じじぃの「ナパーム弾・焼夷弾が東京を焼きつくす!ケミストリー世界史」

B-29 AIR RAID BOMBING IN TOKYO FILM NARRATED BY RONALD REAGAN "TARGET TOKYO" 74382

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BzQmTjDPL5c

Boeing B-29


The Digital Collections of the National WWII Museum

Oral History
https://www.ww2online.org/search-page?f%5B0%5D=field_tgm%3ABombs--American--Japan

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第16章 第2次世界大戦 より

国家の統一が遅れ、帝国主義のブームに乗り遅れたドイツ、イタリア、日本が、すでに世界の分割を終えようとしていたアメリカ、イギリス、フランスなどの帝国主義国家とのあいだに軋轢を生じ、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まりました。自動車の発達により石油の需要が激増していたので、石油を輸入に頼るドイツ、イタリア、日本が石油資源を求めて戦いを起こしたのです。
ドイツ、イタリア、日本の3国を主体とした枢軸国と、アメリカ、イギリス連邦を主体とした連合軍、そしてのちにソ連(当時)が戦争に加わり、地球のほぼ全周が戦場になりました。第1次世界大戦とはくらべものにならない、高度に機械化された兵器が大量生産されて投入されました。

1943年 ナパーム弾の発明――高温であらゆるものを焼きつくす

●日本本土空襲で焼夷弾として使われた
20世紀の有名な有機化学の本に『フィーザーの有機化学』があります。かつて、大学の化学の授業では”ザ・定番”だった教科書です。その著者であるハーヴァード大学のルイス・フィーザー教授は、高温であらゆるものを焼きつくすナパーム弾を開発した人です。
ナパーム弾の中身は、粘り気を出す成分としてパーム油(椰子の実の油)から抽出される物質(パルミチン酸アルミニウム)と石油の成分の物質(ナフテン酸アルミニウム)、これらにガソリンを混ぜてドロドロのゼリー状にしたものです。成分のナフテン酸とパルミチン酸とアルミニウムから、「ナパーム」と名づけられました。
ナパーム弾は、日本本土空襲で木造家屋を焼きつきす焼夷弾(M69)としても実用化されました。20世紀を代表する建築家フランク・ロイド・ライトが日比谷の帝国ホテルを設計、建築するときに、弟子としてともに対日していたアントニン・レイモンドは、その後、日本に残って建築事務所を開いていました。日本の木造家屋を知りつくしていた建築家のので、アメリカに帰国後、日本向けの焼夷弾の開発、実験のアドバイザーを務めたのです。
日本家屋を内装から調度品まで忠実に再現したモデルハウスを実験場につくり、日本の消防隊と同じものまで配置できるようにして、航空機から焼夷弾を投下するテストをくりかえし行い、効果的な投下法や延焼方法などを精密に検査していました。
動員した中学生たちに和紙とこんにゃくで風船をつくらせ、爆弾をつけた「風船爆弾」を風まかせにアメリカに向けて飛ばしていた日本との、圧倒的なテクノロジーの差がわかります。
1945年3月10日(日本の陸軍記念日)の東京大空襲では、アメリカの誇る大型爆撃機B29が約320機、低空で飛来し、東京の下町をナパーム弾で焼きつくしました。風による大火災が発生し、10万人以上の住民が亡くなりました。日本中の都市という都市が、B29による低空からの空襲で灰燼(かいじん)に帰したのです。