【2/24 ten. 緊急解説】ロシアがウクライナへの軍事侵攻開始 いま何が起こっているのか?
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-SyQbKBO7vA
Live updates on Russia’s invasion of Ukraine
Feb 28, 2022 Times
On Wednesday, Russian President Vladimir Putin sent troops into neighboring Ukraine under the guise of a “special military operation.”
Despite condemnation from the international community, Putin pushed forward vowing “consequences you have never seen” for nations that choose to interfere.
https://www.militarytimes.com/flashpoints/ukraine/2022/02/25/live-updates-on-russias-invasion-of-ukraine/
ゼレンスキーの真実
レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン(著)
【目次】
第1章 演じたことのない場面
第2章 ドラマの大統領から現実の大統領へ
第3章 95地区の芸人
第4章 オリガルヒとの緊張関係
第5章 プーチンとの交渉
第6章 複雑な欧米諸国
第7章 歴史に出会う場所で
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『ゼレンスキーの真実』
レジス・ジャンテ、ステファヌ・シオアン/著、岩澤雅利/訳 河出書房 2022年発行
第6章 複雑な欧米諸国 より
ヨーロッパに入る夢
ウクライナ語には「どの家族のもとに生まれるかは選べない」を意味する「シムユ・ネ・オビラユチ」という表現がある。しかしウクライナ国家はここ10年ほどのあいだ、自分の地政学的な家族を選んでいる。ヨーロッパである。2013年という年は、ウクライナ人が自分の居場所をヨーロッパ大陸だとみなした点で大きな、転機となった。
2013年11月11日、ヤヌコーヴィチ大統領はロシア政府の圧力に屈して態度を急変させ、EUとの連合協定の締結を棚上げした。これに対して巻き起こった抗議活動は、のちに「尊厳の革命」と呼ばれることになる。国民との約束を反故(ほご)にしたことは、ヤヌコーヴィチ政権の金権体質とあいまって、多くの国民をヨーロッパに合流する方向に駆り立て、より身近なレベルでは、ヨーロッパへのあこがれを原動力にウクライナの社会と国家を変えようとする動きにつながっていく。
ウクライナ人が自分をヨーロッパ人だと感じる、ということは何を意味するのか? 2017年。EU加盟国への旅行を希望するヨーロッパ人に対してビザが免除される直前に3つの調査機関が行なった研究によると、38%のウクライナ人が自分をヨーロッパ人だと感じるのに対し、55%のウクライナ人はそのようには感じていなかった。
ヨーロッパへの帰属意識の割合は、国の西部および大都市で高く、ロシア語を母語とする住民が多い南部と東部では低かった。しかし、それ以上に目立ったのは世代による違いである。年齢が若いほど、自分をヨーロッパ人だと感じる割合が増えるのだ。60歳以上の世代で自分はヨーロッパ人だと答えたウクライナ人は27%にとどまる。1991年の独立後に生まれた世代が圧倒的多数でヨーロッパを選んでいるのに対し、ソ連時代に人生の大半を過ごした世代ではその割合が減っている。2013年から2017年までの推移を見ると、EUへの加盟を望むウクライナ人は42%から57%に増え、ロシアを含むユーラシア経済連合に入ることを望むウクライナ人は30%から8%に急減している。ただこの研究は、ロシアが実効支配するクリミア半島とドンバス地域の住民を調査対象に入れていない。
このように2013年と2014年は、ウクライナ人にとって大きなターニングポイントをなす。そしてウクライナ人はEUを、次のような3つの価値と結びつけて考えている。つまり「物質的な豊かさ」、「法に守られているという意識」、そして「民主主義的価値と個人の権利の尊重」である。マイダン(広場)革命以降、多くのウクライナ人にとってヨーロッパはほとんど崇高な価値を帯びているのだ。彼らは欧州委員会を選んでいるわけではない。そもそもウクライナ人は、欧州委員会の運営方法をよく知らない。それでも大多数のウクライナ人が、価値をもたらす空間として、また変化の手段として、ヨーロッパを選択している。彼らは現実に即したかたちで、1991年以後、生活水準が隣国ポーランドと同じくきわめて低いことを自覚してきた。近年のポーランドは経済が発展し、ウクライナ人はこの隣国を出稼ぎ先、パートナー、経済的な手本とみなすようになっている。ときにはヨーロッパに期待を裏切られることもある。欧州委員会はウクライナを「近隣外交」の枠内でとらえ、EUの外部に位置づけておく。そんなときウクライナウクライナ政府はいらだち、そろそろ加盟を認めてほしいと考えるが、他の中央ヨーロッパ諸国が加盟実現のために構造改革が行なったことはいっこうに認識しない。
