じじぃの「科学・芸術_810_朝鮮支配・歌う慰安婦」

池上彰のニュースそうだったのか!!

2019年2月9日 テレビ朝日
【ニュース解説】池上彰
●どうなる? 日韓関係
韓国の大学教授が慰安婦に関する学術本を出版し「日本帝国による強制連行はなかった」などの記述が元慰安婦たちの名誉を傷つけたとして裁判になった。
韓国の裁判所は罰金100万円の有罪判決を下している。
池上氏は韓国では世論に流された判断、判決が下されることがあると話した。
https://www.tv-asahi.co.jp/ikegami-news/backnumber/0092/

『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』

朴裕河/著 朝日新聞出版 2014年発行

<愛国>する慰安婦 より

慰安婦」の「強制連行」は、基本的には戦場と占領地に限られると考えられる。吉見教授は、インドネシアの「アンボン島で強制連行・強制使役があったことは明らか」(吉見義明 2009夏季)としているが、先に見たように、そこでの強制性を朝鮮人女性をめぐる強制性と同じものとすることはできない。彼女たちの中には貧しい生活の中で「白いごはん」を夢見たり、女の子が勉強することを極端に嫌悪していた家父長制社会の呪縛から逃れて、1人の独立的主体になろうとした人も多かった。
しかし、たとえ<自発的>に行ったように見えても、それは表面的な自発性でしかない。彼女たちをして「醜業」と呼ばれる仕事を選択させたのは、彼女たちの意志とは無関係な社会構造だった。彼女たちはただ、貧しかったり、植民地に生まれたり、家父長制の強い社会に生まれたがために、自立可能な別の仕事ができるだけの教育(文化資本)を受ける機会を得られなかった。
     ・
彼女たちは、隠れるべき穴を掘り、逃走中に爆弾を運び、包帯を洗濯もした。そしてその合間に兵士たちの性欲に応えていた。つらいあまり時に拒否しながらも、最善を尽くして日本軍の戦争を支えていたのである。そのような彼女たちの働きは、見えない抑圧構造が強制したものだった。
慰安婦」たちが兵士たちに「群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚び」たとか「実に明るく楽しそう」で、「『性的奴隷』に該当する様な影はどこにも見いだせな」(小野田寛郎 2007)いように見えたのはそういう構造によるものだ。彼女たちが商売熱心に「媚び」たり、そのために「明るく」振る舞い、「楽しそう」にもしていたとしたら、それは彼女たちなりに「国家」に尽くそうとしてのことなのである。業者の厳しい拘束と監視の中で、自分の意志では帰れないことが分かった彼女たちが、時間の経つにつれて最初の当惑と怒りと悲しみを押して積極的に行動したとしても、それを非難することは誰にもできない。

歌う慰安婦が悲惨な慰安婦と対峙するものではないように、「媚び」る笑顔も、慰安婦たちの悲惨性と対峙するわけではないのである。

彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは、売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な<愛国娘>の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で騙して既定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったろう。
植民地人として、そして<国家のために>闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民間」の「女」として、彼女たちに許された誇り――自己存在の意義、承認――は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵 2007)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような<愛国>を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。
慰安婦でも山中や奥地の駐屯地まで行ったのは、植民地の女性が多かったようだ。それが個人的選択の結果なのか、構造的なことなのか明確ではないが、いずれにしても彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ)たちが批判するのは矛盾している。朝鮮人の方がより多くの過酷な環境に置かれていたとしたら、それは植民地の女性という、階級的で民族的な二重差別によるものである。たとえ自発的な選択だったとしても、その<自発>性と<積極>性は、そのような構造的な強制性の中でのことなのである。