じじぃの「歴史・思想_708_NATOを知るために・フランス」

フランスが方針転換 NATO加盟支持へ(2023年6月21日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=V2WldVd_N3U

フランス国旗


フランス、ウクライナNATO加盟支持に転換か 仏紙報道

2023/6/21 産経ニュース
21日付のフランス紙ルモンドは、フランスがウクライナ北大西洋条約機構NATO)の加盟を支持する方針に転じたと報じた。将来の加盟実現の見通しを示すことで、ロシアに圧力をかけ、和平交渉を促すことができるとみているという。
同紙によれば、フランスでは12日、国防会議が開かれ、ウクライナに対する「安全の保証」のあり方が議題となった。加盟見通しを示せば、ロシアの戦意を後退させ、新たな侵略を阻むほか、ウクライナが和平交渉に前向きになるなどの効果が提示された。
交戦中のNATO加盟については否定している。
https://www.sankei.com/article/20230621-AOJJ7LWOFVPQHE6KEJH66GRZJM/

ミンスク2 (ミンスク合意)

ウィキペディアWikipedia) より
正式名称ミンスク両合意履行のための方策パッケージ、通称ミンスク2(英語: Minsk II)とは、2015年2月11日にベラルーシミンスクで調印された、東部ウクライナにおける紛争(ドンバス戦争)の停戦を意図した協定である。 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。2014年9月5日に調印されたミンスク議定書による停戦を復活させることを目的としている。
しかし、親露派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれたこの合意は、ウクライナ国内で不満も出ていたことから、2019年に大統領になり、当初融和派だったウォロディミル・ゼレンスキーも翻意して履行せず、反故に動いた。一方、親露派とロシア側も、合意で定められた「外国の武装組織の撤退」や「違法なグループの武装解除」を守ってこなかった。

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エリア・スタディーNATO北大西洋条約機構)を知るための71章

【目次】
はじめに
第1部 NATOとはどのような組織か
第2部 冷戦期の展開
第3部 冷戦の終焉
第4部 冷戦後の危機管理
第5部 冷戦後の拡大をめぐって

第6部 ウクライナ危機とNATO主要国の対応

第7部 集団防衛への回帰――今後のNATO
第8部 日本とNATO

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NATO北大西洋条約機構)を知るための71章』

広瀬佳一/編著 明石書店 2023年発行

第6部 ウクライナ危機とNATO主要国の対応 より

第51章 ロシア・ウクライナ戦争とフランス――冷戦終結後の欧州安全保障観の摩擦 【執筆者】渡邊啓貴(東京外国語大学名誉教授)

2022年2月24日ロシア軍のウクライナ侵攻で始まったロシア・ウクライナ戦争の根源にあるのは、冷戦終結後の欧州安全保障をめぐる行き違いである。

冷戦終結NATO不要論がヨーロッパでは議論された。東西対立がなくなったのだから、共産主義陣営の脅威に対抗する集団防衛機構=NATOは必要ないという独仏を中心にした西欧諸国の主張だった。欧州安全保障協力機構(OSCE、欧州安全保障協力会議[CSCE]の常設機能化)を中心とした紛争予防のための安全保障体制の構築が提唱された。もともと冷戦時代から、平和のための集団安全保障体制を強調していたのはソ連側であったし、冷戦終結ミッテラン仏大統領もその立場であった。CSCE首脳会議は1990年11月に、1975年のヘルシンキ会議以来15年ぶりにパリで開催され、パリ憲章を調印したことにそれは示されていた。そこにはロシアも重要なパートナーとして存在した。これがフランスの旧東欧諸国を含む集団安全保障体制の根本的発想だ。

そうしたフランスの姿勢は、1996年12月のOSCEリスボン首脳会議でOSCEを欧州安保の最重要機関としたいロシアとNATO重視のアメリカが対立したときにもみられた。フランスは、OSCEを国際法上の基礎を持った国際機関にすることを欲し、国連憲章に対応する「欧州安全保障憲章」の採択を主張したが、アメリカに拒否された。

フランスがドイツとともに提唱する欧州独自の軍隊「欧州軍団」やPESCO(常設軍事協力枠組み)などはそうしたヨーロッパ独自の集団安全保障体制構築の試みだが(共通安全保障防衛政策[CSDP]と呼ばれるが機能的には潜在敵への防衛ではなく、集団安全保障機能を主たる目的として想定している)、その実効性にはまだ克服しなければならない問題が多い。

フランスのウクライナ危機対応は、そうしたフランスの欧州安全保障秩序観を背景としている。
2022年ロシアのウクライナ侵攻は2014年ロシアのクリミア併合の延長戦上にある。2014年当時はウクライナEUとの経済協力協定締結が論点だったが、2022年のロシアの侵攻はNATO加盟問題への米欧ロ摩擦がより先鋭化した形となった。2014年クリミア併合の際の西欧諸国の対応は、経済制裁措置の実施がロシアによるマレーシア航空機の撃墜後の8月に行なわれたことや、9月になって独仏ロ中心のミンスク合意が実現したことにみられるように緩慢であった。しかもこのミンスク合意は実現せず、ウクライナ東部での小競り合いは終息しないまま、2022年ロシアのウクライナ侵攻の一因となった。西欧諸国のなかではフランスもドイツも同じく、ロシアとの関係が断絶してしまうことには慎重であった。フランスは原発中心のエネルギー政策をとっているのでドイツのようにロシアへの資源面での依存はないが、安全保障上の配慮は大きい。2019年マクロン大統領が、「欧州安全保障共通機構」を提唱し、ロシアとの安全保障協力を提案したその背景には、ロシアを西欧諸国から引き離してしまうことは中ロ接近を促進させることにつながるという認識がある。パワーポリティクス的なユーラシア外交の一環としてのロシアの戦略的な位置づけがフランス外交の特徴だ。

