じじぃの「科学・地球_430_アルツハイマー征服・アルツハイマー病遺伝子の発見」

認知症予防 「ボケない」ためにできること【医者が解説!知っておいた方が良い12の危険因子】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K6EEEO3wxtQ

図1.PS遺伝子欠損細胞におけるApoEの分泌変化


アルツハイマー病の原因遺伝子プレセニリンは、アルツハイマー病の危険因子であるアポリポ蛋白Eの分泌も制御する

名古屋市立大学
アルツハイマー病の分子病態に最も強くかかわる分子(原因分子)は、Aβであると理解されている。Aβ代謝に大きな影響をあたえるのは、APP(前駆分子)からAβを切り出す(Aβ産生)酵素であるプレセニリン(PS)であり、Aβを代謝(分解、除去)に働くApoEである。家族性アルツハイマー病の原因遺伝子に一つがPSであり、PS遺伝変異があるとAβ42/ Aβ40比が上昇することが知られている。Aβ42は強い凝集作用を持ち、神経毒性が強いことが知られている。一方Aβ40は凝集作用が弱く、むしろ神経保護作用を持つことが分かっている。したがって、Aβ42/ Aβ40比の上昇は、Aβ凝集が促進し、神経毒性も強まることからAD病態を促進すると考えられる。

しかし、今回の研究は、いままでの理解を覆し、両者が深く関連するとの驚きの結果を示したのである。すなわち(1)PS欠損細胞では、ApoE分泌が著しく減少または消失すること(図1)。
https://medical.jiji.com/topics/2438

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第5章 アルツハイマー病遺伝子の発見 より

  アルツハイマー病遺伝子の発見レースはデッドヒートがくり広げられていた。神経センターと弘前大のチームは、突然変異の場所を14番染色体の800万塩基まで絞り込む。

弘前大の田﨑博一がこつこつと集めた血液は、少しずつ小平の神経センターに集積していった。田﨑が採決した血はバイアルにいれられ、バイアルはアイスボックスに移された。アイスボックスは、その日のうちに青森空港から羽田を経由して小平の神経センターに送られる。神経センターのほうでは、高橋らが血液の到着を待っていた。
血液を分離し、リンパ球にEBウイルスをかけて癌化させる。そうするとそのDNAは保存され、あとからの遺伝子探しに使えるという仕組みだ。零下196度になる液体窒素のタンクのなかにチューブをじゃぼんと入れて保存していく。

アポEの発見

ジョン・ハーディーが21番染色体上にみつけた突然変異の次のアルツハイマー病遺伝子が、19番遺伝子に見つかっていた。1992年10月。アポリポタンパクE、略してアポEという遺伝子だ。アポEには3つのタイプ、E2、E3、E4があった。E4を2つ持つ人は、E2を2つ、E3を2つ、あるいはE2とE3を持つ人にくらべて、アルツハイマー病になる確率が高かった。E4を2つもつ人口の2パーセントだったが、危険度が高いということがわかった。
だが、この遺伝子は家族性アルツハイマー病の遺伝子とは性格が違っていた。アポEは遺伝性ではないアルツハイマー病のリスクを高める遺伝子だ。
引き続き、家族性アルツハイマー病の大本命の遺伝子探しは続けられていた。
どうやら本名は14番染色体にあるらしいということがわかったのは、1992年のことだ。世界の3つのチーム、ピーター・ヒスロップ、ジョン・ハーディー、ジェラルド・シェラルド・シェレンバーグが、ほぼ同時に、14番染色体に遺伝子はあると発表したのだ。
田平や高橋も、その発表をうけて、14番染色体を探し始める
「連鎖解析」という作業をしながら、その範囲を狭めていくのだ。「連鎖解析」は正常な人の遺伝子と患者の遺伝子をマーカーでくらべて隔たりがないかを探していくという作業だ。14番染色体の先端から少しずつその「連鎖解析」をやって範囲を狭めていく。
高橋の下に光永吉宏という研究者がいて、その光永がおもに作業をした。

800万塩基まで絞り込む

この当時のアルツハイマー病の遺伝子探しについて「USニューズ・アンド・ワールド・レポート」誌はこんなふうにその加熱ぶりを書いている。
  <アルツハイマー病の遺伝子探しが、いかに仁義なき非情な競争であるかについて科学者たちは一致している。それを見つけたものは、名誉と金を得る。「アルツハイマー病の原因につながるその発見は、ノーベル賞が待ち受けている」とは、NIHでアルツハイマー病研究を監督するクレイトン・フェルプスの予測だ>

