じじぃの「科学・地球_434_アルツハイマー征服・ワクチン療法の発見」

Developing Meaningful Therapeutic Strategies for Alzheimer’s and Parkinson’s Diseases - Dale Schenk

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1mxsEMXXrj4

Dale Schenk at the Siemans Foundation


Dale Schenk, 59, Pioneer of Alzheimer’s Immunotherapy

03 Oct 2016 ALZFORUM
Dale Schenk, a leader in the field of Alzheimer’s disease immunotherapy passed away Friday, September 30, after a battle with pancreatic cancer that started in 2014. Schenk had been working until recently. He was 59.
https://www.alzforum.org/news/community-news/dale-schenk-59-pioneer-alzheimers-immunotherapy

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第9章 ワクチン療法の発見 より

  グラスの中に浮かぶ氷を見たことから、アセナ・ニューロサイエンスの天才科学者はとてつもないアイデアを思いつく。アルツハイマー病はワクチン接種によって治せるのではないか?

90年代の遺伝子工学による相次ぐアルツハイマー病遺伝子の発見、それによるトランスジェニック・マウスの開発によって、アルツハイマー病は治癒できる病気になるのではないか、という期待が高まっていた。
このころまでに、アルツハイマー病がなぜ起こるのか? という病理の理論として「アミロイド・カスケード・セオリー」が有力な仮説として科学者の間で共有されるようになってきた。
カスケードというのは、つらなかった小さな滝である。ドミノ倒しのようなものと思ってもらってもよい。最初のドミノの1枚をアミロイドβにもとめたのである。
すなわち細胞膜にあるAPP(アミロイド前駆物質)をγセクレターゼ、βセクレターゼなづけられた酵素がβ、γの順にカットしていく。これはどんな健康な人間でもおこっている。ところが、APPをつくる遺伝子に突然変異があると(これがジョン・ハーディーが発見した最初のアルツハイマー病遺伝子だ)、APPをカットする位置がかわってきてアミロイドβ42という分子量の多いものが多く切り出されるようになる。この分子量の多いアミロイドβ42は集まって凝縮しやすく、それが老人斑となって毒性を持つ。この老人斑が増えてくると、神経細胞が打撃をうけて、神経原線維変化(PHF)という糸くず状のものを神経細胞の中に生むようになる。神経原線維変化(PHF)が現れるとやがて神経細胞は死ぬ。こうした変化が10年から15年の月日で起こる。
カスケードのように、最初のAPPの切り出しから始まって、最後の神経細胞の死にいたるまでの変化が10年から15年の時間をかけてゆっくりと進んでいく。
アリセプトは、神経細胞が死に始めて症状が出てきた段階で処方をすれば、残っている神経細胞の電気活性を高めて、信号をつながりやすくする。それによって症状の進行を8ヵ月から2年止めることができる、というものだ。
しかし、これは根本治療ではない。神経細胞の死にいたるカスケードは止められていないからやがて病気は進行していく。
もしこの「アミロイド・カスケード・セオリー」が本当だとするなたば、このドミノ倒しのどこかのドミノをぬいてしまえば、病気は進行しないことになる。たとえばAPPをγセレクタガーゼとβセレクタ―ゼがカットしているというのなら、それをカットしないようブロックする方法はないか。ちなみに見つかったアルツハイマー病遺伝子のプレセニリン1とプレセニリン2は、γセクレターゼをコードする遺伝子であるという疑いは非常に濃くなっていた。これが創薬の方法である。
この「アミロイド・カスケード・セオリー」の最初のドミノの1枚を抜いてしまうことはできないか? そう考えた科学者がいた。それが、アセナ・ニューロサイエンスのリードサイエンティスト、デール・シェンクだった。ハーバード大学のデニス・セルコーが会社を設立する際、2番目にリクルートしたチェス好きの科学者である。
デール・シェンクが抜こうとしたドミノは、アミロイドβ42そのものだ。が、他の科学者がやっていたように、γセクレターゼ、βセクレターゼをブロックすることによってではない。これを抗原抗体反応によって除去できないか、と考えたのだ。

