じじぃの「カオス・地球_276_すばらしい医学・サリン・地下鉄サリン事件」

地下鉄サリン事件から29年 「風化防ぐのは私たち」

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被害者6000人のテロに用いられた「神経毒」の恐怖…そして、命がけで治療にあたった人々の感動秘話【書籍オンライン編集部セレクション】

2024.3.20 ダイヤモンド・オンライン
【執筆者】山本健人
●時間との戦い
地下鉄サリン事件では、駅構内で数千人がパニックに陥る中、大勢の被害者が周辺の病院に搬送された。
特に多くの患者を受け入れたのが、築地の聖路加国際病院だ。

サリンの化学構造
有機リン化合物の一つ、サリンが人体に猛毒として作用するのは、それが人体で働く神経伝達物質アセチルコリン」を分解する酵素、「アセチルコリンエステラーゼ」を阻害してしまうからである。
アセチルコリンエステラーゼの働きが阻害されると、アセチルコリンが分解されずに蓄積することになる。
これによって過剰な神経伝達が起き、全身に様々な症状を引き起こす。
神経伝達物質には、アドレナリンやセロトニンドーパミンなど多くの種類があり、それぞれ異なる機能を持つ。
アセチルコリンもその一つだ。アセチルコリンが働く場は、副交感神経や、筋肉を動かす神経である。

副交感神経とは「自律神経」というシステムの一つで、もう一方が交感神経である。「自律」という名が示す通り、状況に応じて自動的に体の機能を調節し、生命維持を担うしくみだ。
副交感神経は、ゆっくり食事をしたりリラックスしたりしているときに働く一方、交感神経は興奮状態にあるときに働く系であり、それぞれが正反対の作用を持つ。瞳孔の大きさや血圧、心拍数の上下、血管の拡張・縮小など、全身の臓器にそれぞれが対照的な作用をもたらすのだ。神経伝達物質は、必要なときに生成され、情報伝達の仕事を終えれば速やかに分解されなければならない。

だが前述の通り、サリンアセチルコリンエステラーゼに結合することで、その機能を阻害する。分解されなくなったアセチルコリンは過剰に蓄積し、筋肉が痙攣するような持続的な収縮を起こす。副交感神経が過剰に作用し、縮瞳(瞳孔が縮小する)、嘔吐、下痢、血圧低下などの多彩な症状が引き起こされる。重度の場合は呼吸停止に至り、人命を奪うのである。
https://diamond.jp/articles/-/340552?page=2

すばらしい医学―あなたの体の謎に迫る知的冒険

【目次】
はじめに
第1章 あなたの体のひみつ
第2章 画期的な薬、精巧な人体
第3章 驚くべき外科医たち
第4章 すごい手術

第5章 人体を脅かすもの

おわりに

                  • -

『すばらしい医学―あなたの体の謎に迫る知的冒険』

山本健人/著 ダイヤモンド社 2023年発行

第5章 人体を脅かすもの

テロに用いられた神経毒 より

地下鉄サリン事件
1995年3月20日、東京都内で未曽有の無差別テロ事件が起きた。化学兵器である毒ガス、サリンが地下鉄の車内に撒(ま)かれたのである。

午前8時頃の通勤ラッシュ時に、丸ノ内線日比谷線、千代田線の三路線、計5車両で同時多発的に散布された神経毒により、13人の尊い命が失われ、負債者は6000人近くに上った。事件を企てたのは、宗教団体オウム真理教であった。過去に類を見ない、大都市での化学兵器テロ事件は世界中を揺るがした。

サリン有機リン化合物の一種で、1938年にナチスドイツによって開発された化学兵器だ。「サリン(Sarin)」の名称は、当時開発に携わったナチスの化学者4人の名前から取られたものである。

有機リン化合物は、炭素とリンの結合を持つ化合物の総称で、一般には殺虫剤や農薬として広く使用されている。実際、殺虫剤や農薬の誤飲、あるいは自傷・自殺目的での接種によって中毒患者が病院に救急搬送されるケースは少なからずある。よって有機リン中毒は、救急医療の分野で重要な薬物中毒の1つである。

