じじぃの「科学・芸術_1008_台湾・戦後処理・慰安婦・元日本兵」

出征する高砂義勇兵、妻たち、引率の日本人警察官


慰安婦にされた女性たち-台湾

慰安婦問題とアジア女性基金
第二次大戦中、日本の植民地であった台湾から多くの男性が日本軍兵士や軍属として徴集され、同時に女性は「看護」や「炊事」「工場での作業」などの名目で軍や警察に召集されました。
当時の台湾の人々にとって、日本軍や警察にさからうことは、生きる道を絶たれるにもひとしかったのです。
https://www.awf.or.jp/1/taiwan.html

米サンフランシスコ、「慰安婦」像を正式受け入れ

2017年11月24日 BBCニュース
米サンフランシスコ市は22日、第2次世界大戦中に旧日本軍兵士の性奴隷として働くことを強制された「慰安婦」を表す像を正式に受け入れた。
像は、朝鮮半島と中国とフィリピン出身の若い女性3人が手をつなぎ円を描く様子を描いている。
https://www.bbc.com/japanese/42105321

『台湾を知るための72章【第2版】』

赤松美和子、若松大祐/編著 赤石書店 2022年発行

Ⅴ 対外関係 より

第63章 戦後処理と賠償問題――慰安婦、元日本兵

周知のように、日本の「戦後処理」の国際法規範は、1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約とそれに関連する賠償協定に基づいて構成され、1950~60年代にかけて次々に調印され仕上げられた。今日外交紛争の火種となっている「歴史認識問題」は、このサンフランシスコ・システムの形成過程、特に「賠償放棄」問題(伝統的な戦争賠償にかわって「役務倍賞」と「経済協力」を採用する)と密接に関連しており、両者はつねにセットで論じられている。1965年日韓基本条約をめぐる歴史論争は、今日まで続いている。
「日台友好」の現状では、歴史問題はしばしば棚上げになり深く立ち入ることができない。その最たるものが、「慰安婦問題」である。メディアは日韓関係に焦点を当てているが、実際には戦前日本植民地統治下の台湾にもいわゆる「従軍慰安婦」がいた。一方、第二次世界大戦中、東南アジアのインドネシアやフィリピンも慰安婦問題を抱えていた。1990年代にはいり問題が浮上し、台湾は韓国、インドネシア・オランダ・フィリピンなどの5つの国の支援団体と連帯しつつ国境を越えて対日求償運動を展開した。1995年には「アジア女性基金」(「女性のためのアジア平和国民基金The Asian Women's Fund」、以下AWFと略す)が設立され、慰安婦個人への補償が行われた。結果から見れば、オランダ、インドネシア、フィリピンなどの旧交戦国ではAWF事業が順調に行われ、和解を達成した。かえって旧植民地の韓国と台湾では激しく抵抗されて挫折した。日本への抗議活動は今も続いている。
2015年の日韓合意後、台湾は韓国に照らしてほしいと日本に要請したが、「台湾は韓国と状況が違う。すべてアジア女性基金で誠実に対応した」という冷たい回答で台湾社会の不満を買い、更に国内において第二次世界大戦をめぐり異なるエスニック・グループの記憶論戦を起こし、政治的論争となった。日本社会でもなぜ「親日」といわれる台湾まで慰安婦問題を起こしているのかと訝る人が多い。こうした日本人の対応ぶりは台湾社会の複雑さに対する日本の理解の欠如を物語っている。
台湾慰安婦問題が民主化後も論争を呼んでいる理由は、1990年代の東アジアにおける冷戦後の歴史問題という一般的な背景に加えて、戦後日台関係史における「日華/日台の二重性」も関係している。どのように謝罪と補償を行うかを議論する時、「慰安婦」は日本植民統治もよる戦争被害者だが、交渉相手は第二次世界大戦の交戦国たる中華民国である。この「二重性」は、求償運動展開にも具体的にあらわれている。
国交がないため、日本からすればAWFが道義的責任を果たすための最善の方策かもしれない(北朝鮮とは対照的に)。しかしながら、台湾人からみれば、日韓会議のように自ら歴史清算を行う機会は一度もなかったため、1952年の日華平和条約締結時には台湾人は参加せず、植民地支配によって戦争に巻き込まれた生命財産の損失は償いようがなかった。(「代行された脱植民地化」)。にもかかわらず、慰安婦支援団体は中華民国史観から出発し、韓国の国家法律賠償の主張に従い、当事者の権益を無視し、ボイコット・キャンペーンを行い、紛争の種を残してきた。
こうした「日華」の枠組みに制限され歴史的正義を達成できなかったのは、台湾籍の元日本兵も同じである。第二次世界大戦中、20万人の台湾人が「日本人」として参戦し、そのうち3万人が戦死したが、戦後、これらの人々とその遺族は日本国籍を失ったため、日本人と同等の補償を受けることができなかった。日華平和条約では中華民国が日本に対する求償を自ら放棄することを明記している。ただし戦前台湾は日本と交戦していないので、第三条において、「台湾及び澎湖諸島」における日本国と国民の財産及び請求権(債権)は、後日「政府対政府」の形で別途協議しなければならないと明記されている(「特別取極」)。
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1975年に王育徳を筆頭にして「台湾人元日本兵の補償問題を考える会」が設立された。1977年に有馬元治らの議員が「台湾人元日本兵士の補償問題を考える議員懇談会」を結成し、在日台湾人と日本の市民社会の力を統合し、世論喚起、司法訴訟、議員懇談などを行い、十数年にわたって運動を続けてきた。1987年に議員立法で成立した「台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金に関する法律」が可決し、遺族一人当たり200万円の救済金を受け取ることができるようになる。また前述した「確定債務」問題は1995年に日本政府が債務の120倍で返済することを一方的に決めた。倍率が日本人に比べて非常に低いため、受給放棄を無言の訴えにする家族も多い。
これまで述べてきた遺族への弔慰補償も債務確定の問題についても、中華民国は日本政府と正式に交渉したことはなく、民間団体の奔走にまかせたままであった。一方、日本政府は、これで「日台」の歴史問題は解決したと考えている。
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台湾の民主化と本土化に伴い、「日華」の影響力はますます「日台」に取って代わられ、あるいは融合され、台湾人の実際の生命経験はより重視されるようになった。歴史問題は国際法・外交政治のレベルにとどまらず、歴史活動の当事者の本音こそ問題解決の鍵となる。日本政府はAWFを通じて台湾の慰安婦問題が解決されたと考えているが、おばあちゃんたちの本当の声はいまだに完全に伝えられていない。2019年に楊馥成元日本軍属らが起こした国籍確認訴訟は、これまでの求償運動の訴えとは異なり、世界人権宣言を援用し、一方的に日本国籍を剥奪されたことは基本的人権に反し、賠償額に関係なく日本人として死にたいと主張した。東京地裁は、2022年1月11日、「日本国籍を喪失した」と判断し、請求を棄却した。