ロシアにおびえる「バルト三国」とは?地理や歴史を分かりやすく解説!
バルト三国エストニア ロシア系住民の“二重の苦しみ”とは?
2023年3月31日 NHK
ロシアと国境を接するバルト三国の1つ、エストニア。
軍事侵攻から1年となる2月に首都タリンを訪れると、「自由広場」と呼ばれる、エストニアの独立戦勝記念碑がある広場に面する建物にはエストニアの国旗とともに大きなウクライナの国旗も掲げられていました。
第二次世界大戦中の1940年に旧ソビエトに併合され、その後、半世紀にわたってソビエトによる支配を受けたエストニア。
1990年に独立を宣言した後もロシアの動向を強く警戒し、ロシアによる軍事侵攻が始まってからは他のバルト三国とともにウクライナへの軍事支援の議論を主導しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/cor/2023/03/31/30586.html
第5部 冷戦後の拡大をめぐって より
第33章 バルト諸国――NATOの弱点か、動力源か 【執筆者】小森宏美(早稲田大学,教育・総合科学学術院教授)
ロシアからの現実的な脅威が増せば増すほど、バルト諸国にとっての安全保障環境は改善される。逆説的に聞こえるかもしれないが、2014年のロシアによるクリミア編入後、この命題の正しさが証明された。
エストニア、ラトビア、リトアニアの三国が、NATOに加盟したのは2004年3月のことであった。この加盟は決して既定路線であったわけではない。当時の国際情勢がそれを可能にしたのである。1990年代後半、ポーランドなどへの第1次NATO東方拡大が決まった時点で、バルト諸国についてはまったく見通しが立っていなかった。言うまでもなく、その理由はロシアの強い反対であり、ロシアに対する挑発を望まない既加盟国の政治的判断だった。
そもそも、早くも1990年代前半にはNATO加盟に関する明確な希望を表明したバルト諸国であったが、その時期に短期間見られたロシアとアメリカの蜜月は追い風とはならなかった。むしろ、ロシアをはじめとする旧ソ連諸国やスウェーデン、フィンランドを巻き込んでの欧州・大西洋安全保障体制の構造により、NATOの加盟を望む国々の不安を和らげようとする方策(北大西洋協力会議[NACC])や「平和のためのパートナシップ[PfP]」が優先された。
NATO主導で設計されたこれらの試みが、ロシアの期待にそぐわなかったことは否定できない。90年代を通じてバルト地域の先行きは不透明だった。独立回復の時点で国内に駐留していたロシア軍が撤退するのは1993、94年のことであったし(ラトビアのスクルンダ・レーダー基地は1998年まで稼働)、国境問題もあった。一足先にロシアとの国境協定調印にこぎつけていたリトアニアですら、その批准については予断を許さなかった(2003年に発効。ラトビアは2007年に批准。エストニアは未締結)。「NATOの門戸は閉じてはいない」としながらも、三国の加盟は現実的ではないという1996年末ごろからアメリカの政府高官らが示すようになった見解は、行動計画に従って黙々と改革を進めていた三国にとって停水も同然であった。ロシア語話者をめぐる国籍や教育問題などを人権問題として取り上げてロシアが揺さぶりをかけてくるなか、1998年1月に締結されたのが、アメリカとの「米・バルト憲章」である。実質はともかく、安全保障のグレーゾーンに追いやられないことが重要だった。
アメリカとの関係強化の一方で、NATO加盟を可能にするための努力も続けられていたものの、ジレンマもあった。ロシアが脅威であるからこそ加盟を強く希望しているにもかかわらず、そうした脅威認識を前面に出すことが、NATOのロシア理事会設置などロシアとの協調を重視した当時の取り組みを阻害することになる。それゆえ、ロシアとの関係構築にあたっての橋頭堡となるという主張が繰り広げられたのである。とはいえ、2004年の加盟を可能にしたのは、こうした努力ではなく、2001年の9・11同時テロと、それを受けての米口間での対テロ協力をめぐる合意だったことは、バルト地域の安全保障がいかに国際情勢に翻弄されるかということの証左である。
2002年の加盟決定の際、ブッシュ米大統領は「二度とミュンヘンもヤルタも起こらない」とリトアニアのヴィルニュスで演説し、「ヤルタの終焉」が祝われた。だが、それでも不安が拭い去られていないことは、イラクへの軍事介入をめぐってNATO内で対立が生じた際、「新しいヨーロッパ」に位置づけられた中・東欧諸国がいわゆる「ヴィルニュス10グループ」を結成し、こぞってアメリカの立場を支持したことにも表れていた。とはいえ、正式な加盟国となったことにより、防衛体制が強化されたことは間違いない。加盟国が交代で哨戒活動を担当するバルト地域領空監視が導入され、また、2007年にエストニアがロシアからと目される大規模なサイバー攻撃を受けた直後に、同国にサイバー防衛協力センターが設置された。
バルト諸国の軍事力および地理的・社会的脆弱性は改めて確認するまでもないが、それは必ずしもロシアと隣接しているためばかりではない。フランスやドイツの対ロシア認識も三国にとっての不安材料だった。
90年代の加盟交渉で、三国がアメリカを何よりも頼みとし、加盟後はアメリカの外交政策の最も信頼でくるパートナーとなったのは、ヨーロッパ内での認識の不一致を背景としているのである。ヨーロッパに対するアメリカからの影響力の相対化を念頭においた、ロシアも包摂するヨーロッパの新たな安全保障体制を構築するというアイデアを、折に触れてヨーロッパの政治指導者らは議論の俎上(そじょう)に載せようとしてきた。
これに対し、2014年以降、ロシアの予測不可能性と攻撃性をより積極的に訴えるようになったのがバルト諸国だ。そうした主張は受け入れられている。2016年のワルシャワ首脳会議で、「強化された前方プレゼンス(eFP)の展開が決定され、三国とポーランドにNATO東部地域における抑止と防衛強化を目的とした多国籍からなる大隊の配備が実現することになった。
ロシア軍によるウクライナ侵攻後に開かれた2022年のマドリード首脳会議で、ロシアを最も重大かつ直接的な脅威として名指しし、防衛のさらなる強化を謳った「戦略概念2022」が採択されたことは、ロシアとの緊張状態にもかかわらず、三国の安全保障環境が防衛の観点からは強化されたことを意味するのである。2022年9月、ロシアで部分的動員が始まり、また電力供給の停止が懸念されるなかで、エストニアのカラス首相は「われわれは守られれているし、守られ続ける」として国民に冷静さを保つよう訴えた。ことはこれにとどまらない。これらいわゆる「小国」のNATO内での発言力が高まってきているようにも感じられるのだ。エストニアのレインサル外相は、NATO外相会議(ブカレスト、22年11月29~30日)で、ウクライナに対する包括的軍事支援の必要を訴え、同国のNATO加盟を強く支持した。
こうした積極的な対外的発信とは異なり、特にエストニアとラトビアでは、地域社会もまた、脅威認識という点で、実はそれほど一枚岩ではない。NATO支持率については加盟前から一貫して高いのが三国の特徴である(GLOBSEC Trends 2022によれば、NATOにとどまることに対する賛成は、エストニアで72%、ラトビアで79%、リトアニアで88%)。だが、言語話者別にみると、ロシア語話者のNATO支持率は、世代による違いがあるとはいえ高いとは言えない。この傾向は、ロシアに対する脅威認識とも一致している。ロシアを脅威と認識する割合は、ロシア語話者では相対的に小さいのである(たとえば、ラトビアでは2020年の調査で、ロシアを脅威と認識しているのはロシア語話者の7%)。