有機リン化合物の1つ、サリンが人体に猛毒として作用するのは、それが人体で働く神経伝達物質アセチルコリンに似た構造であるためだ。なぜ、この構造が生命の危機を引き起こすのか。それは、人体における神経系のしくもを知ると容易にわかる。

神経は全身に張り巡らされた線路のようなもので、これを通して脳は各器官に絶えず司令を送ることができる。神経を線路にたとえるのは、それが単一の長いケーブルではなく、小さなレールが無数に連なった構造であるためだ。電車に乗っていると「ガタンゴトン」と定期的な振動を感じるが、これはもちろん、電車が一定の距離ごとにレールのつなぎ目を通過するからである。

神経においてレールに相当するのが神経細胞である。人体は約37兆個の目に見えないほど小さい細胞から構成されているが、中でも情報伝達を担う神経細胞は「ニューロン」という特別な名称で呼ばれる。

一方、線路につなぎ目があるように、ニューロンニューロンの間にもつなぎ目がある。このつなぎ目を「シナプス」、ニューロンうしの隙間を「シナプス間隙(かんげき)」と呼ぶ。

想像してみよう。有線イヤホンのケーブルを途中で切ると、音楽を聞くことはできなくなる。断裂したケーブルの間隙(隙間)を、電気信号が飛び越えることはできないからだ。

では、ニューロンうしの間に存在する間隙を、信号はどのように飛び超えるのだろうか。それが、神経伝達物質の機能だ。小さな化合物である神経伝達物質が、まるで無数の飛脚のごとくこの隙間を移動するのである。進化の過程で動物が生み出した。恐るべき精巧なシステムだ。

時間との戦い

地下鉄サリン事件では、駅構内で数千人がパニックに陥る中、大勢の被害者が周辺の病院に搬送された。特に多くの患者を受け入れたのが、築地の聖路加国際病院だ。当時の日野原重明院長が、通常診療をすべて中止して患者を受け入れるよう指示したからである。結果的に、同病院は640名という前代未聞の救急搬送を引き受けた。

聖路加国際病院では、大きな礼拝堂や廊下でも診療が行われた。ここにも酸素の配管設備などが整い、非常時には病室として病室として機能するよう設計されていたからだ。

日野原がこの設計にこだわったのは理由があった。1945年、東京大空襲で大勢の患者が病院に入れず治療を受けられないまま亡くなったのを、彼は医師として目撃していた。大災害に耐えうる病院をつくることは、そのとき彼が自らに課した使命だったのだ。

他にも数多くの医療機関が緊急体制で患者を受け入れ、医療スタッフたちは懸命の治療に当たった。だが、治療は難航した。有機リン中毒の解毒剤、PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)の在庫が足りなかったのだ。

PAMは本来、農薬中毒の治療薬だ。大都市の中心部で農薬中毒が同時多発的に起こることなど想定しようがなかった。都内のPAMをかき集めても太刀打ちできる患者数ではない。

PAMはアセチルコリンエステラーゼの活性を復活させる作用を持つが、発症早期に投与しなければ効果はない。サリンによるアセチルコリンエステラーゼの阻害作用は、時間とともに不可逆的(回復不能)になるからだ。この作用をエージングという。

まさに時間との戦いだった。
PAMを扱う薬品卸売業のスズケン社は、できる限り多くのPAMを東京にかき集める計画を立てた。名古屋の本社から新幹線「こだま」に乗り込んだ社員が、浜松、静岡、新横浜駅のホームからリレーのようにPAMを受け取り、都内に届けたのである。これにより計230人分のPAMが都内の病院に届けられた。

また当時、有機リン系農薬を製造する住友化学のグループ企業であった住友製薬(現・住友ファーマ)は、国内で唯一PAMを製造、販売していた。住友製薬はこの危機に際し、大阪の商品センターから東京へありったけのPAMを緊急空輸した。その結果、事件当日の夕に2000人分、夜には2500人分のPAMが医療機関に次々と配送された。

他にも、事件現場で救助・救命活動に当たった救急隊員たち、除染活動に当たった自衛隊員、各医療機関で対化学兵器治療マニュアルに基づいて助言を行った自衛隊医官や看護官、全日空をはじめPAMの緊急輸送に全面協力したスタッフたち。あらゆる人々の協力が、被害の拡大を食い止めたのである。