じじぃの「原子爆弾・アカデミー作品賞・オッペンハイマー!クローズアップ現代」

【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Uoctuzt2IfU

史上初の核実験が行われたトリニティの爆心地での写真


クローズアップ現代 「映画監督クリストファー・ノーランの世界 果てしなき“問い”の先へ」

2024年3月12日 NHK
【キャスター】桑子真帆 【映画監督】クリストファー・ノーラン
アカデミー賞で最多7部門を受賞した“最新作”は、日本にとって特別なテーマです。
第二次世界大戦下、原子爆弾を開発したアメリカの科学者の葛藤を描いた「オッペンハイマー」。世界屈指のヒットメーカーで“ハリウッドきっての鬼才”とも称されるクリストファー・ノーラン監督は、なぜ世界の姿を一変させた科学者に焦点を当てたのか―。
常に大きな“問い”と向き合ってきたというノーラン監督。
映画では広島県長崎県への直接的な被害が描かれていない。
オッペンハイマーは戦時下に原子爆弾の開発・製造を目的とした「マンハッタン計画」を主導した。
実際に原爆が投下された時の惨状を知り長く苦悩し続けてゆく、数十年に渡る姿を表現している。
ノーラン監督は「オッペンハイマーの経験から逸脱した物語を描きたくなかった」と話している。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4882/

オッペンハイマーはなぜ死んだか―長崎に原爆が落とされた謎を解く』

西岡昌紀/著 飛鳥新社 2021年発行

まえがき より

1.1枚の写真
ここに1枚の写真がある(写真、画像参照)。2人の男が何かを語り合っている。場所は、砂漠の一角である。その2人の前には、何か針金のような物が、地面から突き出ているのが見える。この2人は、何をしているのであろうか?

この2人の男を、紹介しよう。左の男は、ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer:1904~1967)。第二次世界大戦中、広島と長崎に投下された4アメリカの原子爆弾製造の指導者だった、アメリカの物理学者である。そして、その右にいるのは、レズリー・グローヴス( Leslie Groves:1896~1970)。アメリカの原爆製造を指揮したアメリカの将軍である。皆さんは、この2人をご存知だろうか?

本書は、この写真の左側に写っている男、オッペンハイマーについての本である。広島と長崎に投下された原爆製造の中心人物であったこの物理学者については、多くの本が書かれてきた。オッペンハイマーとは何者であったのか? 彼の生い立ちから青春、物理学者としての人生、晩年の政治的苦境など、世界中の多くの歴史家やジャーナリストや科学者が、オッペンハイマーについての本や記事を書いてきた。

だが、本書は、これまで世界中で書かれてきた数多くのオッペンハイマーに関する記事とは、全く違う性質の中身である。
それは、本書が、オッペンハイマーの死についての本だからである。

オッペンハイマーはなぜ死んだのか? 後で詳しく述べるが、私は、彼の死の秘密が、この写真の中に隠されているのではないかと疑っている。それは、医師としての仮説である。

終章 オッペンハイマーの死は何を語るか? より

8.科学への裏切りという大罪
原爆を製造したこと自体は、オッペンハイマーひとりに帰せられる罪ではない。だがオッペンハイマーは、彼以外の人間にはできない罪を犯した。それは彼が、放射線の人体に対する影響について、真実について、真実を隠す役割を演じたことである。

オッペンハイマーは、広島と長崎で、被爆者が、たとえ爆風と熱傷を逃れても、急性放射線障害で次々に命を落としていると日本から伝えられた時、ニューメキシコの原爆実験場に行き、爆心地に立って見せた。

そしてその写真を使って、急性放射線障害で、原爆の被爆者が次々に命を落としている現実を世界から隠した。

これはオッペンハイマーだけができたことである。「原爆の父」が、自ら爆心地に立って見せたからこそ、世界は、原爆による被曝は、さほど恐ろしいものではない、という当時のアメリカのプロパガンダを信じた。

その結果、世界は、早い時期に原爆による急性放射線障害の恐ろしさを知ることができず、その後の核実験でアメリカ兵たちが被曝する被害にも波及した。

オッペンハイマーは、「原爆を造った」だけでなく、原爆の医学的影響に関する真実を隠したことで、医学を、科学を歪めたのである。繰り返すが、オッペンハイマーだからできたことであったと私は思うのだ。

だからこそ、オッペンハイマーの化学への裏切りの罪は、この彼だけがなしえた歪曲ゆえに、原爆を造ったことよりも大きかったと思う。

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じじぃの日記。

西岡昌紀著『オッペンハイマーはなぜ死んだか』という本に、「オッペンハイマーの死は何を語るか?」というのがあった。

マンハッタン計画を主導し、「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーは、広島と長崎への原爆投下を見届けた後、ホワイトハウストルーマン大統領と会談した。

オッペンハイマー、「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」

と言って、涙ぐんだと言われる。

オッペンハイマーはたぶん、広島と長崎への原爆投下が数十万の人を殺傷したことに懺悔の気持ちを持っていたのだろう。

「広島と長崎への原爆投下は、広島と長崎で、被爆者が、たとえ爆風と熱傷を逃れても、急性放射線障害で次々に命を落としていると日本から伝えられた時、ニューメキシコの原爆実験場に行き、爆心地に立って見せた」

「そしてその写真を使って、急性放射線障害で、原爆の被爆者が次々に命を落としている現実を世界から隠した」

3月12日 NHK クローズアップ現代 「映画監督クリストファー・ノーランの世界 果てしなき“問い”の先へ」を見た。

原子爆弾を開発したアメリカの科学者の葛藤を描いた「広島と長崎への原爆投下」。

「実際に原爆が投下された時の惨状を知り長く苦悩し続けてゆく、数十年に渡る姿を表現している」

映画では、広島と長崎への原爆投下の映像は一切出てこない。

オッペンハイマーの苦悩する姿を、観客に想像させることに主題を置いたのだそうだ。

ロシアのプーチンウクライナ侵攻で、やたらと「核」をちらつかせている。

プーチンは、この映画を見たらどう思うのだろうか。