好奇心を抑えられない

シェンクはアイデアの人だ。次から次への新しいアイデアが湧いてくる。それを大きめのポストイットに書き留めるホワイトボードに残しておくのはピーター・スーベルトの役目だった。このマウスに対する予防注射というアイデアも、ピーターによってさっそくポストイットに書き留められている。
好奇心を抑えきれない性格は科学者に向いていた。ドラ・ゲームス(トランスジェニック・マウス開発の端緒をつくった女性)は、京都で行なわれた学会に出席するために、デール・シェンクと日本に行った時のことを今でも思い出す。
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1957年5月にカリフォルニアの中流の住宅街パサディナで生まれた。父親は消防士、母親はロサンゼルスの新聞社の記者だった。8歳のころからシェンクが始めたことが2つある。ピアノとチェスだ。
それでも科学者の道に進んだのは、学齢期になると、数学と科学の授業が自分にとっては、いつも1番簡単だったからだ。宿題もあっという間に片づけてしまう。次は何なのか? その次は? こうしているうちに科学を生業とすることが自分の天職だということに気がつき、12歳のころには、その道に進むことを決めた。
医者よりもより多くの人を救う可能性のある研究者の道に惹かれた。カリフォルニア大学サンディエゴ校で薬剤と生理学の博士号をとる。生理学の博士号をとっているさなかに、モノクロナール抗体をつかった実験をするようになる。これが後の「ワクチン療法」の発想へとつながってくるわけである。
心臓に関する医療ベンチャーの会社につとめて2年半で、ハーバード大学のデニス・セルコーに見いだされ、アセナ・ニューロサイエンスに1987年に参加することになったことはすでに述べた。

老人斑が消えた!

マウスを管理するのはドラ・ゲームスの役割だ。12匹のマウスにアジュバントという免疫反応を誘発する物質を付け加えたアミロイドβを1月に1回ずつ、11回、マウスに注射をしていく実験は、97年の年初から始まった。
アミロイドβは人間のアミロイドβ42だ。
ドラ・ゲームスは、この実験について懐疑的だった。デール・シェンクもまさか成功するとは思っていなかっただろう、と私のインタビューに答えている。
そして1年がたって、マウスを解剖し、その脳切片を顕微鏡で見る時がきた。
デール・シェンクは、ドラ・ゲームスが脳切片の顕微鏡を覗くその現場に立ち会っている。
ゲームスは、切片を用意しながら、不思議な気持ちになっていた。トランスジェニック・マウスを開発した時にサンディエゴのレーザー顕微鏡でマウスの脳切片を見た時は、どうか、老人斑が見えますように、と祈りながら顕微鏡を覗いたのだった。しかし、今日は逆だ。
老人斑が見えないことが、よいことなのだ。
シェンクはそわそわと落ち着かず、自分の周りをうろうろと歩いている。ゲームスはそれほど期待をせずに、顕微鏡を覗いてみた。このマウスは1年もたてば、老人斑ができ神経細胞はダメージをうけ脱落をしている。

ない。老人斑がない。きれいな脳細胞だ。が、ゲームスは、すぐには声に出さず、対照群となったアミロイドβの注射をしなかったマウスの脳の切片をつぎに覗いてみた。ここにははっきりと老人斑がみられ、脳に変化が起きていることがわかった。
これを確認して初めてゲームスはシェンクに言った。
「消えてる。老人斑がきれいに消えているわ」
シェンクは、「おおおお」と叫んだ。
アミロイドβのワクチンは効いているのだ。
12匹のうちコントロール群は3匹、残りの9匹がアミロイドβの注射をうけたが、このうち7匹は、1年たっても老人斑も神経変性も見られなかった。

アリセプトは過去の薬になる

中枢神経系の障害であるジストニアへの薬の開発で、エーザイとの仕事も始めたエランのデール・シェンクは2002年7月に日本に来た際に、エーザイ創薬第一研究所の所長になっていた杉本八郎と会食している。
アリセプトは日本でも99年に承認され、世界中のアルツハイマー病患者を救うようになっていた。進行を一定期間止めるだけだとはいえ、その8ヵ月から2年の月日が患者と患者の家族にとってはとてつもない意味を持っていたのだ。
私はシェンクが東京で杉本と会食した翌日にシェンクと朝食をともにしている。
シェンクは、物静かだが、威厳のある杉本に惹かれていた。しんの強さがある人物だと言っていた。私が杉本八郎は、高卒でエーザイに入り、夜学で学士をとり、人事部に飛ばされても、こつこつと論文を書いて博士になったのだ、と言うと、心を動かされたようで「そうか、だからなのか、彼の大きさはそうしたところから来るのか」と納得したようにひとりごちだ。
だが、とシェンクは私に言った。「そうした偉大な仕事をした人に失礼かと思ったが」と前置いて、こんなことを杉本に言ったと披露したものだった。
「杉本さん、私たちのワクチン療法はいずれ、アリセプトを過去の薬にするでしょう」