させ、ウクライナ指導部に圧力をかけつづけることでウクライナに支配を及ぼすことができると考えた。だが、ゼレンスキーをコメディアンとしか見ないプーチンは、「国民のしもべ」がシチュエーションコメディのタイトルというだけでなく、ロシアとは異なるウクライナの政治文化の表現でもあることを知らなかった。ウクライナでは国のリーダーは国民に従うものであり1710年にはコサックの人々が、ヨーロッパ初の民主主義的憲法であるピリプ・オルリクの憲法を制定している。つまり、ゼレンスキーを軽視したプーチンは、ウクライナ国民というほんとうの主役の存在を忘れていたのである。2022年2月、プーチンは自分の行く道にウクライナ国民が立ちはだかるのを目のあたりにするだろう。