じじぃの「科学・地球_426_アルツハイマー征服・2人のパイオニア」

エーザイ共同開発のアルツハイマー新薬が米で承認

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6gZmi8-0s-4


   

認知症の原因は“脳のシミ”


アルツハイマー認知症の原因「アミロイドβ」 糖尿病だと蓄積が高まる

2021年7月13日 NHK
認知症の原因は“脳のシミ”
認知症の中でも、最も多いタイプであるアルツハイマー認知症
近年、アルツハイマー認知症の原因と考えられる物質が明らかになってきています。その1つが“脳のシミ”として知られている老人斑です。老人斑は「アミロイドβ」というタンパク質でできています。実は、このアミロイドβ認知症の症状が現れる20年以上前から脳内に蓄積し始めると考えられています。
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1212.html

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第1章 2人のパイオニア より

  1981年のボストン。日米2人の若者が、アルツハイマー博士がかつてスケッチした患者の脳にあった「ひとだまのような塊」の正体をつきとめることからそれは始まった。

2人のパイオニア

光学顕微鏡の時代に患者「アウグステ・D」の脳細胞を見たアルツハイマーは、ひとだまのような塊が神経細胞の中にみられること、神経細胞の外にしみのような斑点がみられることを報告している。
しかしアルツハイマー病は、1960年代までは神経医学を研究しているものの中でも、ほとんど顧(かえり)みられることのない分野だった。それが変わるきっかけになったのが、電子顕微鏡だった。1963年頃から脳の細胞を電子顕微鏡を使って見ることができるようになったが、光学顕微鏡の倍率の限界が400倍だったのに対して、光より波長の短い電子を使った電子顕微鏡では100万倍の倍率を使ってアルツハイマーのスケッチしたひとだまのような塊や、しみをみることができるようになった。
ここでひとだまのように見えた塊は、実は糸くずが絡まったようになったものであり、しみは何かの結晶のようなものが折り重なったものであることがわかった。
それでも70年代までは、後に見られるような巨額の研究資金も投じられていない。患者の団体もなく、多くの人々は「ぼけ」という老化にともなう自然現象だと考えていた。それは平均寿命も関係していただろう。日本でも1960年当時の男性で65歳、女性でも70歳だった。つまりアルツハイマー病を発症する前に多くの人は他の要因で亡くなっていた。

そうした中で、アルツハイマー病研究の草創期を切り開いたのが、ハーバード大学のデニス・セルコーと東京大学の井原康夫だった。
デニス・セルコーは1943年生まれ、コロンビア大学で学士をとった跡、バージニア大学で医師の資格をとり、1975年からハーバード大学精神科病院であるマクリーン病院で研究室を持ちアルツハイマー病の研究を始めていた。
一方の井原康夫は、1945年生まれ。日比谷高校、東大医学部と進み、東大医学部の附属病院で研修医としてスタート、臨床を持ちながら73年には脳研究施設神経内科部門に入り、78年にアルツハイマー病の研究に着手していた。
2人が最初に着手したのは、神経内の細胞にできる「ひとだまのような塊」だった。井原は、研修医のころに、製薬会社の「ドクターズサロン」というパンフレットにこの「ひとだまのような塊」をとりだして精製し、その成分を同定しようとする試みがなされていた記事をみつける。そのころには患者の神経細胞内にできる「ひとだまのような塊」は「神経原線維変化」、英語で「paired helical filaments」(PHF)という名前がついていた。しかし、このくずのようなものがいったい何であるのか、どういう性質をもっているのか、まったくわかっていなかった。
アルツハイマー病の患者の神経細胞の中にできるものだから、まずこの「神経原線維変化」がどのようなものかを探るところからアルツハイマー病の研究は始まったのである。

神経原線維変化(PHF)とアミロイドβ(ベータ)という2つの道

では、アルツハイマー病だけに見られる病変は何だろうか? それは神経細胞外にできる老人斑という「しみ」だった。この「しみ」はアルツハイマー病だけにしか見られない。この「しみ」を研究するほうが本筋なのではないか?
セルコーは、しだいに神経原線維変化(PHF)の研究から離れ、この「老人斑」の正体の解明に研究をシフトすることになる。
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80年代の後半、セルコーは度々日本に出かけてゆき、井原と議論した。
アミロイドベータが、神経原線維変化(PHF)を引き起こすのではないか?
というのは、アルツハイマー病の患者の脳では、まず、アミロイドベータの沈着から始まり、やがて神経原線維変化(PHF)がみられるようになるということがわかってきたからである。
神経原線維変化(PHF)に研究を集中するのか、アミロイドベータに集中するのか。
井原は依然として神経原線維変化(PHF)のほうが本筋ではないか、とセルコーに意見を述べた。
老人斑つまりアミロイドβは細胞外で起こる変化なのに対して、神経原線維変化(PHF)は神経細胞の中で起こっている変化だ。実は神経原線維変化(PHF)というのは、神経細胞が死なないように、胎児のタンパク質が細胞内に出てきて、それをユビキチンで固めたものなのではないか? 本当の秘密は患者の脳にはすでにない、死んでしまった神経細胞にある。そこで何が起こったのかがわかれば、神経細胞死の原因がつきとめられるのではないか? であるから、生き残った細胞の中にできた病変である神経原線維変化(PHF)のほうが大事なのではないか?
ハーバードで大きな研究室を抱え、アルツハイマー研究のリーダーとなったセルコーは「病気の本質に近いところを必ず歩む」ということを明確にしていた。もし、自分が賭けた道が、本筋ではなかったらば、自分だけではなく、研究室全体が大きな損害をうける。
88年には英国のデイビッド・マンという科学者が、様々な年齢で亡くなったダウン症の人々の脳を比較した結果を発表した。アミロイドβは30代の初めから出ているが、神経原線維変化(PHF)は40代にならないと現れないことを発見した。この結果を見て、セルコーはますますアミロイドβに傾いていった。病変として最初に現れるのはアミロイドβだ。神経原線維変化(PHF)が現れるのはそれから10年近くたってからなのだ。アミロイドβが神経原線維変化(PHF)の形成を促すのだろうか?
ここにいたって2人の研究は枝分かれすることになる。セルコーはアミロイドβを、井原は神経原線維変化(PHF)の研究を続けることにした。