じじぃの「歴史・思想_703_NATOを知るために・フィンランド」

フィンランド】軍事的“中立”から政策転換 国民に危機意識

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AlA35J4OCH0


フィンランド加盟、NATO―ロシアの国境は倍増2600キロに…プーチン氏に大打撃

2023/04/05 09:18  読売新聞
北欧フィンランド北大西洋条約機構NATO)加盟は、集団的自衛権を有するNATOの拡大を阻みたいロシアのプーチン大統領にとって大きな打撃となる。
NATO加盟国とロシアの国境は計約2600キロ・メートルに倍増し、双方は安全保障上の戦略再構築を本格化させる構えだ。
70年以上にわたり軍事的中立を国防政策の柱に据えてきたフィンランドにとって、加盟は歴史的な節目となる。ペッカ・ハービスト外相は3日、「欧州、北大西洋の安定と安全を促進したい」と声明を出した。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230405-OYT1T50045/

EUの加盟国の覚え方

2021年4月18日 受験地理B短期マスター塾
マーストリヒト条約とは?
マーストリヒト条約とは、オランダのマーストリヒトで調印されたEU創設を定めた条約。
これにより、通貨統合や、共通の安全保障政策、加盟国の市民に居住地での地方参政権を与えるなど、政治・経済の両方で統合が進められました。
https://juken-geography.com/regional/eu/

エリア・スタディーNATO北大西洋条約機構)を知るための71章

【目次】
はじめに
第1部 NATOとはどのような組織か
第2部 冷戦期の展開
第3部 冷戦の終焉
第4部 冷戦後の危機管理

第5部 冷戦後の拡大をめぐって

第6部 ウクライナ危機とNATO主要国の対応
第7部 集団防衛への回帰――今後のNATO
第8部 日本とNATO

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NATO北大西洋条約機構)を知るための71章』

広瀬佳一/編著 明石書店 2023年発行

第5部 冷戦後の拡大をめぐって より

第38章 フィンランド――対ロシア関係と安全保障政策 【執筆者】石野裕子(国士館大学文学部准教授)

2022年5月、フィンランドスウェーデンとともにNATO加盟を申請する方針を正式に決定した。この決断はこれまで軍事的非同盟の方針を貫いてきたフィンランドの安全保障政策が大転換したことを意味する。
これまでフィンランドの安全保障政策は常に隣国ロシアとの関係を中心に置いていたため、ロシアが反対するNATO加盟には踏み切らないだろうとみなされてきた。フィンランドがとりわけロシアとの関係を重要視するのは、1300kmもの長い国境線を有しているという地政学上の理由だけではなく、ロシアとの関係史を抜きにしてはフィンランドの安全保障政策は語れないからである。特に第二次世界大戦での敗北と冷戦期の関係がフィンランドの安全保障政策の方向性を形作ってきた。

北欧の一国フィンランドは1917年12月に独立を果たした国で、それまでの1世紀あまりはロシア帝国の一部であった。第二次世界大戦期は二度ソ連と戦火を交え、敗北した。一度目は1939年11月から40年3月に勃発した冬戦争である。前年の1938年春から秋にかけて、ソ連バルト海防衛強化の一環としてフィンランドにオーランド諸島の再要塞化を非公式ながら提案したが拒否された経緯がある。オーランド諸島は1922年の自治法制定によって非武装化されていたため、フィンランドはやすやすと再要塞化には応じられなかったのである。戦争勃発1ヵ月前の1939年10月にソ連フィンランドに相互援助条約締結と再び領土交換を求めたが、フィンランドは中立政策を理由にソ連の要求を拒否した。その交渉決裂後に冬戦争が勃発した。1940年3月に講和条約が締結されたが、41年6月に再び両国間で戦争が勃発した。継続戦争と呼ばれたこの戦争は44年9月まで続いた。以上のように二度にわたってフィンランドソ連と戦い、敗北した結果、国土の10分の1をソ連に割譲しなければならなかった。また、6億米ドルに相当する賠償金の支払いやフィンランド軍の大幅な削減、ヘルシンキに近いポルッカラへのソ連の海軍基地設置の容認(50年間貸与)、戦時に軍事協力を受けたドイツ軍の海外追放などの代償を負った。

