じじぃの「歴史・思想_697_NATOを知るために・NATOのしくみ」

初の共同宣言で協力強化を図るEUNATO

EU MAG
2016年7月8日、欧州連合EU)と北大西洋条約機構NATO)は、テロ、サイバーセキュリティー、難民・移民問題などの前例のない新たな問題に、より効率的に対処することを目指し、共同宣言に署名した。
NATO首脳会議に先立ってワルシャワで署名された、このEUNATO間の初めての共同宣言は、両者の従前の協力関係をさらに進め、欧州のみならず、さらに広い地域の安全を確保するために早急に必要な取り組みを提示している。
https://eumag.jp/issues/c0916/

エリア・スタディーNATO北大西洋条約機構)を知るための71章

【目次】
はじめに

第1部 NATOとはどのような組織か

第2部 冷戦期の展開
第3部 冷戦の終焉
第4部 冷戦後の危機管理
第5部 冷戦後の拡大をめぐって
第6部 ウクライナ危機とNATO主要国の対応
第7部 集団防衛への回帰――今後のNATO
第8部 日本とNATO

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NATO北大西洋条約機構)を知るための71章』

広瀬佳一/編著 明石書店 2023年発行

第1部 NATOとはどのような組織か より

第1章 機構と意思決定――同盟のしくみ 【執筆者】広瀬佳一(防衛大学校人文社会科学教授)

NATOは、同盟国の文民代表による北大西洋理事会(NAC)を最高意思決定機関とする同盟である。一方、軍事的側面については、加盟国の軍事代表からなる軍事委員会の下に独自の指揮系統のもとで統合軍事機構を有するなど制度化の度合いが高く、世界の他の軍事同盟とは顕著な違いをみせている。

北大西洋理事会は通常、加盟国の常設大使により週1回開催されるほか、必要に応じて年2回程度、加盟国の外相による会議が行われ最も重要な問題については年1回程度、加盟国の首脳会議が開催される。なお、報道ではNATOが外相会議、NATO首脳会議と記載されることが多いが、形式的にはこれらはいずれも北大西洋理事会ということになる。

この北大西洋理事会と同じレベルで、ヨーロッパに置かれている戦術核の問題を協議する機関が核計画グループ(NPG)である。ただしフランスは独自の核戦力への固辞から、当初より参加していない。このほかに統合軍事機構の戦力計画および運用に関する協議機関として防衛計画委員会(DPC)が置かれていた。フランスは1966年にNATO軍事機構から脱退したため、防衛計画委員会への参加も停止した。しかし冷戦後の1992年に、ユーゴスラビア紛争勃発を受けてアドリア海の武器禁輸作戦を実施した際に、フランスも艦艇を派遣したため、作戦運用をめぐる意思決定の場を防衛計画委員会からフランス代表の出席する北大西洋理事会に移した。さらにフランス軍ボスニア群がボスニア紛争コソボ紛争でのNATOの作戦に参加したため、作戦運用上の意思決定は引き続き北大西洋理事会で行われることが慣例となった。その後、2009年にフランスが軍事機構に復帰したのを機に防衛計画委員会は廃止となり、防衛計画委員会は廃止となり、その機能は正式に北大西洋理事会に吸収された。

北大西洋理事会や核計画グループ(NPG)の議長を務め、加盟国間の調整を行うのがNATO事務総長である。NATO事務総長は伝統的にヨーロッパの加盟国の政治家から排出される。これは軍事的トップである欧州連合軍最高司令官(SACEUR)がアメリカから出されることとバランスをとっている。

NATO事務総長は、冷戦後に、その役割と権威が増大する傾向にある。これは冷戦期のような二極対立構造が崩れ、加盟国間でその置かれた地理的環境や歴史的経緯などのため脅威認識が多様化し、NATOとしての意思決定を行う際に加盟国間の調整の必要性が従来より増しているからである。さらに冷戦後のNATOは軍事的側面だけでなく、共通的安全保障のような政治的側面が増えていることも、事務総長の役割拡大の要因となっている。そのことを反映して冷戦期には外相や国防相経験者が多かった事務総長に、冷戦後は首相経験者が就任することが増えている。

北大西洋理事会の意思決定はコンセンサス方式となっている。これは、実際の議場での票決をともなわないという意味で、厳密には「全会一致」とは異なる。また、地域統合である欧州連合EU)が多くの領域について特定多数決方式をとっていることとも大きな違いがある。

コンセンサス方式では、もしある案件について明確に反対の国がある場合は、事務総長に対して公式の書簡を送付したうえで調整が行われる(「静かな手続き」)。この方式により、加盟国は同盟としての結束を示すために、反対表明を手控えることもある。たとえば1999年のコソボ紛争においては、同じ正教国のギリシャNATOによるセルビア空爆に賛成ではなかった。しかしギリシャは、同盟としての結束と連帯を優先して、明確な反対の意思表示を行わずコンセンサス成立を妨げなかった。

他方、2003年2月に、イラクフセイン政権による大量破壊兵器保有の疑惑が深刻化するなかで、アメリカがNATOによるトルコ防衛態勢の支援措置をとることを求めた際には、コンセンサス成立は難航した。フランスが、そうした措置を認めることは、国連による査察実施を妨げることになるのみならず、イラクへの武力介入を事実上認めることになるとして事務総長に反対の書簡を送付した。アメリカはそこで窮余の策として、トルコ防衛支援の問題を、防衛計画委員会で協議するよう求めた。先述のようにフランスは1966年に軍事機構から脱退(2009年に復帰)しており、防衛計画委員会に参加していなかったのである。防衛計画委員会はトルコ防衛支援をコンセンサスで承認し、早期警戒管制機AWACS)、ペトリオット・ミサイルなどの部隊の展開が行われた・

また近年では、2022年2月のロシア・ウクライナ戦争勃発により、それまでNATOのパートナーでありながら歴史的に中立・非同盟政策をとってきたフィンランドスウェーデンが、NATO加盟を申請したケースも挙げられる。加盟申請から正式加盟までの期間がロシアに対して脆弱となることを懸念したNATOは、6月のマドリード首脳会議で加盟招聘(しょうへい)を決定したうえで、加盟国による批准を迅速に行うとの方針で臨んだ。しかしトルコが、フィンランドスウェーデンにおけるクルド人武装組織の保護を理由に加盟招聘に反対をしたため、マドリード首脳会議前日までトルコに対する説得と交渉が行われた。その結果、北欧2ヵ月がクルド人武装組織に対する法規制を見直すことを決めるとともに、アメリカがF16戦闘機のトルコへの輸出を認める姿勢を示したこともあり、最終的にトルコは反対を撤回し、加盟招聘のコンセンサスが成立した。

このように、ソ連がほぼ唯一の脅威であった冷戦期と異なり、冷戦後には加盟国の利害が拡散してきたため、意思決定に際して事前の調整がしばしば必要となり、コンセンサスが迅速に形成できないケースが出てきた。しかしNATOが民主主義国の同盟である以上、「意見の相違にもかかわらず、話し合いを通してコンセンサスを形成できることこそがNATOの強さと成功の表れ」(ストルテンベルグ事務総長)との評価は妥当のように思われる。