Osaka変異患者のアミロイド・イメージング
研究紹介 アルツハイマー病とは
大阪公立大学大学院 医学研究科 認知症病態学
●Osaka変異の発見
「アルツハイマー病は、可溶性Aβオリゴマーによるシナプス機能障害で始まる」と信じられています。
しかし、このオリゴマー仮説が提唱された2002年当時は、オリゴマーによってアルツハイマー病が発症しているという直接的な証拠はありませんでした。アルツハイマー病患者の脳では目に見えない可溶性Aβと凝集して老人斑を形成した不溶性Aβとが常に混在しており、病理や臨床症状がどちらのAβによって引き起こされたものなのかを見極めることは困難でした。
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/Neurosci/introduce.html
第16章 老人斑ができないアルツハイマー病 より
揺らいでいるように見えたアミロイド・カスケード仮説に強力な証拠が現れる。大阪市立大学が発見した「Osaka変異」と、アイスランドのグループが発見したある遺伝子変異だった。
相次ぐ抗体薬の治験敗退で、アミロイド・カスケード・セオリーは揺らいでいるように見えたが、それを補強する材料も出ている。
もともとアルツハイマー病は、老人斑と神経原線維変化というふたつの病理から診断をしていた。そこから考えて、老人斑ができて神経原線維変化ができ、神経細胞死するというのがおおもとのカスケード・セオリーだが、2000年代にさらに精巧な各段階について検討が加えられていた。その中のひとつに、毒性をもつのはAβのオリゴマー(十数個あつまったもの)という2002年のデニス・セルコーの研究があった。
APPから切り出されたAβは、あつまってオリゴマーを形成する、それがベータシート状をとって固まったものがアミロイド班(老人斑)だが、毒性を持つのはオリゴマーの段階だというわけだ。この論理からすれば、アミロイド班は結果でもかまわないということになる。
このセルコーの論文は、シャーレの中の実権で確認されたものだが、そのことを実証する家族性アルツハイマー病の新しい遺伝子が、同年大阪市立大学のチームによって発見された。
それが「Osaka変異」だ。
このOsaka変異は、瀬戸内海のある島にある家系からみつかった家族性アルツハイマー病の遺伝子だ。
これは変わったアルツハイマー病遺伝子だった。
この家系は、たしかにAPPをコードする部分に突然変異がありそのせいでアルツハイマー病が発症しているのだが、重度に進んだ患者にも老人斑ができなかった。
つまりこのOsaka変異の発見は、老人斑が毒性をもって神経細胞を殺すのではなく、その前のAβのオリゴマーが毒性をもつということを意味していた。
きっかけは、2001年に同市立大学の附属病院にやってきた57歳の女性の患者だった。担当医は認知症臨床研究センターの嶋田裕之。
2年前から物忘れがひどくなったというその女性の家族歴を開くとやたらと認知症になった人が多かった。家族性アルツハイマー病を疑った嶋田は、同じ大阪市立大学の森啓(ひろし)の研究室に遺伝子を調べてほしいと頼んだ。
実際に遺伝子を調べたのは同研究室の富山貴美だった。
富山は帝人出身の研究者で、1998年の井原康夫の弟子筋にあたる森の研究室にきた。当時の身分は講師。
老人斑ができないアルツハイマー病
この変異はこれまでの家族性アルツハイマー病の変異とはいろいろな意味で変わっていた。たとえばこれまでの変異は、プリセニリン1にしても2にしても、父親か母親かのどちらかがその突然変異をもっていれば、50パーセントの確率で突然変異が受け継がれる。そしてその突然変異が受け継がれれば、100パーセント発症する。つまりヘテロで発症する。
しかし、この「Osaka変異」の場合では、遺伝子が母親か父親のどちらかから受け継がれても発症はしないのだった。両親ともに、この「変異」を持っている場合にのみ「病気」が受け継がれる。つまりその遺伝子異常がふたつ揃わないと発症しない。ホモだった。
瀬戸内海の小さな島ゆえに近親婚がくりかえされて継承されてきた「家族性アルツハイマー病」だったのだ。だから、この家系の外から嫁や婿を迎えれば、子どもは100パーセント発症しない。
しかし、そのことが逆に、富山たちがこの新しい変異を論文に投稿する際のネックになった。「老人斑が生じない」というのは、この変異をいれたトランスジェニック・マウスでわかったことだ。しかし、人間の場合に確かにそうなる、というのは剖検をしなければわからない。
嶋田のところに訪れた患者の妹も同じ変異をホモでもっており発症した。しかし、その2人が亡くなった時にと、それぞれの配偶者に剖検をお願いしても首をたてにふらなかったのだ。
この遺伝子が子どもたちに受け継がれていないのであれば、なぜ妻の脳を解剖しなくてはいけないのか、ということだ。実際、子どもたちも全員遺伝子検査をうけたが、夫はその遺伝子をもっていないので、ホモで遺伝子をもっている子どもはいなかった。
この「Osaka変異」について、富山は必死に論文を書いて投稿した。ネイチャー・メディスン、ネイチャー・ニューロサイエンス、サイエンス……。
しかし、ことごとくリジェクトされた。
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ネイチャー・メディスンに2度目を出したときにはリジェクトの理由として、はっきりと「剖検がとれていない」からだと書かれてあった。
アイスランド変異
この「Osaka変異」以外にも決定的だったのは、2012年7月にネイチャーに発表されたある論文だった。
その論文は、アルツハイマー病になりにくい突然変異を特定したというものだった。突然変異は、Aβの産出にかかわるAPPの遺伝子に起こっており、この遺伝子をもっていると、アルツハイマー病にかかる確率が5分の1から7分の1になるという。
アイスランドのデコードという会社が1795人のアイスランド人の全ゲノム配列を病歴と比較することで、この遺伝子変異を発見した。さらに研究チームは、約40万人以上のスカンジナビア人を対象に、この変異を調査した。
この遺伝子をもっているベータセクレターゼよるはさみが入りにくくなっていた。つまりAβが産出されにくいということになる。
Aβが産出されなければ、アルツハイマー病にならない。
これはやはり、アミロイドベータが病気のトリガー(引き金)をひいていることの証左だった。
では、なぜ、バピネツマブ(ベータアミロイドを標的とするアルツハイマー病治療薬)やソラネズマブは効かなかったのだろうか?
バピネツマブもソラネズマブも軽症(mild)から中等度(moderate)のアルツハイマー病の患者が対象だった。
それでは遅すぎるのではないか? そして投与量の1ミリグラムが少なすぎたのではないか?
科学者たちは、ピッツバーグ・コンパウンドBをつかった治験の設計の見直しと、投与の時期に着目をしだす。