ロシア軍がウクライナ国境付近に集結し、危機感が高まるなかで2021年12月初旬、米英仏独伊5ヵ月首脳会議が行われ、侵略の際の経済制裁などの対ロ協調政策・ウクライナの領土保全などで合意した。これはその1週間後のEU首脳会議でも確認された。2022年前半EU議長国となったフランスの姿勢はこうした米欧主要国間の合意の路線に即したものであったが、他方で先の対ロ観からくる摩擦がウクライナとの間に生じたのも事実だ。

NATOの東方拡大をめぐる議論に収斂(しゅうれん)していった米ロ間の交渉が2021年12月から22年1月にかけて決裂したころから、マクロン大統領は精力的に動いた。1月下旬NATOEUトップを交えた米英独仏首脳会議、その直後のマクロンとショルツの独仏首脳会談、そして2月上旬マクロン大統領はバイデン大統領と電話会談後、モスクワに赴き、プーチン大統領と6時間あまりに及ぶ会談を行った。ゼレンスキー大統領との会談も行った。その後独仏首脳はポーランド首脳とも会談、同月10日には休眠状態になっていたミンスク合意の実行体制である独仏ロ・ウクライナによる政府会談「ノルマンディーフォーラム」を再開した。こうして戦争は回避されるかにみえた時期もあったが、EUならびにマクロン大統領の仲介努力は徒労に終わった。

開戦後、すぐにEU経済制裁を発表し、4月にはロシア産の石炭・ガスなどの禁輸措置を公表した。マクロン大統領はヨーロッパの代表者としてウクライナ危機には積極的に対応し、存在感を示した。ロシアによる侵攻が始まってからは制裁措置を積極的に進めることにも尽力し、世論調査では低迷していた支持率を上昇させた。しかし戦争が長期的の様相を呈するなかでヨーロッパ各国とフランスの対ロ・ウクライナ政策は決め手を欠いた。

2002年6月25日欧州理事会(首脳会議)はウクライナEU加盟候補国として承認した。
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しかしこの間フランスはEU議長国でありながらウクライナを支援する同盟国のなかでウクライナにとって最も評判の悪い国になってしまった。その直接の理由は、①マクロン大統領がプーチンとの対話を執拗に主張したこと、②ロシアを辱めないようにという警告を発したこと、③6月マクロンウクライナを訪問したが、遅きに失していたこと、などがウクライナ首脳のマクロンに対する印象の悪化となっていたからだ。

4月に入ってロシア軍がキーウから撤兵し、ブチャなど首都近郊の都市でのロシア軍の残虐行為が発覚した後、ヨーロッパ各国首脳が次々と来訪したにもかかわらず、マクロンウクライナを訪問せず、その一方でプーチン大統領との対話を解く姿勢が顕著になった。

ロシアへの譲歩を示唆する交渉による和平の勧誘は、犠牲者を増やしたくないという同大統領の真意であったろうが、ウクライナ国民には逆効果だった。5月9日ナチスからの欧州解放記念の日に、欧州議会でのマクロン大統領の「ロシアを辱めないようにする」と述べた演説はウクライナ側の反発を買った。

その後マクロン大統領がウクライナEU加盟を支持し、加盟促進のために「欧州政治共同体」の設立を提唱、遅ればせながらコロナ外相をウクライナに派遣して関係修復に努めた。
しかしマクロンの提唱するフランス主導のロシアとの「対話」提案はゼレンスキー大統領の反感を買った。ロシアのウクライナ侵攻前に、マクロン大統領は「ウクライナNATO加盟を保留すればよい」と述べ、5月には「ウクライナが領土的譲歩をすれば和解になる」と発言して再三物議をかもした。そこにはロシアを含めた包括的欧州安全保障体制を意図するフランスの姿勢が顕著だ。ウクライナや東欧諸国にすれば、西欧の大国主義にみえるだろう。

しかしその後フランスは国際世論の批判を受けて、軍事支援を強化した。2022年12月終盤、バスティアン・ルコルニュ軍需相は初めてウクライナを訪問、クロタール砲2門の供与と2億ユーロの軍事支援のための基金設立を約束した。12月中旬にはパリでウクライナ支援の国際会議を開催し、主要インフラに総額10億ユーロを超える支援を約束した。

他方で2022年10月、EUと西バルカン・南コーカサス諸国、イギリス、トルコなど欧州44ヵ国による対話フォーラム「欧州政治共同体(EPC)が発足したが、これは同年5月マクロン大統領の提案によるものだった。フランスの「外交による平和」の姿勢が依然として強いことを示していた。