Atomic Bomb - Fat Man and Little Boy 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zd2EqGm3RzA
Little Boy - the first atomic bomb
Rare photographs show the aftermath of Hiroshima after the atomic bomb Daily Mail Online
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3186815/The-nightmare-aftermath-Hiroshima-Parents-carry-burned-children-past-corpses-rubble-rare-photographs-taken-days-atomic-bomb-killed-140-000-people.html
『オリバー・ストーンの告発 語られなかったアメリカ史 (2)』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック/著、鳥見真生/訳 あすなろ書房 2016年発行
広島への原爆投下 (一部抜粋しています)
トルーマンがポスダム会談にのぞんだ一番の目的は、自ら語っているように、ヤルタ協定どおりにソ連が対日参戦するかを確認することだった。ソ連参謀が、日本にとってとどめの一撃になるだろうと考えていたからだ。7月19日、スターリンがこれを確約したので、トルーマンは大喜びだった。「ソ連は7月15日、ジャップに参戦する」トルーマンはその日の日記に書いた。「それで。ジャップも一巻のおわりだ」
20日、トルーマンはアメリカにいる妻ぺスへ書き送っている。「これで1年早く戦争が終結する。死なずにすむ若者がどれほどいることか」
しかし、トルーマンは切り札を隠しもっていた。それを使うタイミングこそ、何よりも重要だった。
トルーマンは、スターリンとの交渉開始前に原爆実験を終了させておきたかった。「ポツダム会談までに実験をすませろ、と信じがたいほどの圧力をかけられていた」とオッペンハイマーは認めている。
急がせただけの価値は充分にあったのだ。
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1945年8月6日午前2時45分、3機のB-29爆撃機がマリアナ諸島のテニアンから日本へ飛び立った。標的の広島まで、2400キロの距離だ。
先頭を飛行するのは、ウラン濃縮型爆弾、コードネーム「リトルボーイ」を搭載した”エノラ・ゲイ”だった。総重量5トンの爆弾は、TNT爆薬1万6000トンに匹敵する破壊力を有していた。
投下目標は、市街中心部にほど近いT字型の相生橋。広島には、港湾施設と陸軍第二総司令部があったが、それまでの空爆では、優先的な軍事標的には挙げられていなかった。
澄んだ空気がさわやかな静かな朝だった。空には雲一つない。午前7時9分、空襲の警戒警報が鳴り響き、広島に住む人々に、敵機接近を知らせた。だが、7時31分、警戒解除のサインが流れた。敵機は引き返した、とラジオが広島市民に知らせた。
広島には当時、約30万人の市民、4万3000人の日本兵、4万5000人の朝鮮系強制労働者、数千人の日系アメリカ人(ほとんどが子どもで、親はアメリカ本国で強制収容されていた)が住んでいた。
午前8時、人々がそれぞれの1日を開始した。
午前8時15分、エノラ・ゲイが突如、広島上空に飛来し、原爆を投下した。
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と、地面からいきなり、白みがかった灰色の太い煙の柱が噴き出してきた。その陰になって、どの方向の炎も見えにくくなった。煙の柱は街をとり囲む丘へ、広がりながらふくれあがり、信じがたいスピードでわれわれに向かって上昇してきた。
その時、搭乗機が再び乱暴に揺すぶられた。カノン砲のような大型の大砲にねらい定められ、全方位から砲撃されているような音がした。
今や地上の紫色の炎は、緑がわずかに黄色い青緑に変わりつつある。太陽そっくりの火の玉も、駆けのぼる煙を追うように、計りしれない速度で、こちらに向かって上昇してくる。われわれは爆弾投下の瞬間から、全速力で街の上空から離れつつあったが、あんなスピードはとても出せない。
突然、われわれの機の右手に煙の柱が出現し、それがぐんぐん上昇していくことに気づいた。推定で高度1万5000メートルにまで達したらしい。それは、先へ行くほど細くなるどっしりとした柱で、先端は成層圏へ届くようにも思われた。専門家の話では、その煙の柱は、地上部が直径6.4から8キロ、先端部が直径2.4キロもあったという。
私が憑(つ)かれたように凝視しているあいだにも、煙の柱は色を変え、白みがかった灰色から茶色、次に琥珀色に変わったかと思うと、その3色がまじり合い、まぶしい虹が湧きあがった。こうした凶暴な変化もおわりかと思ったとたん、柱の先端からキノコのような雲が吐き出され、上へ上へと上昇し、推定で1万8000メートルから2万メートル以上に達した。……煙の柱自体は、煮立った渦巻いていたが、キノコ雲の傘部分は、嵐の海の大波のように四方八方へ広がっていく。
と、鋭利な刃物ですっぱり切られたように、先端のキノコ雲が柱から離れ、さらに上昇を開始した。