戦後、冷戦が進展するなかでフィンランドは親ソ外交路線を布(し)いたが、一方でソ連内政干渉に苦悩した。戦前非合法化されていたフィンランド共産党が「フィンランド人民民主同盟」として復活し、ソ連の窓口として政界内部から揺さぶりをかけた。フィンランドソ連内政干渉をときおり受け入れたため、ソ連の衛星国化しているという意味で「フィンランド化」と揶揄(やゆ)されたことがあった。
しかし、1948年4月にソ連と締結した友好・協力・相互援助条約に独立の尊重と内政不干渉の原則を条文に入れることによって、フィンランドソ連内政干渉に対抗するとともに、東西対立の外にとどまることで自国の安全保障を担保にしようとしたのである。また、親ソ外交路線の一方で西側諸国との友好関係の構築にも務めた。さらに、1956年から国連のもとでのPKOに参加し始めるなど多方面での安全保障政策を展開していった。また、1969年には第一次戦略兵器制限交渉(SALTI)の交渉を、1975年には欧州安全保障協力会議(CSCE)をヘルシンキで行うなど東西間の仲介役としても活躍することでフィンランドは中立国としてのプレゼンスを高めていった。

冷戦が終結ソ連が崩壊した後、フィンランドではNATO加盟をめぐる議論が生じたが、NATO加盟への動きをみせることがなかった。一方、1992年にマーストリヒト条約が調印され、EUからEUへと発展することが決定されると、フィンランドではEU加盟が議論されるようになる。経済が大打撃を受けたフィンランドEU加盟に踏み切ることになるが、EU加盟がフィンランドの安全保障を担保にするという側面も強かった。しかし、フィンランドは加盟以前からEUにおいて中立政策を継遺稿する姿勢を明確にしていた。1995年にフィンランドスウェーデンオーストリアとともにEU加盟を果たした。

冷戦後、フィンランドNATOには非加盟のまま、NATOとの関係を徐々に深めていった。1994年には「平和へのためのパートナシップ(PfP)に参加する。フィンランドは1996年にボスニア・ヘルツェゴビナでははじめてNATO主導の平和活動に参加して以来、コソボアフガニスタンイラクでの活動に積極的に参加するようになる。

フィンランドNATOに加盟することなく、NATOの様々な活動に参加することによって自国の安全保障の強化に努めた。しかしNATOが行っている活動への賛同と加盟への意思は一致していたわけではない。世論調査によると1999年にNATO軍がコソボ空爆を行った際、フィンランド国民の大多数は空爆を支持したもののNATO加盟への支持率は大幅に減少した。国民はNATOを、自国を大きな紛争に巻き込む可能性がある軍事同盟とみなしたからである。NATO加盟の議論はPfPの加盟以降フィンランド国内でときおり起こったものの、加盟はロシアを刺激するのでかえって自国の安全保障が保てないという考え主流だった。アハティサーリ大統領(在1994~2000年)はNATO加盟に前向きであったが在任中に具体的に加盟を審議することはなかった。ハロネン大統領(在2000~12年)は加盟反対の立場を取り、軍事的非同盟の状態を維持しようとした。
2004年にバルト三国NATOに加盟したときも、2014年のロシアのクリミア侵攻の際もフィンランドではNATO加盟の議論はあったものの、国民の反対意見も多く具体的な加盟の動きはみられなかった。その一方でフィンランドは2014年のウェールズNATO首脳会議でパートナーシップを強化した。さらにNATOとのホストネーション支援協定にも調印するなど関係を深めていった。

その間国内のNATO加盟支持率は伸びなかったが、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻を受けて、加盟支持率が一気に上昇した。フィンランドの公共放送ユレ(YLE)によると、これまでNATO加盟に賛成する人は20~30%だったのが2月末の調査では過半数に達し、5月の調査では67%になった。フィンランドではロシアのウクライナ侵攻と冬戦争を重ね合わせて論じる風潮がメディアで非常に多くみられ、それによってNATO加盟賛成へと大きく傾いたという分析がある。

戦後フィンランドの政治はリアリズムを体現してきたという評価が多くの研究者の間でなされている。今回のNATO加盟の決断はフィンランドの安全保障政策の大転換であった一方で、ロシアの変貌を見据えたうえでのリアリズムの体現であるといえるのではないか。