2014年冬のマイダン革命に参加した者にとって、ヨーロッパはウクライナが帰属すべき自明の存在だった。しかし、ヴォロディミル・ゼレンスキーにとっては事情が異なる。彼がヨーロッパ人だとすれば、それは観念の次元ではなく、現実の次元でそうなのだ。
彼が生まれたのは、南部と東部の半数の住民がロシア語を母語とする地域であり、ヨーロッパは身近な存在ではなかった。賢くて経済力あるビジネスマンだったゼレンスキーは長らくロシアに目を向けていたが、クリミア半島の侵攻が始まった2014年にロシア市場での活動は困難になる。
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ゼレンスキーのような生い立ちの人々にとって、あるいは選挙で彼に投票することになる人々にとって、ヨーロッパとは何よりも、就職して収入を稼ぎに行く場所である。というのもウクライナで仕事をしていたのでは、家庭の幸福を確立できないからだ。実際、2018年12月31日に立候補を表明したときゼレンスキーが語りかけた相手はそうした人々である。2019年の1年間に、EU加盟国で報酬をともなう巣事をするために滞在許可証を取得したウクライナ人は66万人に上る。彼らはEUのなかでもっとも重要な外国人労働者である。
就任してまもないころ、ゼレンスキーはエマニュエル・マクロンやアンゲラ・メルケルと話をするときよりも、バルト三国やポーランドの首脳といっしょにいるときのほうがずっと肩の力を抜くことができた。就任当初のゼレンスキーは、一語一語を区切り、見解を明確にする。当意即妙のヨーロッパ風スピーチ術を身につけていなかった。前大統領のペトロ・ポロシェンコが英語をみごとに使いこなし、自分の正当を「欧州連帯党」と名づけたのとは対照的である。
しかし、政治家ゼレンスキーには柔軟性という彼ならではの特徴がある。彼の強みは、国民に進むべき道を示すよりも、国民の希求を引き受けて行動するところにある。
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2022年春、ゼレンスキーはヨーロッパ人としての自覚をこれまで以上に強めたが、そこには理性が働いていた。大統領に就任してからの2年間、EU加盟を支持する国民の割合は60%前後だった。それが2月24日以降、大きく変わった。世論調査機関レーティングが4月4日に発表したデータによると、EUへの加盟に賛成するウクライナ人は91%に上った。2月28日、ゼレンスキーはEUへの加盟申請書に署名していた。
3月1日、彼はCNNの取材でこう語った。「ご覧のとおり、私たちはヨーロッパの理想を実現しようとして死に瀕している」。同じ日、彼は欧州議会にオンラインで参加し、次のように述べた。「私たちは自らの力を証明した。私たちが、少なくとも、あなたがたと同じであるということを証明した。だから、私たちの味方であること、私たちを見殺しにしないことを証明してください。あなたがたがほんとうにヨーロッパ人であるということを証明してください」
ロシア軍は4月にキーウから撤退したが、ほかの地域では激しい戦闘が続いていた。ヨーロッパの各国首脳が、ウクライナの勇敢な大統領に会いにやってきた。EUを離脱したイギリスのジョンソン首相も丁寧な歓迎を受けた。バルト三国の首脳とポーランドの首相は列車でウクライナに入り、ゼレンスキーと抱擁した。ドイツの大統領フランク=ヴァルター・シュタインマイヤーは、本来なら彼らに加わるはずだったが、ロシアを優遇する外交政策を長期間続けてきたという理由でウクライナ側から訪問を拒まれた。
しかし、2022年4月9日、ドイツの女性政治家がついにEUの扉をウクライナに開くことになる。欧州員会委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンがキーウを訪れたのだ。ブチャの共同墓地で犠牲者を悼(いた)んだあと、キーウの大統領公邸のひとつでアール・ヌーボー様式のみごとな建築物であるキメラの家に招かれ、ゼレンスキーと会談した。「私の考えでは、この戦争に勝利するのはウクライナであり、民主主義です。ロシアの経済、財政、技術はいずれ破綻するでしょう。しかしウクライナはヨーロッパの未来に向かって歩んでいます。私はそう見ています」
フォン・デア・ライエンは、ウクライナがEU加盟候補国にふさわしいかどうかを判断するための質問書をゼレンスキーに手渡した。そしてこんなふうに言った。「手続きには何年もかかることが多いのですが、今回はもっと早く進むでしょう」。「1週間後には書類の準備ができますよ、ウルズラ!」ゼレンスキーはにこやかに返した。