田平たち神経センターのチームの解析では、14番染色体の先端部分には一致する突然変異はないことがわかってきた。
この当時、欧米の研究チームの間では、妙な噂が出回って、遺伝子探しをする者の心胆を寒からしめてきた。それは、日本のチームが突然変異をすでに特定しているというものだ。レースの先頭グループにいたハーバード大学のR・E・タンジは、その噂を聞いてそれが現実だと知るという悪夢を見て、目が覚めるという経験を自らの手記に書いている。
実際、田平たちのチームは、14番染色体の中の長腕の半分くらいまで、その範囲を絞り込んでいた。塩基の数は800万塩基。
ここで田平は重大な決断をする。その800万塩基まで絞り込めたということで論文を書いて発表することにしたのだ。
この発表はトリッキーだった。他のチームにその範囲をわざわざ教えてしまうことになる。しかし、ここまでわかったということを論文の形で出しておくことで、昼夜を分かたぬ働きをしている光永吉宏や高橋慶吉の業績になる。
光永は、この仕事にとりくんでかれこれ3年になる。「USニューズ・アンド・ワールド・レポート」誌が書くように、アルツハイマー病の遺伝子探しは、「勝者は名声と富を得る。しかし、勝者はただ一人。それ以外の敗者たちにとっては、長年にわたる昼夜をわかたぬ働きが水泡にきしてしまう」。
光永は業績がなければ、研究者として次のステップに進むことはできない。
そうした判断から、田平は、800万塩基まで絞り込んだことを、「ランセット」誌のレター欄に投稿した。
ランセット」は、臨床のすべての範囲をカバーする雑誌で、「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」につぐインパクトファクターを持つ雑誌だった。
1994年10月2日の「ランセット」に田平らの論文は掲載された。論文の筆者には、弘前大の田﨑博一や渡辺俊三も入っていた。
その論文は、カナダピーター・ヒスロップら欧米の研究者をおおいにあわてさせた。

遺伝子発見

そして1995年の5月、鹿児島であった神経学会でのことだった。東京大学の井原康夫が、田平をみかけると、こう声をかけたのだった。
「遺伝子がとれた!」
井原はメディアが取材をかけてきたことでそのニュースを知ったのだった。カナダのトロント大学のピーター・ヒスロップが突然変異の場所をみつけ、それをネイチャーに発表する、という。
田平は衝撃をうけた。間に合わなかったか!
光永と一緒に、突然変異を3年間にわたって探し続けてきた分子生物学の高橋慶吉は、そのニュースを、神経センターの所長から知らされた。
自分たちが探していたものと同じなのか? 違ってくれ、そう祈った。
    ・
渡辺や田﨑らにとって重要だったのは、自分たちが長年にわたって診てきたこの青森の家系にもヒスロップがみつけたのと同じ突然変異があったということだ。
田平ら神経センターチームと、渡辺ら弘前大のチームは、青森の家系にヒスロップが見つけた突然変異と同じ突然変異があったことを論文にし、「ランセット」に送った。

一族に告知するか否か?

ヒスロップが発見したアルツハイマー病遺伝子はプレセニリン1(ワン)と名づけられた。
この遺伝子変異は、APPからアミロイドβ42を多く切り出す働きをもっていることが後にわかっている。通常は、アミノ酸の数が40のアミロイドβ40が多くきりだされるのだが、この突然変異を持つとカットする場所が、2アミノ酸分ずれ、アミノ酸の数が42のアミロイドβ42が多くきりだされていってしまう。この42のほうは40より凝固点が強い。そのことでアミロイドベータの集積が進み、アルツハイマー病になると考えられた。
渡辺や田﨑ら弘前大のチームには、青森の一族に採決した結果、突然変異がみつかったということを各個人に伝えるか否か、という重い宿題が残された。
中には発症していない人もいる。
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ヒスロップの論文がネイチャーに発表された1週間後には、もうひとつのアルツハイマー病遺伝子プレセニリン2(ツー)が見つかった。
このプレセニリン2もAPPからのベータアミロイドの切り出しに関係する遺伝子で、ワシントン大シアトルのジェリー・シェレンバーグやハーバード・メディカル・スクールのルドルフ・E・タンジらが発見した。
これで、APP、プレセニリン1、プレセニリン2、アポEとアルツハイマー病に関する4つの突然変異が出揃ったのだ。
しかし、中でも、プレセニリン1は、ほとんどの早発型の家族性アルツハイマー病の原因遺伝子であることが今日ではわかっている。プレセニリン1によるアルツハイマー病は、発症年齢、死亡年齢がもっとも低い。30代、40代で発症する。なかには20代で発症する痛ましい事例もある。

人類は、家族性アルツハイマー病の原因の遺伝子を手に入れた。この病気で苦しむ人々を救うために次にすることは何か?
それはこの遺伝子を使ったトランスジェニック・マウスを開発することだ。その「聖杯」を手にいれれば、様々な治療薬をまずマウスで開発することだ。その「聖杯」を手にいれれば、様々な治療薬をまずマウスで試すことができる。田平たちも中外製薬の協力をあおぎ、ただちにトランスジェニック・マウスの開発に研究をシフトする。
そのトランスジェニック・マウスを誰が開発したかという話に移る前に、遺伝子特定競争のさなかに始まっていたエーザイのE2020の治験はどうなったかを次章では見てみよう。